14年ぶりに、イスラエル人の友達と再会。フンボルト大学の語学センター前にて。
顔は相変わらずだったが、ベルリンに住んで12年、ドイツの冬の厳しさが顔に深く刻まれているように見えた。単なる加齢かもしれない。しかし、ドイツで長らく住めばこうなるぞ、という恐ろしげな暗示に見えて、私は密かに震えた。
そして唐突のADHD告白。1年前に診断を受けて、現在は薬を飲んでいるという。上海で会ったゲイを自覚した友人然り、その人自身は変わらないが、皆それぞれ”別称”を持つようになったことが、月日の流れを感じさせる。
ADHDです、と言われ、正直どう対処すべきかわからない。いや、対処など何もしなくていいのかもしれない。何故なら話は普通にできるからだ。ただ、その名前は、彼の一部の”不可解”な行動を理解するのに、役立ったことは事実である。2人で話していても彼の視点は、キョロキョロあたりを見回して、狙いが定まっていないだとか。
一方、長い月日が経っても、なんの別称も見出せなかった私には、それがちょっと羨ましくもあり、また個性豊かな人が多いベルリンに住むことで、自分とはなんたるやについて、最近はよく考えるようになった。つぼみの花びらを丁寧にめくるように、これまであいまいにしてきた自分の特性に向き合うのだ。
自分にも何か新しい名前が欲しかったのかもしれない。そこで私は、ある名前に自分が該当するのではないかという疑惑を持つようになり、実際にそれを友人の前で披露してみると、「そんなセクシュアリティの人は今まで会ったことがないな」とのことであった。
マイノリティの中の、マイノリティをマジョリティに覆してしまうほどの、ハイパーマイノリティ。そんなニッチな名前をもてるのかもしれない、という優越感が心をくすぐった。
ベルリンに12年も住みながら、彼のセクシュアリティは荒ぶれることはなかったそうで、今は平穏に2年前に出会った彼女とモノガミー的恋愛をしているという。「2年前に俺たちが出会ってたらな」と彼は言ったが、私は「そうだとしても、私のセクシュアリティからしたら意味のないことだったよ」と、あっさりと言ってのけた。