行くのが激ムズ!絶望の世界遺産マダイン ・サーレハに行ってみた

マダイン・サーレハは世界遺産に登録されており、サウジ観光のハイライトとも言うべき場所である。

「観光スポットだし、簡単に行けるっしょ♪」と、おそらく世界中の観光客がそう期待しているに違いない。

しかし、この世界遺産。公開は期間限定なのである。

世界遺産に行っても見れない!?

観光ビザを発給しておいて、そりゃないよ、と思うかもしれないが、サウジにはそうしたスポットがいくつかある。

観光ビザに浮かれて、はるばるサウジに来ても、観光できないスポットが結構あるのだ。

マダイン・サーレハは今のところ、「タントラの冬」と呼ばれる祭りのシーズンのみ公開されている。イベントは、12月末から3月初旬まで。それ以外の期間は、一般公開していない。

また祭りのシーズンにやってきたとしても、気軽に観光できるわけではない。シーズン中でも、多くのイベントが行われるのは週末で、観光客が押し寄せるのもこの時である。

ドル箱と化した世界遺産

さらに、イベントに参加するには、「タントラの冬」公式サイトでアルウラへの旅行パッケージの購入が必要になる。アルウラは、マダイン・サーレハへ行く最寄りの町だ。

パッケージは、一番安いもので約17万円。高いものだと、70万円近くである。週末のパッケージでこの値段。もはやドル箱状態である。

よって、イベント参加者の多くは見るからに富裕層であった。

なぜこんなにも高いのか。

マダイン・サーレハはもとより、最寄りの町であるアルウラも含めて、まだ観光地化していない。ホテルは非常に限られた数しかなく、宿泊費はボロ宿でもだいたい1万円からで、世界遺産プチバブルが到来している。

純粋に世界遺産を見に来たつもりが、なぜかぼったくりバーに来た気分になってしまうのだ。

かつて観光ビザを6万円で発行したり、ちょいちょい産油国らしからぬ悪いクセを見せるのがサウジである。いや、それほどに、国内経済は困窮しているということなのかもしれない。

マダイン・サーレハに行くには

マダイン ・サーレハへ行くには、最寄りの町であるアルウラが拠点となる。マダイン ・サーレハとアルウラ間は、車で40分ほどの距離にあるが、タクシーやウーバーなどで行くことはできない。

美しきオアシス都市アルウラの見どころと行き方

アルウラからは、まず「タントラの冬」祭りの会場である、ウィンター・パークへ行き、そこからバスに乗って移動する。ウィンター・パークはアルウラの町から離れた場所にあり、ウーバーやタクシーもほぼない。

マダイン ・サーレハ地図

また、個人で自由に見て回るということはできず、必ずツアーに参加しなければならない。

もはやたどり着くまでが、絶望の連続である。

旅行代理店のツアーに参加する

日本の代理店が組んでいるツアーであれば、マダイン・サーレハのみならずサウジ旅行すべてをカバーしている。

サウジはまだ観光地化していないため、国内の世界遺産をまわるには、お金がかかるし、交通手段もないので結構な苦労がかかる。

面倒な諸手続きをしなくて済むので、マダイン・サーレハのみならずサウジを一番楽に観光できる方法だ。

こんな分かりきった方法をわざわざ書くのも、そうしたツアーにすら頼りたくなるほど、サウジ観光が困難の連続だからである。

「タントラの冬」のアルウラ旅行パッケージを購入する

「タントラの冬」公式サイトでは、アルウラへの週末旅行パッケージを販売している。

アルウラへと主要都市を結ぶ往復航空券やホテル代、空港への送迎、マダイン・サーレハへの入場券、現地でのバス1日乗車券など、すべて含まれている。

個人で行く際の交通手段やホテルの確保の苦労を考えると、パッケージも悪くないように見える。実際に、ここを訪れる多くの観光客がこのパッケージを利用している。

が、クオリティとはかなりかけ離れたバブル価格になっているのが難点。

個人で行く

パッケージを利用せずに、個人で行く場合は、マダイン ・サーレハの見学ツアーチケットと、マダイン ・サーレハまでのバス1日乗車券(現地購入のみ)を購入する必要がある。

ツアーチケットは、85リヤル(約2,500円)。バス1日乗車券は、料金は1日で175リヤル(約5,000円)。

バスは、マダイン・サーレハだけでなく周辺の遺跡や、ホテルなどを30分おきに巡回する。この1日乗車券があれば、好きな時に乗り降りができる。


バスの路線図。レッドラインの”Hegra – Al Hijr (ヘグラ – アル・ヒジュル)”がマダイン ・サーレハの場所。ヘグラは、マダイン ・サーレハの古代都市名。

マダイン・サーレハへはレンタカーやウーバー、タクシーなどではアクセスできないので、このバスが頼みの綱となる。

マダイン ・サーレハ見学ツアーは、10時から15時までで、30分おきにある。ツアーが開催されるのは、月曜と火曜以外であるが、やはり週末に来た方が良い。

チケット購入は、「タントラの冬」公式サイトでもできるが、祭り会場であるウィンター・パークでも購入可能。

個人的には、会場での購入をオススメする。チケットを購入してもそんなツアーはないと言われたり、ネットの情報とリアルが違うということもしばしば。とにかく行ってみないとわからないことが多いからだ。

この祭りは2018年から始まったが、イベント運営者も何がなんだかよく分かっておらず、とにかくカオス状態である。

この記事を書いている私も、なぜ長々と書いているのかよく分からなくなってくる。ただ、世界遺産をみに行くだけだと言うのに。

個人で来たとしても、やたらと宿泊費が高いので、週末だけでも3~5万円ぐらいはかかる。特に交通手段がほとんどないので、かなり苦労する。

ジモティーも、パッケージなしで観光客がやってくることは、ほとんど想定していない。

聖書やコーランに登場する町、古代都市ヘグラ

ここまで残念なお知らせばかりが続き、行く気が萎えてしまったかもしれない。

前置きが非常に長くなってしまったが、ここからマダイン・サーレハについてご紹介していく。

マダイン・サーレハは、”サーレハの町々”という意味で、コーランに出てくる預言者サーレハの逸話に由来する。

この地に住んでいたサムードの民に神の教えを説くため、神のメッセンジャーとして派遣されたのが、預言者サーレハである。

彼は、岩山から突如としてラクダを出現させるという、世にも奇妙なミラクルを展開し、サムードの民を驚かせた。

そうした、逸話の舞台がここマダイン・サーレハなのである。

我々が現在マダイン・サーレハで見ることができるのは、紀元前2世紀ごろにこの地を支配した、ナバテア王国の遺跡である。

マダイン・サーレハは現代の呼び名であるが、その当時はヘグラと呼ばれていた。

マダイン・サーレハは第2のペトラ?

ナバテア王国といえば、ヨルダンにあるペトラ遺跡はよく知られているだろう。

ペトラはナバテアの首都であり、一方でヘグラは南部の重要な拠点であった。ヘグラはナバテア王国の第2の都市だと言う人もいる。

その点では、マダイン・サーレハは第2のペトラといっても過言ではない。実際に、ペトラとの共通点もいくつかある。

遺跡の建築スタイルは言わずもながな、例えば地名の由来。

ペトラは、ギリシア語で「岩」を意味する。マダイン・サーレハは、アラビア語で「アル・ヒジュル」とも呼ばれ、「岩々の場所」という意味である。

大きく違うのは、ペトラには巨大な神殿やローマ円形劇場などがあるのに対し、マダイン・サーレハにあるのは、その多くがお墓だということ。

岩山に広がるネクロポリス

その数は131基あり、ファサードと呼ばれる建物の正面に装飾が施されているお墓は、86基である。その多くが、1世紀頃に作られたものだと言われている。

中でも有名なのが、「孤独な城」とも呼ばれる「ファリード城(カスル・アル・ファリード)」。城という名前がついているが、正体はお墓である。


孤独な城、カスル・アル・ファリード

訪れた人々の目を引くのは、砂岩にほどこされた美しい装飾だろう。マダイン ・サーレハの墓で、正面に4本の石柱を持つのは、このお墓のみである。

マダイン・サーレハ_4つの柱
カスル・アル・ファリードの正面に施された4本の柱

マダイン・サーレハ_階段
上部にある階段のような装飾は、死者の魂が階段を登って天国に行けるように、と言う意味が込められている

現在、墓の内部に入ることはできない。が、墓の中には、何十人もの死者を埋葬するための埋葬室があるのだという。墓の入り口には、墓の所有者や年号が刻まれている。

そこから車で10分ほど離れた場所に、イブリス山がある。ここには、アル・ディワンという饗宴の間がある。

マダイン・サーレハのイブリス山
イブリス山

イブリス山_ディワン_マダインサーレハ
巨大な岩山をくり抜くように作られたアル・ディワン(饗宴の間)

ディワンは居間という意味。居間といっても、かなり広い。中には、コの字型のベンチがある。軽く30人以上は座れそうである。

広さからいって、宗教儀式の場として使われていたのでは、と言われている。先のファリード城とは違い、装飾はまったくほどこされていない。

その向かいには、ナバテア人が崇めていた神がいる。神といっても、岩の壁面に掘られたボワっとした形のものである。

ナバテアの神
ナバテア神が崇めていた神たち

ナバテア人は、多神教を信仰していた。ここにあるのは、ナバテアの主神ドゥシャラーをはじめとする、3種の神様である。

マダイン・サーレハのシーク
シークと呼ばれる峡谷。高さは40メートルにもなる。

お墓は131基あるのだが、ツアーでまわる場所は非常に限られている。それぞれのお墓は、遠くに点在しているので、歩いて回ることは困難だ。また、個人の車で見て回ることはできない。

オスマン帝国時代の鉄道駅

マダイン・サーレハの見学ツアーは、オスマン帝国時代に作られたヒジャーズ鉄道駅近くにある、小さな博物館からスタートする。

ここで、マダイン・サーレハについての簡単な説明を受ける。

その後に大型バスに乗り、マダイン・サーレハの遺跡を数カ所回るというのが、一般的なコースだ。ツアーは、英語とアラビア語で交互に解説。

マダイン・サーレハ博物館
マダイン ・サーレハの博物館。ジモティーがデーツやアラブコーヒーでもてなしてくれる。

ヒジャーズ鉄道駅_マダイン・サーレハ
ヒジャーズ鉄道のマダイン・サーレハ駅

ヒジャーズ鉄道は、オスマン帝国時代にダマスカスからマディーナまで巡礼者の交通手段として作られた。それまでは移動に40日かかっていたのが、鉄道開通のおかげで4日間で行けるようになったのだとか。

しかし、第1次世界大戦中に、アラビアのローレンスこと、T.E.ローレンス率いる部隊によって鉄道が爆破され、それ以降使われなくなった。

ツアーの時間帯によっては、ジモティーによるナバテア王国時代?の寸劇を鑑賞することができる。


舞台は世界遺産であるナバテアのお墓。場所が場所なだけに、臨場感がハンパない。


本格的な戦闘シーンもある

ショボい寸劇かと思いきや、役者たちの迫真の演技といい、見た目のそれっぽさは、まるでハリウッドさながらであった。当時にタイムスリップしたかのようである。

こういうところだけは、妙に力が入っている。できるならもっと別の場所に力を入れて欲しかったのだが。


オスマン帝国時代のフォートを改造した土産物ショップ。2階にはカフェがある。

「タントラの冬」祭りでは、マダイン ・サーレハだけでなく周辺の名所をめぐるツアーや、有名歌手などを招いてのコンサートイベントなども開かれている。

マダイン・サーレハ_エレファント・ロック
マダイン ・サーレハ周辺の見どころでもある、エレファント・ロック。単に象の形をした岩というだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。こちらも別途チケット購入が必要だが、かといって特別何かがあるわけではない。

アラビア馬
エレファント・ロックやウィンター・パークでは、アラビア馬に乗れる体験もできる。

サウジ観光あるあるなのだが、とにかく作りだけは立派である。サイトや映像では、何やら面白そうなことをやってまっせと言う雰囲気を出しているが、現実とは大きく乖離している。

おそらく欧米のコンサルなんかに作らせたのだろうが、いかんせん現場がカオスなのである。そのギャップに、落胆する観光客は少なくないだろう。

世界遺産の場所としては、とても素晴らしいのだが、いかんせんそこへたどり着くまでが、一苦労なのである。

また、ツアーで見学できる場所も非常に限られているのが、ちょっと惜しい。現在はツアーでしか訪れることができず、一般公開は、2023年になるかもという声もある。

ペトラのような誰もが気軽に行ける観光地になるまでには、あと数年はかかるだろう。数年後のマダイン・サーレハに期待したい。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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