サウジのダークスポット?シーア派地区に行ったらアラブポリスから職質された

日本で暮らしていた時は、職質を一回も受けたことがない。しかし、中東へ出てからはなぜか、よく職質というか、あらぬ嫌疑をかけられることが多くなった気がする。

サウジアラビアのアレッポ

サウジアラビア東部にあるアル・アワミヤという小さな町に行った時のことである。東部の中心都市ダンマンから車で40分ほど行った場所にある。

アル・アワミヤは、正確には町だった場所と言うべきだろうか。数年前にこの地域に住む住民と、政府軍の対立により、町は徹底的に破壊された。その様子は、まるでシリアの戦地のごとしである。

Awamiya__Inside_the_devastated_Saudi_Shia_town_-_BBC_News_-_YouTube2017年のアル・アワミヤ。画像はBBCニュースより引用

当時は、ジャーナリストでさえ立ち入るのが難しかったらしい。ある意味で、政府が見せたくないサウジのダークスポットである。

この地域に住むのは、サウジでは少数派とされるイスラーム教のシーア派の人々である。サウジ東部の周辺には、バーレーンやイラン、イラクといった国がある。これらは、いずれもシーア派が多数派を占める国である。

イスラーム教のスンニ派、シーア派という宗派問題は、博愛主義的なイスラーム教徒にたずねれば「スンニもシーアも関係ないべ。みんな、おんなじイスラーム教だべさ」という。

スンニ派とシーア派の違いをわかりやすく解説!似ているようで違う!

一方で、アル・アワミヤのように、シーア派というだけで政府から徹底的に弾圧を食らうこともある。それはバーレーンでも同じである。

美しき湾岸の島、バーレーンの裏路地に潜む影

なぜイランとサウジは仲が悪い?

2016年にイランとサウジアラビアが断交したのも、こうしたシーア派絡みの事件がきっかけとなっている。

2016年にサウジアラビアが国内のテロに関わった罪で、46名の人間が処刑された。その中に、推しのシーア派指導者がいたため、イランは激怒したのである。「シーア派の指導者を処刑するとは何事じゃ、ワレ」ということで、この事件以来、サウジとイランは絶交している。

もともとサウジはイランを恐れていた。なにせ、あのイラン革命が起こった国である。同じような革命が自分の国で起こったらどうしよ・・・ということで、サウジとしてはなるべくイランとは関わりたくないのである。

この辺は、高橋和夫氏の「中東から世界が崩れる〜イランの復活、サウジアラビアの変貌〜」に詳しい。

というわけで、サウジ国内にいるシーア派たちは、どこか腫れ物を触るような扱いである。シーア派スピリットの集大成である独自の祭りも禁止され、シーア派のアイドルである殉教王子の肖像画をそこかしこに飾ったりすることもできない。

しかし、こうした少数派ゆえに味わう辛酸こそが、シーア派としてのアイデンティティとコミュニティの絆を強くしているのも事実である。

消された町

実際に町へ着くと、そこにはもう町と呼べるものはなかった。辺りを見回すと、ほとんど更地になっているか、妙に新しく舗装された道路があるぐらいだった。遠くの方には、この地域でよく見かける伝統的な建物があるが、白々しいまでに真新しい。


弾痕が残る建物。他の建物はほとんど壊されて更地になっていた


サウジアラビアでもワンコはいた・・・

当時の面影を残すものは、すべて消え去ってしまったようだ。かろうじてあったのは、弾痕が残る建物と、10軒ほどの家が連なる住宅地ぐらいだった。住宅地といっても、継ぎ接ぎだらけの家である。


かろうじて残っていた住宅街

しかも、外部の人間が迷い込んでくるような場所ではない。住宅の前をウロウロしていたら、住民から「おめえ、何しとるんや」と怪しまれた。完全に不審者である。

迷い込んでしまった旅行者を装ったものの、迷い込むには無理がある場所なためか、さらに怪しまれた。

こりゃ、逃げるしかねえ!

アラブ警察につかまる

ということで、とりあえず住宅地を抜け、開けた道路へ出る。もうここは十分だ。とりあえず、近くにある飯屋によって帰ろう、と思った矢先。

パトカーである。

目を合わせないように、通り過ぎようと思ったら、案の定「おい、お前何しとんねん」とアラブポリスからご指名がかかる。

指名を断れば、さらなる災厄が降りかかると覚悟した私は、おとなしく招集に応じた。

声をかけてきたポリスは、無駄にやる気に満ち溢れていた。「おめえ、何者や!こんなところで何しとんねん!パスポート出せや」

警官は何人かいたのだが、「こんなやつ、捕まえたところでどうにでもならんぜ」という顔をしている。おいおい、怪しむんなら全員一致で声をかけてくれよ。

ということで、ムダにやる気があるやつの鶴の一声により、尋問を受けることになった。何でこんなところに来たのか、どこへ行くのか、仕事は何をしているのか、どこで働いているのか。

こういう時、無職というのは困る。いや、フリーランスであっても、なかなか理解してもらえない。なので、とりあえずドバイで働いているというと、ポリスも妙に納得した顔になる。

15分ほど経っただろうか。もはや取り調べることもなくなったのか、「こいつ、やばすぎん?ソマリアとかイラクに行ってるやん」と、私のパスポートをダシにした同僚ポリスとの会話が聞こえてくる。

アラブポリスにもドン引きされる人間とは一体・・・

その後は、この周辺を歩かないという条件で釈放されることになった。どこからどう見ても、危険そうな雰囲気はないのだが、ポリスは「飯屋に行くにしろ、ウーバーかタクシーで行け」とのたまう。

しょうがなく、飯屋はあきらめ、再びダンマンの町に戻ることにした。

結局町のことは、何一つ分からず、ポリスにもてあそばれるだけに終わった。

おすすめの本

そもそもなぜサウジとイランは争っているのか?サウジとイエメンが対立しているのはなぜか?そんなよわかりづらい中東情勢をわかりやすく教えてくれるのが、この本。

サウジは、まともな国ではなく、”国もどき”などとディスったりするあたり、国際政治学者でありながらも、ユーモラスにあふれている。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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