気づけばこのブログを始めて10年近くになる。
ドバイに住み始めた時にこのブログを始め、中東だけのことをフューチャーする予定だった。しかし月日は流れ、ドバイ→世界各地を転々→マレーシア→ドイツと、もはや「中東探検隊」と名乗るには、難しい状況になってしまった。
ただ、意外と「進め!中東探検隊」というワードで検索してくれる人も一定数おり、変えるのはなんだかしのびない。けれども、ベルリン日記を書きながら、中東探検隊の文字がチラつき、なんだかなーと過ごす日々。というわけで、ようやく重い腰を挙げて、改名に至ったのである。
現在地のベルリンに合わせて名称を変更する、もしくは別ブログを作るなど、いろいろ考えた。しかし、また別の場所へ行く可能性もあるし、複数のブログ管理も面倒なので、汎用的なタイトルにした結果が「内向さんの異世界探検記」である。これならとりあえず、どこにいても使える。
AIやら動画やら新しいものがどんどん出てくる中で、もはやブログ(というか文章そのもの)を読む人は10年前に比べて、格段に少なくなっているに違いない。けれども、最近になって改めて思うのは、私にとってブログは必要なものであるということ。
それは読まれるというため、というよりも自分のためである。内向的な私は、多くを話すことはないけれども、ただじっとしてるだけで、頭の中にどんどん言葉がテトリスのように積み重なっていく。それをどこかで放流しないと、言葉で胃もたれしてしまう。時々、脳内をかけめぐる言葉がうるさすぎて、眠れないこともある。だから、ブログは私にとって消化剤みたいなものなのである。
だったら個人的な日記帳でもいいじゃん?と思うのだが、あえて人目がつく場所に置くことで、冷静になり客観的に状況を見つめ直す、という作業が加わる。このブログを私の生存状況、近況確認ツールとして使っている友人もいる。
ブログを書いているのは、自分のためといったが、それでもこの10年書き続けることで、良いこともちらほらあった。一番嬉しかったのは、芥川賞作家が自身のXのアカウントで、私の記事をシェアしていたこと。もしかしたら間違ってボタンを押したのかもしれないが、それでも芥川賞作家が私の文章を読んだであろう、という事実は、感想がどうであれ、めちゃくちゃテンションが上がる事態だった。
話は戻り、AIが出てきて、もう人間が記事を書かなくてもいいんじゃね?という風潮も強くなっている。
私は同じ質問を幾何学を描くアーティストにしたことがある。AIで作った方が早くね?と。けれども、彼の答えは「作品を作るプロセス自体が楽しんだよ。AIにその楽しみを奪われたくない」と。
私も同意見である。コスパ良く記事を書くことが目的ではないのだ。確かにAIに私が書きそう記事を書いてもらうことは可能だろう。しかし、それでは私の楽しみや成長を奪われることになる。なぜならこれは趣味であり、一種の瞑想みたいなもんだからである。
とはいえ、全くもってAIを否定しているわけではない。書くことでは使わないが、読みやすい文章にするにはどうしたらいいか、だとか、記事の感想を教えて、といった目的ではバリバリ使っているのも事実である。
というわけで、今後ともよろしくお願いします。