パキスタンでお金を配る。パキスタンでの物乞い対応

お金を配る、というと大半の日本人は顔をしかめるだろう。お金の話ですら、なんだか不潔!と日本では思われている。

しかし、パキスタンでは一般人によるお金配りをよく見かける。カラチでは、ありとあらゆるところで「お金くれい」という人に出くわす。車で信号待ちをしていると、「お金くれい」と言わんばかりに、手首のスナップを利かせて様々な人が、車に近づいてくる。

ストリートキッズ、手足がない人、明らかに何かの病気を患っている人、高齢者、オネエなど。日本では社会的弱者と呼ばれる人たちなのだろう。日本では言葉こそは聞くが、彼らとまじまじとご対面することは日常的にはない。しかし、ここでは窓ガラス一枚を挟んで、毎日彼らと対面することになる。

路上でお金を渡すことはたまにあった。が、それも半期に一度あるかないかぐらいである。しかし、カラチでは外出している限り、1日に何度もそうした「お金くれい」という物乞いに出くわす。物乞いに遭遇する頻度が極めて高い。

信号待ちの道路はもちろんのこと、露店で何かを買っていると背後から現れたり。さらに、店に入って10分後ぐらいに出ると、店の前に複数人の物乞いたちがいたりする。ある時には、車を5分ほど待たせて所用を済ませて戻ると、車を取り囲むように、5名ほどの物乞いが待機していた。

げげっ

出待ちしてるやん

いろんな国で物乞いのスタイルを見てきたが、出待ちスタイルというのは初めてである。

出待ちだと思うと、有名人になったような気分になるので、ちょっとだけ嬉しくなる。本当は、お金を要求されているだけなのだが。

日々迫り来る物乞いに、パキスタンの人々はどう対応しているのだろう。

よく観察していると、それはそれはスマートであった。

物乞い開始からすぐに、すっと札を手渡しているではないか。その間、わずか0.5秒ほどと見えたる。日常のことで、反射神経のようにお金を渡せるのだろう。

実際にやってみると、彼らの所作がいかにスムーズかわかる。素人の私がやるとこんな感じだ。

物乞いにやってくる→えっ?となる→考える→財布を出す頃には、物乞いはあきらめて別の人へ行っている

という具合になるからだ。

クラスメイトともに、郊外へ出かけた時のこと。小さな村でバンを待たせていたら、5人ぐらいの物乞いがやってきた。どうやら家族ぐるみらしい。こちらが、去ってくれという合図を送っているにも関わらず、一向に立ち去ろうとしない。そこへ1人のクラスメイトが戻ってきた。彼は、なんと物乞いを一瞥することもなく、彼らにお金を渡し車へ戻った。

上級者にもなると、ノールックでお金を渡せるらしい。もはや無意識の行為である。

一体、どうなっているんだパキスタン。

カラチでは誰もが息をするのと同じぐらい当たり前のように、みながお金を手渡すのを見てきた。渡す額でいえば10円ぐらいである。

決定的な瞬間があった。

信号待ちのとき、ちびっこが物売りにやってきた。彼が売っていたのはマスクである。「マスクいらんしな・・・」と思い、断った。

しかし、なぜだかあの時のキッズの表情が忘れられない。ひょうひょうとしているはずのキッズの顔に苦悶の表情が浮かんでいた。彼が劇団ひまわりのキッズならば、大した演技力である。しかし、彼が子役なはずもなく、その表情はリアルに満ちていた。

ぐぬぬぬ・・・

その日を境に私は、お金を配ろう、と決意した。

物乞いにお金を渡すのはあれこれと考えるだろう。お金だけ渡してどうなるの?とか、物乞いのふりをしているんじゃないの?とか。根本的な解決にならんとか。パキスタンでは、物乞いのためにわざと足や手を切ったり怪我をするケースや、マフィアが子どもを誘拐し物乞いさせている場合もある。

けれども、そんなことを考えたところで真実は闇なのだ。先進国の人間が考えるような、美しい理想の解決策なんて、ここでは現実的ではない。別に毎日500円を配ったとて、それは大したことではない。お金なんてしょせんは、紙切れでしかないのである。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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