アフガニスタンへのビザを取得したものの、結果的にアフガニスタンへ行くことはやめた。
それは単純にこのご時世だから、タリバン政権だから、といったぼんやりとしたものではない。事実、このご時世でも、タリバン政権でも旅行している旅行者は日本人も含めいる。彼らはメディアの声ではなく、実際に現地をよく知る人間を介している。
ではなぜなのか。理由はいくつかある。決定的だったのは、フンザでの出来事だった。
初めてトロフィーハンティングを知った時は、衝撃的だった。お金を払って、ライオンやキリンを撃ち殺すなんて、金持ちの趣味はわからんな、というのが正直な感想である。けれどもパキスタンでそれを聞いた時は、違和感だった。
あれ、自分も同じようなことしてね?
決して安くないお金を払い、動物をハントする。狙った動物を仕留めた時の達成感。そして大きな獲物の前での記念写真。彼らにとって、動物を仕留めることは、トロフィーなのである。
一方で、旅行先としてはあまり人が行かない場所へ行ってきた自分(というか中東地域がそういう国が多かった)。安全のため必ず現地のガイドやツアーを通すようにしているので、安くはない。80万円近くかけてソマリアに3回も行ってたり、イラクやイエメン、サウジ旅行に合計60万以上かけたり。
単純に自分の目で見てみたいというのが動機だった。しかし、考えてみれば他の人が行かない場所を見ること自体が、自分にとってのトロフィーだったのかもしれない。多くの人が行かない場へ行くことで、違った視点を得られると信奉していた。
旅行によって新しい経験をし、人生が変わる。旅は、日々の単調な生活をリフレッシュさせてくれる。そう信じている人々は、世界を積極的に旅行する。けれども、それは単なる神話であって、宗教と何ら変わらない・・・とユヴァル・ノア・ハラリの「ホモ・サピエンス」には書かれている。
こうした結論にたどり着いた結果、自分の中で何かが変わった。
無理をしてまでもアフガニスタンに行かなくてもいいんじゃね?大金を払って、アフガニスタンに行ってまで見たいものがあるのか。美しい景色や建築なら、他の国にもあるじゃないか。
おおよその人にとってはわかりきったことに、今更気づいてしまったのである。
他人からすれば、当たり前のことじゃん?と思うかもしれないが、私にとっては天皇の人間宣言みたいなものだった。今までお神だと思っていた天皇が、一夜にして我々と同じような人間と化す。現代の我々にとっては、滑稽に見えるかもしれないが、信じている当人たちにとっては、一大事なのである。
またパキスタン生活によっても意識が変わっていた。日々の疲弊する生活の中で考えたのは、とにかく安全で自由な暮らしがしたい、である。
世界で最も住みにくい都市カラチでのパキスタン生活が過酷で辛すぎる
貧困とか、ヤクブーツとか汚職とか、パキスタンの暗いネタに辟易していた。もともと大学でもそうした分野を学んでいたので関心はあったが、あくまでもそれは研究対象であって、毎日その中で暮らすのは、かなり過酷なことだった。
その時の私と言えば、とにかく安全な食べ物を口にし、安全な環境で暮らすことを第一目標としていた。
パキスタンでこれだけ辛いのに、アフガニスタンで耐えられるのか・・・という単純にメンタルと体力の問題でもあった。
これ以上過酷な環境に身を置くことはできない。快適で安心した生活を送りたい。
ペシャワールでアフガニスタンへ行く旅人を見送った。アフガン旅行を手配するガイドからは、「最近も日本人を案内したよ」などと、アフガン旅行への誘いメールが次々とやってくる。
けれども、アフガニスタンへ行くことはもうできない。