世界で最も住みにくい都市カラチでのパキスタン生活が過酷で辛すぎる

カラチに来て以来、体が文字通りズタボロになっている。たった数ヶ月しかいないのに、数年ぐらい経ったんじゃないかと思うぐらい、体が劣化している。

カラチは他の国とは、一味違う。生活をしていると、文字通り命を削って生活している感覚に陥る。生きていることで精一杯。

先進国が克服してきたあらゆる災厄が、この国にははびこっている。それはまさしく暗黒大陸である。

ここで強調しておきたいのは、これはあくまでカラチの話である。北部やイスラマバードでは環境が大きく違い、同じパキスタンとは思えないほどである。

水の汚染

カラチでは、水道水をそのまま使うことはできない。飲み水は、ミネラルウォーターを利用。歯磨きや野菜を洗うのにも、ミネラルウォーターを使用するという人もいる。最初は大げさだなあと思っていたが、水道水でラーメンを作ったら、秒速で謎の下痢に襲われた。

大量のミネラルウォーターを買う余裕がない家では、自作のろ過システムを構築しているケースもある。

一手間加えないと、水として使えないのである。もはや水というか単なる汚染水である。水質実験などを行わずとも、乾いた水滴の後を見ると、明らかにやべえもんが入っているのが分かる。


水で洗った後の鍋。水滴の跡が異常に白いんだが、なんか入ってる?

人間の体は70%が水だと言われている。しかし、こうしたやべえ水を取り込むと、体内まで汚染されるのでは、という恐怖に襲われる。水を安心して使えないということで、今までは自炊がメインだったが、パキスタンでは自炊ゼロ生活をすることになった。

シャワーの水も同様だが、口に入れないとはいえ、やべえ水で体を洗っているという先入観により、体が綺麗になった気がしない。髪の毛を洗っても、なぜかベタついていくのはなぜだろう。

大気汚染と騒音

カラチの大気汚染は世界でもトップクラスを誇る。常に町は車の排気ガスやホコリでも霧がかかったようにぼやっとしている。

汚い話で恐縮だが、鼻をほじると真黒なブツが採掘される。汚染の凄まじさを物語っている。カラチから、自然が多いイスラマバードや山岳地帯の北部に行くと、明らかに空気の質が違うことに気づく。安全な空気をたくさん吸える!と肺が喜ぶのすら、実感してしまう。

また1,700万人近くの人口を抱えるカラチは、騒音もひどい。車やバイクのクラクションが大量発生しているし、そもそも防音効果の低い建物が満載なので、あらゆる音が生活の中に入り込んでくる。閑静な住宅街であっても、集合住宅であれば隣人の話し声や工事音、子供の叫び声などがわんさか入り込んでくるのが常。家にいるのだが、家にいるような気がしない。

ただ、高級住宅地のようなヴィラともなればこうした問題は解消される。しかし、そうした生活をできるのは、国内でもかなりの富裕層で、ごく限られた人々だけだ。そう、静かで快適な生活は、万人ではなく一握りの富裕層にしか与えられないのである。

劣悪な衛生環境

カラチでは、ゴミをゴミ箱に捨てるという概念がないため、基本的にゴミは垂れ流しである。そして町の川は下水で汚染され、とんでもない悪臭が所々で立ち上っている。産業革命時代のロンドンである。

ゴミがその辺に散らかっているのはまだいいが、汚水と異臭、動物の死骸、人間の尿、尋常ではないハエなど、恐ろしいトッピングがふんだんにほどこされている。

さらに、所々に吐血みたいなものもある。これは”パーン”と呼ばれるもの。パキスタンの道端では、おっさんの口からいろんなものが出ているの目にする。つばだったり、パーンだったり、謎の液体だったり。また道端で、用を足す人(男限定)も頻繁に見かける。彼らは立ちションではなく、座って用を足している。

こうした場所を歩いていると、外を歩くだけで、体力が摩耗する。というわけで、おおよその中間層以上の人々は車生活を送っている。ただ歩くだけなのに、こんなに大変とは・・・

病気になりがち

水質が悪いためか、外国人だけでなくパキスタン人もよく腹痛に見舞われている。単なる下痢で済めばまだマシだが、悪寒や関節痛などを伴い数日動けなくなるメガトン級の腹痛もある。パキスタンにおける乳児の死亡率原因でも、下痢は半数近くを占めている。あなどれない病気だ。

特に屋台のジュースは要注意。これまでの体当たり実験によると、1杯のジュースを飲むと、5日ほどゲリーが続く。そう、1ジュースあたり5ゲリーがもれなくついてくるのである。

フルーツが美味しいカラチにおいては、屋台に並ぶジュースは非常に美味しそうに見える。しかし、この誘惑に負けたら最後である。その場の美味しさを味わうか、のちの安全をとるか覚悟を決める必要がある。

またカラチがあるシンド州は、あらゆる料理がとんでもなくスパイシー。辛い料理が好きな私でも、かなり辛いと感じる。こうしたスパイス料理も腹の具合をさらに悪化させる。しかし、味は美味しいためほぼ毎日食べてたら、体臭がスパイシーになり、下痢が慢性化してしまった。

基本的には健康体で風邪や調子を崩すことなど、過去5年でほぼなかった。しかし、カラチ滞在中の数ヶ月は、何かしらの体の不調に見舞われた。カラチに来て2ヶ月ほどは、”うちな、ずっとお腹ビチビチやねん”の状態であった。

先進国であれば、何も考えずに食べ物を口へ運べる。しかし、ここカラチでは、食べ物に対して「お前は、食べて安全なのか?」という検閲をいちいちせねばならない。しまいには、「ええい、一か八かじゃ!」とロシアンルーレットみたくなる。

安全な食べ物を食べられるって尊いYo。

一人で出歩けない

特に女性は安全のため一人で出歩かない方が良い。これはカラチを生きる女性たちの格言となっている。これは外国人だけでなく、現地人にも適応される。よって、カラチの街中で中間層以上の女性が歩いている姿を見かけたことはほぼない。

そんなの都市伝説ダロ!と思い、一人で徒歩10分の場所にあるATMへ行ったというと、「マジで!?やば」というのが周りのパキスタン人たちの反応だった。

とは言え、歩いているこちらも気が気ではない。バイクが通るたびに、バイク強盗じゃないかと気を張る(バイク運転手が銃を見せつけ金を奪うという犯罪がカラチでは蔓延している)。たった10分の徒歩でも、精神的には1時間の激しい運動に相当する。

またカラチでは車が必須。公共交通機関はないので、ちょっとした買い物でもとにかく車が必要になる。中間層以上の現地人は、車を持っていたり、ドライバー付きの運転手を雇っていたりする。それがなければひたすらカリームに頼ることになる。運転手の質もまちまちなので、頻繁に辟易しながら移動することになる。

一人で好きなところへ行ける自由って素晴らしい☆

生活が難しい

ざっくりとした表現だが、カラチ生活の難しさを言い表すのは難しい。カラチの生活では、あらゆることがやたらと無理ゲーなのである。特に私のような短期滞在者で、車を持っていない単身者にとっては、である。

ATMでお金を下ろすのも大変。海外カードが使えるATMを探し出し、車で10分ぐらいかけていく。大型ショッピングモールやその辺にATMマシーンがあるわけではないので、お金を下ろすのも、「よし、今日こそはATMに行くぞう!」という1つの大きなイベントとなる。現金社会ゆえに現金は必須のため定期的に面倒なお金下ろし作業が発生する。

また何をやるにしてもどこへ行くにも、ジモティーの助けが必要なのである。なにせ「一人で出かけるな!」と釘を刺されているので、行きたい場所があるときは必ずジモティーを連れ立っていく。ちょっと街散策をしたくとも、ふらっと気軽にはできないのである。

あれ、これってソマリアじゃん?行動の自由が制限されるカラチでは、護衛なしにホテルを出たらアカン!というソマリアをほうふつさせた。

底なしの貧困

町に出ると物乞い対応で忙しい。車で信号待ちをしていると、物売りに紛れて物乞いもやってくる。特に子どもの物乞いはアグレッシブで、窓を開けている(カラチでは危険なので絶対にやめましょう)と、窓から手を突っ込みばたつかせて、金をくれえ!と脅してくる。

町を歩いていても、物乞いがどこからともなく現れ、人差し指を立てて(10ルピーを意味しているのだろう)こちらへ近づいてくる。その光景は、ゾンビである。

この国で真っ当に働いても、それほどもらえるわけではない。アパートのガードマンは、1ヶ月フルで働いて100ドル程度しかもらえないと聞いた。となれば、物乞いの方が稼げる可能性もある。

パキスタンの貧困はこうした目に見えるものだけではない。各所にはびこっている。働けども、その日のご飯を買うことができない人も多くいる。運転手つきの友達の車に乗っていた時のこと。彼女の運転手は住み込みで働いているが、しばしば”炊き出し”に通っているのだという。

それは単にご飯を買うお金がないというより、ご飯を買うぐらいだったら、子供の教育費や生活費にあてたい、からだという。

カラチにいると、常に貧困がついてまわる。友達とお茶をしていても、出かけても、買い物をしていても。それらに囲まれて生活をするのは、なかなかしんどいものがある。

熱い視線

カラチの街中は野郎だらけである。そんな中に、外国人や女性がいると目立つ。というわけで、外に出れば、常に注目の的である。なにせ、日本や他の国であれば、私が歩いても空気みたいに周りはスルーしてくれる。しかし、カラチでは、

「あ、ゴリラが道を歩いてるぞ!」

みたいな視線を人々がよこすのである。外に出る度にこれである。動物園のゴリラに同情である。

買い物でもズーン

たかが買い物をするだけでも、カラチではズーンとなってしまう。パキスタンには、ナイキやアディダス、ボディショップといったグローバルブランドも進出している。

しかし、国民の所得レベルからすれば、それらは先進国でいう高級ブランド扱いなのである。日本人の給与所得からすれば、簡単に買える3,000円のスニーカーでさえも、多くのパキスタン国民にとっては高すぎるのである。買えるのは一部の富裕層やアッパーミドル層のみである。というわけで、こうした店は常に閑古鳥が鳴いている。

パキスタン人の勤労意欲は総じてかなり高い。商品についてあれこれ説明したり、熱心に接客をしてくれる。しかし、客がいないので、優秀な店員も手持ち無沙汰になる。

なんてもったないネイ

しかし経済が盛り上がらないことには、人々の所得も上がらない。ポテンシャルはあるのに、それが活かされないというもどかしさを感じるカラチショッピングである。

また、人口が多いせいか、あらゆる店で過剰な店員供給が見られる。客の数より店員の方が多いということもしばしば。狭い店なのに、4人も店員がいたりする。パキスタンのスーパーでは各所に店員が立っており、「何か用はないか?」と聞いてきたり、SPのようについてくることもある。買い物ですら、一人にさせてくれないパキスタンである。

世界で最も住みにくい都市

エコノミスト誌のEIUが出している「世界で最も住みやすい都市ランキング」で、カラチは140位中134位にランクインしている。安定性、衛生、環境・文化、教育、インフラといった多方面で、ランクづけが行われているが、カラチは衛生と環境のスコアが最も低い。ちなみに同じランキングで、2位は大阪、4位が東京となっている。

日本と比べて生活が違いすぎるから、辛いというわけではない。辛いと感じるのは、これまで滞在してきた国(エジプトやトルコ、ジョージアなど)と比べて、何もかもが無理ゲーだからである。おそらく衛生面に関しては、インドやバングラデシュを含む南アジア全体に言えることだと思う。

カラチに住んでいると、体力が末期のスマホみたくなる。ただ外に出るだけ、移動するだけ、ささいなことでどんどん体力が減っていく。安全な水や食べ物が簡単に手に入らないことから、体が過酷な状況を生き抜いてやる!という生存追求モードに切り替わる。

そんな生活の下では、楽しいものも楽しめなくなるし、アートをやろうとか、新しいことを始めようといったことが考えられなくなる。インフラや衛生環境が悪いと、こんなに人間の生活は無理ゲーになるのか!と実感した。

テロよりも恐ろしいもの

カラチに来る前の懸念といえば、治安、テロ、ゴキブリだった。しかし、実際に来て思ったのは、カラチで日常生活を脅かすのは、水と空気という極めて凡庸なものだと気付いた。

安全や綺麗な水、空気が当たり前に手に入る先進国の暮らしからすれば、想像しがたいものだろう。しかし、汚染された空気や水、劣悪な衛生環境こそが、体だけでなく精神的にも人間をむしばんでいく。

そんな中で生活していると、安全の欲求という低次な欲求を満たすことが最優先となる。その日を無事に過ごすのに精一杯になる。先進国の人間が追い求める、自己実現や承認欲求など高嶺の花である。私がカラチで希求したのは、世界平和ではなく、己の健康で文化的な最低限度の生活であった。

ここには、健康で文化的な最低限度の生活はネイ。

人生で初めて、「え?なんか痩せた?ちゃんと食べてる?」なるお言葉を知人から頂戴した。体調不良だけではない。貧困や成長しない経済、政治腐敗などを日常的に感じることで、精神的にも疲弊していく。

しかし、そうした生活をしていると、不思議なことに生きることに貪欲になっている自分がいた。何がなんでも生きてやる!

生きていることが尊くなるのである。

快適な先進国では摘み取られた、人間としての本能が現れたのかもしれない。実際に日本にいる知人から、「大変そうだけど、今までになく活き活きした顔をしている」と言われた。

そう、カラチの生活は過酷きわまりない。けれども、その過酷さが人間を生へと奮い立たせるのも事実なのかもしれない。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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