上部フンザで立ち寄ったレストラン。何気なしに店内をみていると、とある写真が目に入った。静かに横たわる動物と銃を持ったハンター。もしやと思いネイチャーボーイに尋ねると、そうだという。
ヒマラヤブルーシープを捉えた地元ハンターの写真
パキスタン北部のフンザでは、トロフィーハンティングが行われている。トロフィーハンティングとは、多額のお金を支払い動物を仕留めることである。トロフィーハンティングは、日本ではあまり馴染みがないが、アフリカ南部、カナダ、ニュージーランド、メキシコなどでも行われている。
動物の中には、ライオンやキリン、シマウマなど日本の動物園の人気者もいる。簡単にいえば、趣味で動物を殺害する、お金持の娯楽である。作家ヘミング・ウェイもそうした趣味に興じていたことで知られる。
詳細は下記の記事を参照
命の価格リストに衝撃。娯楽の狩猟「トロフィーハンティング」の世界
通常、こういうグレーな行為は隠れてやるもんだと思っていたが、パキスタンでは政府が堂々と噛んでいるのである。
政府主導かよ!
動物の大きさや年齢、種類により価格は異なるが、最終的な価格はオークションで決まる。オークションで狩猟権利を競り落として初めて、狩猟に挑めるのである。
昨今におけるパキスタン国内での過去最高の落札価格は、16万ドル。日本円で約2,000万円である。
狩猟を行うのは、国外の富裕層だけでなく、ジモティーもいる。支払われた金額の20%は政府に、80%は現地の野生動物保護活動やコミュニティ(各世帯に現金で手渡しするらしい)に分配される。
トロフィーハンティングが導入される前には、ジモティーによる野生動物の乱獲が問題となっていた。しかし、トロフィーハンティングにより、ジモティーは何もせずに現金を手にいれることができるので、自らハントする必要がない。結果的に、動物保護につながり、ハンターもジモティーも政府もハッピーという、人間にとってはメリットしかない。
フンザの場合、狩猟できる動物も決まっている。狩猟できるのは高齢の動物のみ。高齢の動物ならば、いずれ死を迎える。老衰で自然に死ねば、それは単なる死となる。しかし、トロフィーハンティングによりハンターが狩猟した場合、コミュニティや政府へと還元される死となる。
衝撃的なコンセプトに驚かずにはいられないが、トロフィーハンティングは、色々な疑問を人間に投げかけてくる。
人間が食べるために動物を殺すのはありで、娯楽のために殺すのはダメなのか。
動物園の動物のように、殺さずとも人間の娯楽のために、水槽に閉じ込め芸をさせたりするのはどうなのか。
魚は食べるために捕獲しても罪悪感はないのに、クジラやイルカなどの哺乳類や希少動物だとそれが違和感になるのはなぜなのか。
人間の倫理観への疑問が湧き上がってくる。
桃源郷とも呼ばれるフンザ。しかし、外部の人間が桃源郷と呼ぶ場所には、生きるために必死な人間の生活もある。ここへやってくるまでは、北部の自然の厳しさに圧倒されていた。
しかし、人間の欲望もまたそうした自然以上に、残酷なものなのかもしれない、と思った。