まさかのイエメン入国失敗。国境でポリスに追い返される

夜が明ける。辺り一面は、文字通り何もない辺鄙な場所を進んでいた。まるで火星である。数時間前には、高層ビルが立ち並ぶドバイにいたとは思えないほどの景色の変わりようである。

車内の助手席には、カーリッドの父が乗っていた。

空港を出発し、さっそく国境へ向かうのかと思いきや、何やら市街地に行くではないか。そこは彼の自宅だった。カーリッドは父親を引き連れ、2人して車に乗り込む。深夜とはいえ、一応彼にとっては仕事である。

仕事に父親同伴かよ!と思ったが、眠いのでもうどうでもよい。

仕事場に家族を持ち込むのは、よく見かけるシーンでもある。

ドバイの職場でも、従業員の妻や子供、兄弟などが普通に訪問しにやってくる。オマーンのプライベートツアーに参加した時も、なぜか子ども同伴でやってきたオマーン人ガイドもいた。その後、我々は疑似家族の休日ならぬ子ども同伴ツアーを楽しんだ。

真夜中の語学レッスン

何やら話を聞くとカーリッドの父親は、ソコトラ島出身だという。カーリッド自身はオマーンで生まれ育ったが、何度もソコトラ島に足を運んでいる。ソコトラに住むムハンマドとも友人なのだという。なるほどそういうつながりか。

初めてのソコトラ島民の遭遇ともあってか、妙に興奮してさっそくソコトラ語を教えてもらった。

ソコトラ語は、絶滅に瀕している言語である。主にソコトラ島で話されている言語だが、文字をもたない。口語のみである。さらにマイナー言語ということもあってか、ネットで探してもまったくでてこないのだ。

そんなレア言語を学べることもあってか、深夜の語学授業にも熱が入る。「ありがとう」は「ギザークル・アッラーヘル」、「こんにちは」は「アーギュラック」、「お元気ですか」は「イフォーコン」。

真夜中に覚えたての言葉を大声で復唱する。小学生か。

しかしどうも発音が難しい。文字がないのを承知の上で「文字で書いてくれないか」とたずねると、カーリッドの父親はアラビア語を綴りはじめた。文字はなくとも、とりあえずアラビア語を使うのか。

国境で放置されるパスポート

このように国境までの道のりは、和気あいあいとしたものだった。国境での運命を知る今からすれば、お気楽なもんである。

サラーラ空港を出発し、4時間近く経った頃。すでに、太陽も昇る8時過ぎに、国境へ到着する。その時点ではまだ余裕があった。

しかし、10分まてども30分まてども、我々の車は国境を離れる気配がない。国境ポリスに渡したパスポートが返ってこないのだ。その一方で、一般乗用車や大型トラックなどが、スイスイと通過していく。

40分ほどたったところで、さすがに雲行きがあやしいことに気づく。すでに30台以上の車は見送っている。見送る台数が増えるごとに、もしや国境越えできないんじゃ?という不安が高まる。

一体何事か、と思って国境ポリスに話をつけにいく。よく見れば、私のパスポートはその辺に放置されているではないか。ええい。手続きをせんか、と思ったが、ここははんなりと、「兄さん、パスポートの手続きをしておくれやす」と頼む。

イエメン入国の目的は?ポリスの取り調べ

しかし、むなしくさらに待つこと20分。「おい、面会の時間だ。ちょっとこい」と、カーリッドたちと引き離され一人、国境近くのプレハブに連行される。

何が始まるんだ?

辺鄙な場所のプレハブと聞けば、嫌な想像しかない。

そこにおでましになったのは、ポリスの中でも一段と偉そうな人であった。そのポリスと事務机を隔て、パイプ椅子に座る。権威はありそうだが、ニコニコとしていて柔和なお方である。仮に署長ということにしておく。

「ところできみい、イエメンに行くんだってね。どこから来たの?ドバイのなんていう会社で働いているの?サラーラ空港には何時に到着したの?」

署長は、私の答えを逐一紙に書き留めていく。警察の事情聴取さながらである。

身に覚えのない偽造文書をつきつけられ・・・

ひとまず身分を証明したところで、本題に入る。

「イエメンに入国するには、日本大使館の推薦書が必要なんだ。それは持っている?」

持っていない。

渡航前に日本大使館に行けば、出頭するようなものである。ジャーナリストの一件もあったので、なるべく大使館を巻き込んで、ことを大げさにしたくなかったのである。

また、アフガンの件があるので、たとえ大使館に申請したとしても推薦書はでないだろうと思っていたのだ。

だんまりをきめこんでいると、「署長!こんなものがありますがどうしましょう」、と横から割り込んできたのが、ヒラポリスである。ヒラの手には、カーリッドが提出したであろう、書類があった。

「これ、大使館の推薦書?なんて書いてあるの?」

それは真に偽造書類であった。

私だって初見である。しかし、一瞬で「日本大使館からのレター」と称した詐欺文書であることを察した。なぜなら、書類に押されているスタンプが、どこからどうみても中国の病院名だったからである。

雑すぎる・・・

ここで大使館からの推薦書だと押し切れば、イエメンに入国できるかもしれない。しかし、偽造文書だと発覚した場合、今後オマーン入国が難しくなるのでは・・・

「ねえ、なんて書いてあるの?」

私は何かを試されているのだろうか。頭をフル回転させたあと、なんとか絞り出したのがこれだった。

「いやあ、日本語みたいなんですが、私あまり漢字が読めなくて。この漢字難しいんですよね」

とりあえず漢字が読めないアホを演じた。さすがに「自分はバカです」と自白することは憚られる。親に400万円近くの大学の授業料と留学費を出してもらった手前、「自分はバカ」と宣言するのは心苦しい。

しかし、私の知らないところで勝手に偽装された文書で罪をかぶるのはゴメンである。もうよい。嘘をつくぐらいなら、さっさとドバイに帰ろう。

偽造文書の弁明から一転

「家族や友人は、今君がイエメンに行こうとしていることは知っているのかね。イエメンは危ないところだよ。」

「署長、イエメンに行かれたことはあるんですか」

「いや、ないけど。とにかく危ない場所だ。何かあったら、君をイエメンに行かせたことを後悔するし、悲しい」

ここで効果があるのかは不明だが、イスラム教徒であることを明かし、イスラーム教の理論でこねくりまわしてみる。

「私の人知に及ぶ範囲ではありませんよ。すべては神のおぼしめしのままです。死んだら、天国に行くだけですよ。だからお通しくださいまし」

署長の答えは意外だった。

「だったらなおさらだな。僕がもっと若かったら結婚を申し込んでいたかもしれないのに。残念だ」。

国境でのプロポーズ。けしからんポリスである。

こちらがイスラーム教徒だとあかすと、なぜか「こいつはよいムスリムだ」と納得したような顔をする人々が時々いる。もちろん、「人間です」と当然の宣言をしたかのようにスルーする人もいる。改宗者は、生まれながらのムスリムと比べ、とりわけ強い意志とやる気をもっているとみなされる傾向があるらしい。

まあ、私の場合はたいして確固たる意志もやる気もなかったのだが。人々は勝手にそう思い込むのである。

無念。国境を立ち去る

もうよい。こんな茶番劇は早く終いにしたい。結局、日本大使館からの推薦書ない。イエメン行けない。と結論付け、我々は早々に国境を立ち去った。

入国失敗。

ある程度、想定はしていた。それゆえ、ショックはそれほど大きくなかった。

明日からドバイに戻って仕事か。すでに気持ちを切り替えて我々は、来たばかりの道を戻ることにした。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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