サウジ世界遺産の町で走る!ナバテア王国の遺跡と砂漠をめぐるマラソンレースに参加してみた

走ることを始めた当初は、ソマリランドマラソンに出場することだけが目的だった。

しかし、その前に立ち寄ったサウジで、ちょうどマラソン大会があるということを知り、参加することにしたのである。ちょいとした肩慣らしである。

公式なマラソンイベントに参加するのは、これが初めてとなる。

初開催のマラソンイベント

イベントが開かれるのは、サウジ北西部にあるアル・ウラという町。この町から車で1時間ほどいった場所に、マダイン・サーレハという世界遺産がある。

マラソンは、マダイン・サーレハ周辺をめぐるコースとなっており、10キロ、45キロ、85キロのレースがある。

このイベントは単発イベントではなく、フランスの団体が主催しているエコ・トレイルというマラソンイベントのシリーズものである。

今年のエコ・トレイルはサウジのアル・ウラから始まり、パリ、フィレンツェ、オスロ、ジェニーバなどと続く。

ほとんどの開催地がヨーロッパゆえに、なぜサウジ(しかも辺境の地)をチョイスしたのかが謎である。

富裕層のためのマラソンレース?

このアル・ウラレースは、参加すること自体がかなりハードルが高かった。アル・ウラへ行く交通手段はほとんどなければ、ホテルも観光客に対して絶対的に足りていない。

レースを走ることよりも、アルウラにたどり着くことの方が難しいイベントである。

またアル・ウラは観光バブルの真っ最中で、移動費にしろ宿泊費にしろ、とにかく高くつく。

2日間の観光パッケージは、安いもので15万円から。高いものは60万近くする。このパッケージには現地での移動や宿泊費などが全て付いている。このパッケージなくしては、アル・ウラを観光することは、ほぼ不可能と言えよう。

もはや富裕層のためのイベントである。

もちろん、私はそんな高級パッケージを買う余裕はないので、費用を抑えるためすべて自分で手配し、のこのことやってきた。

アル・ウラ空港についたものの、25キロ先の市内へ行く交通手段は、まったくない。ウーバーも使えなければ、タクシーもない。あるのは、パッケージ購入者に用意されたお迎えぐらいである。

「タクシーがねい!どうしよう!」と、その辺にいたイベントのボランティアたちに泣きつくと、「え?パッケージも買わないで、何できたん?」みたいな顔をされた。

パッケージなしでやってくる人間がいるとは、思ってもいなかったのだろう。

あたりを見回しても、移動難民になっているのは、私一人である。パッケージ購入者たちは、手配されたバスへ乗り込み、さっさと空港を後にした。空港に1人残された(しかも職員たちも帰宅している)私は、しょうがなくAirbnbで予約した民家に連絡し、迎えに来てもらうことで、難を逃れた。

実際に、国外からのイベント参加者の多くは、明らかに富裕層オーラを漂わせていた。

首都リヤドから、飛行機でアル・ウラへ行く途中。

機内で乗り合わせたのは、パリコレにでも出そうなおしゃれフランス人軍団、そして明らかに富裕層オーラを漂わせている人ばかりであった。

狭い機内には、富裕層が醸し出す独特のオーラが充満していた。

特に衝撃を受けたのが、隣に座っていた女性である。

「すみません、真ん中の席なんですけど、いいですか?」

「どうぞ」といって彼女を席に通すために、通路に立ったのだが、見てしまったのである。

彼女が手にしていた物を。

彼女が持っていたのは、Macbookとスマホのみが収められたレザーケースであった。革なのに色がグリーンという、なかなか市場に出回ってなさそうな色合いをしたケースである。

何ということだろう。

かつて何度も飛行機に乗ってきたが、Macbookケースのみで、スマートに搭乗している人は見たことがない。

最強のミニマリズム。

なんという上品感。

そして、Macbookとスマホしか持たぬ、という富裕層の余裕感。

これが富裕層というやつなのか・・・

その圧倒的かつ、包み込むような優しいオーラに、私はおののいた。

富裕層オーラに包まれると、なぜだか自分まで上品な人間になったような気がするから不思議だ。これぞ富裕層オーラのおこぼれである。

サウジ女性との出会い

レース前日は、市内から車で40分ほど離れた、岩山にある高級リゾートホテルへ行く。レースの登録と、ゼッケン番号を受け取るためである。マラソングッズも一式プレゼントされた。参加費用は35ドルだったのに、なかなか豪勢である。


マラソングッズ

レース当日は、私が泊まっている宿泊施設から40分ほど離れた場所へ車で移動。そこから、レース参加者専用の大型バスに乗ってスタート地点へ向かうのだ。

バスの中で出発を待っていると、女性が隣に乗り込んできた。

話を聞くと、東部のダンマンから来たというサウジ女性であった。相当おしゃべりなようで、聞いてもいないのに、己の情報をバンバン開示してくる。

歯科医として働いていることや、子どもが3人いること、そしてシングルマザーだということ。山が好きで、暇を見つけては、世界各地を訪れていることなど。

「本当は今週末、友達にドバイに行こうって誘われたんだけど、断ったの。だってショッピングしてもねえ、虚しいだけでしょ。お金をたくさん持ってても、不幸な人は私の周りにもいるわ。ブランド物をたくさん見につけてても、いい家に住んでても、幸せにはなれないの」

ヒジャーブをつけたサウジママンは、とつとつと語る。

「むしろ、私は貧しい人から色々と学んだわ。キリマンジャロに登ったんだけど、タンザニア人のポーターさんの目が本当にキレイでね・・・」

山や自然にそんなに興味がない私は、「へえー」と適当に流していた。まさかその数ヶ月後、自分がタンザニアで同じくポーターにお世話になるとは、思ってもいない。

「人生にねえ、ちょうど良いタイミングってないのよ。その時が来たら、それがタイミングってわけ」

その時、サウジママンに後光をみた気がした。

次の予定も考えずに会社を辞め、ドバイを離れ、中東・アフリカを転々と移動することになったわけだが、どこかでもっと良いタイミングがあったのではと思っていたのだ。

ちゃんと次の段階の準備をして、ここぞ!という時に会社をやめ、ドバイを離れるというタイミングである。

けれども、そんなもんはなかったのである。

自分の好きなことにパッションを持って邁進する人は、いつも素敵だ。サウジママンは、そんな人だった。やっぱりマラソンとか自然が好きな人というのは、なんかハツラツとしている。というか、妙に前向きである。

1キロもいかないうちにギブアップ

45キロ、85キロレース参加者たちは、夜明け前に出発済みだった。なにせ太陽がのぼってしまえば、急激に気温が上昇する。暑くなる前にレースを終わらせなければいけないのだ。

10キロレースが始まるのは、朝9時半である。

10キロともなると、私のような初心者や、とりあえず楽しく走れればOKみたいな人々が集まるようで、会場は何だか色めきだっていた。

エレファントロック
会場近くから見えるエレファント・ロック(右)


レース会場


サウジの民族音楽を流し、テンションマックスで踊る人々。パリピか。

会場アナウンスによれば、レース参加者の6割がサウジ人の参加者。残り4割はヨーロッパからの参加者だという。中でも多いのは、やはりフランスであった。

リヤドやジェッダといった大都市では、多くの女性は未だ目だけを出す二カーブをつけ、体を黒い布ですっぽりとおおっている。けれども、ここには東京やドバイと同じようなマラソンウェアに身を包んだ参加者ばかりであった。


スタート地点

そして、いざレースが始まったと思いきや、さっそく砂漠である。足が砂にズボズボ埋まるではないか。

何やコレ・・・?

10メートルも行かずに、すでに歩き始めているサウジ人もいる。そして300メートル地点で、現れたのが砂丘である。


スタートしてからすぐに登場した憎らしき砂丘 

スタートしてから間もないので、とりあえず頑張って走り続けたいと思うのが、無駄にやる気のある初心者である。ここに来た時点で、すでに10キロは完走する体力がついていたので、完走よりもタイムを目標としたいところであった。

砂丘を駆け上り始めたが、ふと思った。

こんなん無理じゃん?

ということで、1キロもせずに歩いてしまった。というか、後ろを振り返ったら、ほぼ全員歩いてた。


参加者を苦しめた砂丘。もはやタイムを追うのは無理だと判断し、立ち止まって写真をとることにした。

こんな砂丘を駆け上るなんて無理である。砂丘というのは本来、見て楽しむものか、デザートサファリでよほどテンションが上がった時にのみ駆け上がるものである。

レース序盤で現れてはいけないのである。

砂丘の次に現れたのは、隕石が散らばったような岩山である。次のお題は、この岩山を下ることなのだが、石コロが多すぎて、足をくじきそうになる。


第2の難関。岩だらけのコース。道がない。

これは障害物競争である。

その後は、強い日差しが照りつける中、足を砂漠の中へ突っ込みながら、ゴールへ向かうのであった。もはや、心情としては丸焼きチキンである。


ようやく舗装された道路に突入

てっきり舗装された道路を走るもんかと思いきや、レースの半分以上が砂漠もしくは岩山であった。

ピース&ラブなやつら

当初、私はマラソンは個人で淡々と走るものだと思っていた。けれども、それは違った。

こうしたイベントともなると、参加者の間で奇妙な仲間意識が芽生えるらしい。それは、私が苦手とするパリピ集団みたいな雰囲気であった。

「ブラボー!!!」

「その調子!いいわよ!」

ひえっ!?

すれ違った見知らぬランナーから声をかけられた。なんだなんだ。マラソン中に、人とすれ違ったら、声かけなきゃいけないのか。

初めて遭遇したマラソンの流儀に、おののいた。

とはいえ、こちらは何と答えたら良いのかわからず、とりあえず何かを発せねばと思った挙句、「ははっ」というつまらない愛想笑いをしてしまった。向こうとしたら、無愛想な上に不気味であろう。というか、レース中に声を発するのは、結構しんどい。

最後まで砂漠に足を突っ込みながらのレースであったが、最初に出現した地獄の砂丘コーナーを除けば、歩くことなく最後まで完走することができた。

なんだったんだこのレース。

こうして初めてのマラソン大会は、幕を閉じたのである。10キロのタイムは1時間12分。コースの半分以上が、砂漠だったことを考えれば、まあ悪くない。


ゴール地点
 
完走者がもらえるメダル

そして、泊まっているホテルに帰ろうとしたが、全くもって移動手段がなかったので、その後1時間半かけて歩くことになった。

こうして私の長いレースは終わったのである。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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