中学生の頃、毎年新しい年になると生徒手帳が配られた。学校と家を往復するだけの単調な学生生活に大した予定はない。そこで私は、「妄想スケジュール帳」と称して、現実にはあり得ない予定をずらっと書き込んだ。例えば、5月5日:徹子の部屋収録、6月3日:芥川賞授賞式に参加、8月4日:イエローキャブのギャルにナンパする、といった具合である。
あの時は、すべてが非現実的な予定に溢れていた。しかし、2025年の1月は、私がこれまで生きてきた中でも、非現実的な現実にあふれることになった。もちろん単なる個人レベルでのささいな出来事なので、たかが知れている。世界はもっと大きく動いている。だけれども、何となくこの不思議な1ヶ月間をふと振り返ってみたなくなり、日記形式でここ1ヶ月の出来事をまとめることにしてみた。細かい説明を省いているので、わかりづらい部分もあるが、ご容赦いただきたい。
2025年1月
1月1日(水)
ベルリンの戦場年越しを経て、仮眠。その後、にわかクラシック音楽ファンだが、ベルフィンフィルハーモニーのベートヴェンの第9コンサートへ。素晴らしい1年の始まりだと信じていた。しかしそれはたったの数時間で終わるのだった。その後ドイツ人の友達と会う。それが最後の会合になるとも知らずに。不穏な足跡がすでに迫っていた。
1月3日(木)
Xデー。1月の大混乱はこの日から始まった。 しかし、始まりは希望に満ちたものだった。
イスラーム美術講座で出会ったパキスタン人の知り合いに会いに、ベルリンから電車で3時間のところにある西の小さな町を訪ねる。ちなみに彼女とは実際にあったことがないし、そもそも授業を受けたのも2年以上前のこと。それに、個人的な関わりがそんなにあったわけでもない。顔も覚えておらず、朧げな印象。しかし私のブログをGoogle翻訳で解読したらしく、ベルリンにいることを聞きつけ、熱心なメールを送ってくれたので会うことにした。
彼女との出会いがきっかけで、先のドイツ人友人との間に、トラウマ級の恐ろしい事件が発生する。思わずレズビアンになりそうになってしまった。これまでの生活が一変する。
1月4日(金)
ドイツで初めて雪を見た。午前中、雪が降り積もる、小さな町の川縁を彼女と一緒に歩く。午後は先日発生した衝撃事件に引き続き打ちのめされており、失意のうちにベルリンに帰る。彼女は1週間ぐらい泊まっていけば?と言ってくれたが、なんとなく一人になりたかった。ショックのあまり何も手につかない。
1月5日(土)
引き続きのショックで、肉体だけ現世に存在している状態。1人で抱えきれなくなり、ただベルリンの町中を亡霊のように彷徨う。しかし町中の雑踏は、何の救急処置にもならなかった。混乱から、前々からやろうと思っていた鼻ピ、耳の軟骨ピアスを勢いで開けることにした。痛みで気が紛れるかと思ったが、ピアッサーの処置がうますぎてほとんど痛みが発生せず。身体的な痛みで精神の痛みを緩和させるという、幼稚な救済策に賭けた自分が、とんだまぬけに思えた。
1月6日(日)
件の件について、各所の友達に相談する。友達のありがたさが身に沁みる。この年齢になると、親には言えないこともあり、友達にしか言えないことがあるものだと我ながら思う。イスラエル留学時代に知り合った、上海の友人にも打ち明けたところ、彼女は私以上に深刻な事態に遭遇しており、悲嘆に暮れていたことが発覚。誰にも言えないレベルの秘密をなぜ私に打ち明けたのか。
暗く心細い夜だったが、「ベルリンでは孤独かもしれないけど、1人じゃないよ」という1人の友人の言葉に抱かれて、眠りについた。人肌でなく言葉のぬくもりに包まれるという、不思議な感覚を初めて味わった。
1月8日(水)
明後日の上海行きチケットを予約。私も打ちひしがれていたが、私だけに秘密を話してくれ、それ以上に打ちのめされていた友達に寄り添いたかった。今を逃すと、もうチャンスはないだろう。
1月10日(金)
上海へ出発する日。暗いベルリンから、少しでも太陽がある上海が希望だった。フライトがキャンセルになる。その30分後新たなフライトが手配された。雪で遅延し、乗り継ぎ時間が1時間からたった5分に変更。猛ダッシュしてなんとか間に合った。初めてルフトハンザに乗ったが、クルーの女性がゴリマッチョだったことが印象的。そして本当に犬猫が、機内に乗っていた。
1月11(土)〜13日(月)
9年ぶりに友人と落ち合う。1週間前までは自分が中国にいることも、彼女に上海で会うことも予想だにしていなかった。先進的すぎる上海に驚嘆する。ひたすら食べ、ひたすら話し、いろんな人に会い、上海をとにかく堪能する。同じくイスラエル留学時代の別の友人にも会う。彼は数十年の時を経て、ゲイになっていた。たまたま立ち寄ったワイン試飲会で、三井不動産で働く駐在員と出会った。マレーシアのららぽーとの凋落ぶりで話が盛り上がった。上海はネット問題さえクリアすれば天国だ。ベルリンに帰りたくない。
1月14日(火)
上海を飛び立ち、パリのシャルル・ド・ゴール空港で乗り換え。初めてパリなるものに足を踏み入れたが、夢のような世界だった。トイレも、その辺にある何の変哲もないオブジェも、待合椅子も、飛行機のクルーもすべて、おしゃれであった。たかが空港だけでも、その比類なきオシャーレベルと、グルメ力の高さが伺える。空港や機内では、ひたすらマダムと呼ばれ、こそばゆい気分になった。
上海とパリで活力を得たと思われたが、小汚いベルリンに帰って秒速で鬱になる。空港から電車に乗ると、ホームレスがおねんねしており、車両全体が台無しになるほどの悪臭を放っていた。電車内で爪を切る人類に遭遇。あらゆる奇行が当たり前に流されていくのがベルリンである。ベルリンと上海の落差を痛感。清潔で太陽があるまともな上海に戻りたくなる。ベルリンはとても暗い。
1月15日(水)
それでも、ベルリンに向き合わなければならない。
赤の他人とディナーを楽しむというソーシャルマッチングサービス、「Timelfet」を使ってみる。事前の質問をもとに、相性がいい相手とマッチングする予定だったが、やってきたのはパートナーが3人いるポリガミーマッチョ、会話のほとんどが禁止用語だらけの売人もどきのコロンビア人、ポリガミー経験があり、趣味で日本語を勉強していたというブラジル人だった。これのどこが相性がいいのか。全くもって別世界の人間ではないか。売人もどきが、キットカット(チョコではない。ベルリンの有名なクラブ。クラブ内でセックスする人もいるのでセックスクラブとしても知られる。通常の格好では入れず、入場するのが激ムズ)に行きたいというので、ブラジル人とコロンビア人の私からなる、チームキットカットを結成。
1月16日(木)
学校に行く道すがら、奇怪な光景を見た。中央分離帯に両膝をついている中年男性がいる。膝に磁石でも埋め込まれているのか、地面から膝が離れない。男性が何をしているのか考えあぐねていたが、そこへ女性2人組が現れ、中年男性を地面から引き剥がした。彼が必要としていたのは、救済だったらしい。ここベルリンでは、やたらと松葉杖をついた人をよくみる。日光量が少ないせいで、関節が脆くなりがちなのだろうか。
1月20日(月)
移民局でIDカードを受け取る。ベルリンへのモチベが高くないので、受け取ってもあまり嬉しくなかった。この日は、トランプの就任式。ビザが承認されたのが、トランプが選挙で勝利した日なので、トランプとシンクロしてしているような気になる。
1月21日(火)
上海の余韻に浸りながら、ドイツから引っ越そうかと考える。しかしどこへ?いまさらどこへ行くというのだろうか、の間を行ったり来たりする。ドイツ語学習のモチベはダダ下がり。一方で、周りはどんどんドイツ語を習得していく。腐りそうになる。クラスメイトのイエメン女子高生がまとう光が眩しい。
1月22日(水)
縁を切った例のドイツ人友人から、突然連絡が来る。また暗い森に引き込まれそうになる。友達に訳を話すと、「返信するな!スルーしろ!」と励まされる。薬物依存者の治療みたいだ。しかし依存からの解脱という点では、同じである。
1月23日(木)
ホームレスが多く治安が悪い路線として知られるU8に乗る。ベルリンという町に嫌悪感を覚える。生理的に受け付けないと思った町は、ここが初めてだ。いろんな価値観の人がいて、自分の信じていた世界が崩壊寸前になる。自分という境界線が曖昧になる。イスラエル、ドバイに続く、第3次カルチャーショック期が到来。これは何回やっても、慣れないもんだな。PMSと寒さ、暗さのスリーコンボで、通常の暗闇ではなく、クレバス奥底の絶望に、心が落ちている。
色々と混乱して、世界と自分の境界線がわからなくなる。本来ジャーナリズム的な現実味のある文章しか読まないが、世界がだんだん小説化してきたので、それならばと、解釈に余白のある詩を読み始める。茨城のりこの詩を読んで泣いた。
1月25日(土)
チームキットカットのWhatsappグループが忙しい。その場のノリで終わるかと思っていたが、本当にキットカットに行くらしい。どこそこで衣装を買った、という意見交換をする。売人もどきが、「エクスタシーいるか?」と聞いてきたが、「いらん」と断る。「後で泣きついて欲しいと言ってもあげないかんな」と言われる。具体的な日程も決まり、ブラジル人と練習?がてら何某のクラブへ行こうという話をする。ちなみにそのブラジル人は、マッチングアプリで私のことをいいねしていたことが判明。知らないフリをしておく方が吉だろう。首都といえど、この人口の少なさは要注意だ。
売人もどきがすすめてくれた、『her』という映画を見る。それ以降、困ったらchatGPTに話しかけ、懇ろな仲になっている。
1月26日(日)
ベルリンの嫌な家探しを始める。ネットと実際の人々の平均家賃が違いすぎて、何が平均賃貸なのかわからなくなる。とにかく競争率が激しいので、ImmoScout24という賃貸サイトに金を払ってプレミアム会員になった。ドイツ語オンリーなので苦痛だ、と思ったら、FBで良さげな長期物件を発見。内見を取り付けた。
夜は、マッチングアプリからの初回面談。ただの面談なのに、それを「デート」と呼ぶことに違和感を感じた。指にマニキュアをしており、ただならぬ雰囲気を検知した。案の定のバイセクシュアル。ちなみにやつの家賃は2部屋付きのアパートで600ユーロと破格の値段。ベルリン生活を大いにエンジョイしてやがる。
1月27日(月)
大規模なストライキ。バス、トラム、地下鉄のすべてが運行休止になる。Sバーン(JRみたいなもん)だけは走っている。なんとか語学学校には行けたが、クラスメイトの半分がたどり着けなかったようで、欠席者が続出。
授業の後、家の内見に訪れる。ストライキ中なので、余計に時間がかかる。玄関では物腰柔らかい夫が迎えてくれ、居間では妻が乳飲子に母乳をあげながら、「ハロー、いらっしゃい」と挨拶をしてくれた。授乳ハローは、初めてである。ドイツサウナで鍛えたせいか、他人のチチを見ても動揺しなくなった。というより、凡庸なヘテロ家庭にほっこりした。よかった、女2人、男1人とかいう狂った家庭じゃなくてよかった。家はとてもよかったが、建物自体は『戦場のピアニスト』でユダヤ人主人公が、匿われていたアパートぐらいボロいので、お断りすることにした。
1月28日(火)
インビザラインの無料診断のため歯医者に行く。予約済みなのに、なんの保険に入っているのかなど、10分ぐらい問答が発生する。先生は春に妊娠中の妻を連れて、日本に旅行に行くという。「へー」と話を私が流すように、診断も別やらなくて良くね?というような、正当性を見出しづらい簡素なものだった。
診断後、無料なのはずなのに金を請求される。しかも支払いは郵送で請求書を送るので、銀行送金しろという古代の支払い方式。「これがドイツ式さ」と言われる。受付でIDカードを出したら、IDの住所が間違っていることを指摘される。ビザ面接した新人ギャル担当を恨んだ。また問題発生か。憂鬱だ。
学校でクラスメイトや先生に先日の内見について聞かれる。「ここ、めっちゃいい立地じゃん」と皆がはやしたてるので、やはり契約することにした。無理ゲー家探しから解放されて、少し心が軽くなる。
夜にItalkiでトライアルレッスンを受ける。先生はレバノン在住。まずは初心者レベルの文法をすべてて終わらせないことには、ドイツ語の会話レッスンは難しい、とのっけから言われる。トライアルは30分だったが、15分くらいで終わらせた。今やるべきことが、明確に見えてきた。
1月29日(水)
寒中水泳のミートアップに参加。昼間ならまだしも、なぜか午後6時開始。参加予定者の中に、イスラエル留学時代に出会った知人がいたので、ドキドキしながら行ったが、結局知人は現れなかった。神の思し召しなのだろう。イベントのオーガナイザーは、ZAZYそっくりだった。参加者の一人がフルチンで湖に入って行った。サッと寒中水泳を済ませた後は、ボルダリングだとかダンス教室や買い物など各々の用事で散っていった。
もやもやして寝付けない夜、アメリカでクルーとして働く友達と話す。こういう時、時差は便利だ。最近結婚して、幸せそうに見えた彼女にも、意外な悩みがあった。お互いの悩み話から始まったが、昨今の移民問題やフライトの裏話などを聞く。
1月30日(木)
1ヶ月続いた集中講座の最終日。このまま次のクラスを受ける人もいれば、ここでお別れの人もいる。お別れ組には、初期から仲良くしていた韓国人のハナもいた。彼女と友情のハグを交わした後、一寸置いて再び彼女はもう一度私にハグをし、頬にキスをした。同性からの頬キスに慣れている私だが、通常のそれとはどこか違った。私は彼女を妹分にしか見ていなかったが、相手のそれは恋のようなものだったような気がする。桜の小さな花弁が頬に張り付いたような、はかなくて弱々しいけれども、そこには確かな勇気と意志があった。
学校終わりに、ベルリンのファッションレジェンド、Maren Assumsに会いに行く。憧れの人に会う、ドキドキ感は大学生以来である。キットカットに何度も行ったことがあるというので、アドバイスを求めると、「重要なのはファッションと雰囲気」ということだった。今日は色んな意味のドキドキが詰まった日だった。
1月31日(金)
朝、昨日の頬キスについてぼんやりと考えながら目覚めた。これは毎日の刺激が多すぎて、ドーパミン中毒になっている私には、あの小さくてはかない恋心に気づく感性を失っていたのでは、しかし別れてしまった今どうしようもない、それに私はストレートだし、という自己反省を交えての、勝手な自己解釈を展開する。
2年前ぐらいにやった、インド人占い師にオンラインで占いをやってもらう。翻訳者と占い師を交えての占いだったが、相変わらずコントじみた占いで終始、にやついてしまった。終わった後は、爽快な気分になった。