陸がダメなら海から攻めろ!意外過ぎたイエメン入国法

とにかく眠い。入国できなかった無念さよりに、睡眠欲はまさる。

思えば前日の深夜にドバイを出発している。断続的な睡眠はとりつつも、ほぼ24時間まともな睡眠がとれていない、ということになる。毎日8時間以上の睡眠が必要な人間にとっては、ガス欠状態である。地味に一人で24時間テレビか。

消えた入国の望み

国境地帯のあんな辺ぴな場所にも、まさか乗り合いバスがあったとは。

そんなことをぼんやりと考えながらサラーラへ向かうバスに揺られていた。カーリッドと私はオマーン国境近くの町、アル・マズユナからサラーラへ戻る途中だった。

一方で、カーリッドの親父さんは、一人国境へ舞い戻っていった。イエメン側で待ち構えているドライバーに、「入国失敗」の知らせを伝えるためだ。

書類不備による入国失敗。いや、そもそも頼んだところで、外務省の警告で危険レベル4が出ている場所にいくパンピーに、大使館が推薦レターなんか発行するわけがない。

つまり、推薦レターの発行は不可。ゆえに、オマーンからの国境越えは選択肢として消えた。

眠気で、悔しさが麻痺しているのか、今後どうするかよりもまずは睡眠をとることに専念する。睡眠なくして、正しい判断は下せない。

イエメンの道。2つの代替案

当人はすでにもはやイエメンにいくことをあっさりと諦めていたが、カーリッドはまだやる気満々である。

「イエメン国境側のドライバーから連絡だ」

カーリッドのスマホを受け取ると、

「こんちは。この度は残念です。ごめんなさい(日本語)。今日の夜までにオマーンからエジプトへ飛ぶことはできるか?可能であれば、明日にはエジプトからイエメンのセイユーンまで飛行機が出ているから、イエメンに来ることができるぞ。」

眠いので、なぜイエメン側にいるドライバーが流暢な日本語を話すかという点については、スルーした。

「もしくは・・・サラーラからソコトラ島まで船が出ている。もしかしたら明日、船が出ているかもしれないから、それに乗ってくることも可能だ」

は?

コイツは一体何をぶっこんでくるのか。イエメン入国に失敗したという現実をつきつけられた今では、もはや船でソコトラ島にいくなど夢物語にしか聞こえない。正気なのか?

ネットもつながらない。未確定情報が多すぎる。ゆえに判断できん。

私は早々とサラーラ空港に戻りたかったが、「とりあえずホテルに泊まって休め」というカーリッドの提案のもと、しぶしぶ市内のホテルに荷物を置くことにした。

その時点では、まあ、サラーラ観光してドバイに戻ってもよいか、などとのんきに考えていた。

とりあえずホテルのネットで、当日のエジプト行きを探すが、ちょうど良いのが見つからない。

残された道は、「船」しかない。しかし、怪しすぎるぞ。この選択肢。できれば、引きたくないクジである。

というか船で国境越えはできるのか?イエメン領空をぶんぶん飛び回っているとかいうサウジ軍に爆撃されたらおしまいじゃないか。

こちらとしては何もできないので、ただカーリッドの提案を聞き入れるしかない。

「俺の友達に港で働いているやつがいるから、そいつに明日船があるか聞いてみる」

船がたとえあったとしても、すでに陸路の国境で追い返された身分である。海上から出国などできるものか。などと心配はつきない。

リアリティを帯始めた海上の国境越え

カーリッドの友人、ファイサルはハキハキと話す人間で、人も良さそうである。コイツにまかせればなんとかなりそうだぞ。

船があるのか、本当に出国ができるのか。この2点を確かめるべく、我々3人は、市街にあるオマーン最大の港湾、サラーラ・ポートへ向かった。

さて、ソコトラ行きの船は本当にあったのか。

あったのだ。

港のオフィスでいろいろと役人達に聞きまわった結果、「船はある。出国もできる。明日の8時にまたこのオフィスにこい。ソコトラ島に行けるぞ」ということになった。

はあ・・・

ファイサルが自身ありげに言っても、いまだ半信半疑だった。船でイエメンに行くって一体。しかし、ここまで来たのだ。明日になればすべてわかる。

その後、サラーラの街を練り歩いた後、ホテルで眠りについた。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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