アフガニスタン入国ビザを取得。ペシャワールの旅2

翌日、我々が朝一で向かったのは、アフガニスタン大使館だった。アフガニスタン観光ビザを取得するためである。

なんでこんなことになったのか。

昨夜のこと。プリンスとだべるだけでほぼ終了したのだが、意外な出会いがあった。ローカルレストランでプリンスと食事をしていると、外国人女性とその地元ガイドが現れた。そのガイドとプリンスは、知り合いである。

「彼女、明日アフガニスタンに行くんだよ」

は?

アフガニスタンって今いけるの?

スウェーデンからやってきたという女性は、ドバイで観光ビザを取得し、明日イスラマバードからカブールへと旅立つのだという。白髪混じりの金髪女性は、かなり細身でどちらかというと神経質そうに見えた。見た目で判断するのもなんだが、アフガニスタンへ行く、という感じではない。

聞くところによると、彼女は1年の半分を旅行に費やしており、今年はシリア、オマーン、サウジ、イエメン、モルディブなどへ行ったのだという。資金はスウェーデンでバイトなどをこなして調達。十分な資金がたまれば、旅に出る。これを10年近く続けているらしい。

パキスタンでは1ヶ月ほどを過ごし、アフガニスタンの次は「ウズベキスタンにでも行こうかな」という、生粋のバックパッカーであった。のちに、アフガニスタン旅行を終えた彼女に連絡を取ると、イラクのモスルにいた。

「イスラマバードでもビザは取れるけど、あっちは人数が多いから時間がかかる。ペシャワールなら数時間で取れるよ」

「じゃあ、ビザ取りに行くか」

という流れで、急遽ビザを取ることにしたのである。

アフガニスタン大使館の周りは、厳重にガードされており、容易に近づけないようになっていた。地元では顔の広いプリンスのおかげか、顔パスで大使館へ入り、早々に手続きが始まった。外では、数十人の人々が書類申請を待っているというのに。

パキスタンではあらゆることがコネで進む。また外国人は、この国では来賓客の扱いを受け、あらゆる面で待遇される。逆にいえば、コネがなければ何もできないことを意味する。残念ながらこの国に、公平性というものはない。

パスポート写真と、パスポートコピー、パスポートを担当者に手渡す。ビザ代は80ドル。現金払い。ドバイでは、300ドルだったというから、申請場所によって違うのだろう。

途中、担当者がやってきて何か話しかけている。「ウルドゥー語は話さないのか?アラビア語はいける?」ということで、なぜかアラビア語になった。こんなところで、アラビア語が役に立つとは。

パキスタンで何をやっているのか?学生なのか?じゃあ、学生証を見せろ。学生証がない?なら何を勉強しているんだ?といった、ビザ申請に関係のなさそうなことばかりを聞かれる。

「みてみて。あそこにいるのが、タリバンだよ」

同行していたプリンスが、ひそひそ声で話しかけてきた。茶目っ気と好奇心が入り混じる顔で、タリバンの男を指差した。噂好きな女子高校生か。

ええい。やめんか。タリバンにバレるだろ。

ここで無駄にきゃっきゃとしてはならない。虚空を見つめるかのように、無関心を装った。とはいえ、タリバン政権下でビザが発行されるのだから、実際はタリバンにビザを発行してもらっている・・・という図式になるのだろうか。

プリンスにこのことを話すと、「タリバンもさ、外貨収入が欲しいんだよ」などとのんきに答えた。

この時点で、なぜ観光ビザを申請しているのか自分でも分からなかった。ただ反射的にビザ申請をしているのだ。6年前の雪辱を晴らすために。

6年前。私は旅行代理店を通じて、ドバイでアフガニスタンの観光ビザを申請した。しかし、外務省のレターが必要という特殊な条件により、取得ができなかったのである。無理な条件を課すことで、日本政府が事実上、観光ビザの発行を差し止めているようにも思えた。

当時は若かったせいか、日本人というだけで観光ビザが取れない!政府が国民の行動制限をしている!などと憤怒したものである。それほど、アフガニスタンに行きたいという思いが強かった。

申請から待つこと約2時間。

「ほらよ」

パスポートには確かにアフガニスタンビザがあった。有効期限は3ヶ月。ただし、入国してからの有効期限は1ヶ月。1ヶ月もアフガニスタンに滞在できるとは、太っ腹である。

本当にあったんだ・・・

未確認生物を見たような気がした。

大使館からの去り際、職員女性が話しかけてきた。

「ビザとれたんだってね。おめでとう!」

この一言で、本当にビザが取れたんだという実感が湧いてきた。

ビザが切れるまでにはまだ時間がある。

しかし、アフガニスタンへ行くことはないだろう。アフガニスタンに行きたくてしょうがなかったかつての自分は、もういなかった。

ただ、6年前のケリをつけたい。アフガニスタンの観光ビザを手にすることで、その雪辱を果たすことはできた。けれども、今の自分にとってそのビザは、単なる紙切れ以外に他ならなかった。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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