アフガニスタンにほど近いペシャワールへやってきた。となるとやることは決まっている。
アフガニスタン絨毯を見たい
である。
すでにトルコで絨毯の呪いにかかり、あれだけ絨毯に苦しめられ、悟りすら開いたのに。人間というのは学ばない生き物である。
トルコ絨毯の一件以来、絨毯生産が盛んな地域にやってくると、どうしても絨毯を見てしまうという、体質になってしまったようだ。
地元ガイドにより、絨毯売人が召喚された。顔つきからして、千駄ヶ谷にいそうなおじいちゃんである。彼はアフガニスタン人であり、元イスラーム戦士、ムジャーヒディーンでもあった。
ソ連がアフガニスタンに侵攻した際に、イスラーム戦士として戦った経歴を持つ。彼はその戦いで父親を失った。戦いはもうこりごりだといって、絨毯売人に転身したのである。
元イスラーム戦士にして、現在は絨毯の売人
アフガニスタン絨毯といえば、戦争絨毯が有名である。戦車や銃をモチーフにした図柄が描かれている絨毯で、ソ連軍侵攻があった1979年から作られている。9.11や米軍のアフガン侵攻を描いたものもあり、この国がいかに戦争に翻弄されてきたかがわかる。この戦争絨毯は、アフガン絨毯のシグネチャー絨毯といえよう。
9.11を題材にした絨毯
トルコと同じく、絨毯のカタログなるものはないので、片っぱしから絨毯を広げて見ていく。
アフガニスタン絨毯
取り扱っている絨毯はとにかくサイズが大きい。見たい絨毯が真ん中らへんにある場合は、数人がかりで上の絨毯をどかさなければならない。大がかりな作業となる。
動物をモチーフにした絨毯
そこへやってきたのが、絨毯屋で働く青年団だった。何気なく顔を見ると、そこには日本人がいた。
ひえっ
我々と同じ顔をした人間がいるではないか。
東アジアならともかく、ここは顔つきがくっきりとした人間が多いパキスタンやぞ。
それは未知との遭遇だった。
頭では日本人ではないと分かっていても、はたから見れば、ひげをたくわえ民族衣装を着た日本人のように見える。
パキスタンでの未知との遭遇
並ぶと我々は兄弟のようである(一番左が筆者)
日本人に激似なアフガニスタン人を前に、あうあうと私がおののいていると、
「はは。彼らみたいな人はヘラートによくいるんだよ」
とガイドが言った。
ヘラートとは、アフガニスタン第3の都市で、中央アジアに近い地域でもある。おそらく彼らは、アフガニスタンに多くいると言われるハザラ人なのだろう。パキスタンにもハザラ人はおり、私はパキスタンの民族衣装を着ているとハザラ人と間違えられることもあった。
出会ったことのない実の兄弟に出会ったような気分である。
昔、ウズベキスタン料理屋でキムチ料理が出てきたのを思い出した。遠い異国の地になぜか、我々にとって身近なものが定着している。ああいう不思議な感覚だ。
見知らぬ土地での意外な出会いのせいか、気が緩んでしまったのだろうか。
気がつけば、「いつかおしゃれな家に住んで、この絨毯を飾ろう」という、絶対にやってこない未来予想図を描き、絨毯を購入している自分がいた。トルコやイランに比べると、絨毯の質は劣るが、アフガニスタン絨毯の素朴で自由なデザインが気に入ってしまったのである。
購入した絨毯。左端にいる二足歩行のコアラが気に入ったため購入。
そして例のごとく、重すぎる上にかさばる絨毯を、ひきづりながら旅をするという、いつもの愚行へと走ってしまうのであった。スーツケースに入らないから無駄なものは買わないという掟を立てているのに。