桃源郷フンザとカラコルム山脈をめぐる絶景旅。パキスタン北部への旅1

春といえば桜。パキスタン北部のフンザでは、桜の花に似たあんずの花が咲き誇り、まるで桜絶景になるという。というわけで、連日の気温が40度近くになる南部のカラチから、フンザへ向かうことにした。

飛行機でギルギットへ

フンザには空港がないため、イスラマバードを経由し、最寄りの町ギルギットへ向う。イスラマバードの宿を出発し空港に向かう予定だったが、迎えの車が約束時間から30分経ってもこない。飛行機に乗り遅れたらアカン!ということで、急遽ウーバーを予約。

しかし、午前5時という時間帯のためか、なかなか車がつかまらない。ようやく見つかったものの、「現金払いで2,000ルピーなら来てやるよ」という上から目線(パキスタンではよくある)。こちとらすでにクレジットカード払いを選んでいる上、ウーバーが提示している価格の2倍である。

チッ。仕方がねえ。

空港に着けば何でもいいので、早く来てくれと依頼。無事、車にありつき空港へと向かうのだった。

ギルギット行きのフライト
ギルギットへ向かう小型飛行機。乗客はジモティーがほとんど。

飛行機からは、ナンガパルバットをはじめとするカラコルム山々を目下に見ることができる。機内アナウンスも一味違う。

「えー右手に見えますのはナンガパルバット山でして、標高8,126メートルあります。あちらに見えますのは・・・・」

などと逐一丁寧に説明してくれるのである。

乗客は窓から見える絶景に興奮。写真を撮りまくっている。天候によってキャンセルが発生しがちなフライトだが、飛行機からではないと見れない光景である。これだけでも飛行機に乗る価値はあるだろう。というわけで、飛行機に乗る際は、窓側を指定するといいだろう(ギルギット行きの場合は、右側に乗るとナンガパルバット山が見える)。

ギルギット飛行機からの眺め
雪山がほぼ真下に見える。どんだけ高い山なんだ!

ちなみにイスラマバードとギルギット間を結ぶフライトは小型飛行機のため、間近で雪山を見ることができる。しかし、席数が少ないので早めの予約が必要。また天候にも左右されやすくキャンセルも頻繁に起こる。

一方で、イスラマバードとスカルドゥを結ぶフライトは大型飛行機のため、予約は取りやすく運行も安定している。しかし、機体が大きいためやや遠くからの眺望となる。

ギルギットからフンザへ

ギルギット空港で、ツアーガイドとジープの運転手と落ち合い、フンザへと向かう。途中、ラカポシ山の眺望スポットで休憩。

事前にガイドは日本語が話せると聞いていたが、一向に日本語を繰り出す気配はない。この理由はのちに明らかになる。

ラカポシ山_フンザ 標高7,788メートルのラカポシ山。山頂から鋭い切れ目のようにのびる斜面の長さは世界最長。

旧シルクロード_パキスタン
岩山中央にゼット状に見える線がシルクロードの道

それにしてもなんて素晴らしいんだろう。

きれいな空気!きれいな町!快適な気候!

大気汚染のひどいカラチにいたせいか、目の前の光景よりもただ空気のきれいさにおののく。袋に空気を入れて持って帰りたいぐらいだ。安心して空気が吸えることに、肺も大喜びである。道がきれい、ゴミがない、物乞いがいない、カオスじゃない、ただそれだけが嬉しかった。

同じ国とは思えないほどの差である。カラチが地獄だとすれば、北部は天国である。観光客がこの一帯を中心に訪れるのも、納得である。

さらに驚いたのは、キッズがのこのこと歩いて学校へ通っているということ。魑魅魍魎がうごめくカラチでは危険すぎる行為である。それだけ、ここは安全ということなのだろうか。日本では小学生が歩いて通学するのは当たり前の光景だが、パキスタンだけでなく多くの国でも稀な行為なのである。

パキスタン北部の道を歩く学生
道を歩く学生

フンザの中心地カリマバード

毎年3月下旬から4月初旬にかけて、フンザでは桜に似たあんずの花が咲きほこり、その光景はまるで桃源郷だという。

今では、ギルギットからフンザの中心地カリマバードまでは、ジープで数時間でいける距離だが、かつては徒歩で3日もかかった距離であった。ジープに乗っていると気がつきにくいが、その標高差は1,000メートル。19世紀に初めてフンザに到達したイギリス人探検家たちは、険しい道のりを経てようやくその景色を目にしたのであった。

日本では「風の谷のナウシカ」の舞台にもなった場所と言われている。しかし、渓谷はそれっぽいが特にナウシカ感はない。

フンザ渓谷
カリマバードまでの道すがら。崖のギリギリに村がある。ギリギリでいつも生きていたい住民なのだろうか。反対側への崖へは、車で行ける場合もあるが手動のロープウェーで谷を渡る場合もあるという。

フンザ_カリマバード
標高2,400メートル地点にあるカリマバードの町。桜色に染まるあんずの花とスッと空高くのびるポプラが渓谷をにぎやかに魅せる

フンザ鳥
雄大なカラコルム山脈と小さなあんずの花のコントラストが美しい

フンザ渓谷_桃源郷
カリマバード中心地を少し離れるた民家では、牛を飼っている民家や畑を耕す人々の姿があった。

フンザのはな
あんずの花だろうか・・・見分けが難しい

フンザに行けばきれいな景色が見えると思ったが、曇りのため景色がぼやっとしている。そりゃそうだ。都市のように天候が安定しているわけではない。人間の思い通りにはならないのが自然である。

フンザ渓谷の中心地となるのがカリマバード。こじんまりとしているが、お土産屋やレストラン、カフェ、ホテルなどが集まっている。お土産屋では、ドライフルーツや民芸品、フンザ絨毯が売られていた。絨毯屋のオーナーに話を聞くと、ジモティー女性による絨毯づくりプロジェクトを支援しており、海外からのオーダーメイド注文も入っているのだという。

中心地とはいえ、数時間もあれば一通り回れてしまう規模。町のメイン観光スポットは、フンザ藩王国の藩王が住んでいたというバルティット・フォート。そしてカリマバード近郊にある、アルティット・フォートがある。

木がふんだんにある北部なだけに、パキスタン中南部ではみられない木をふんだんに使った建築や木彫装飾が特徴的。今ではパキスタンとして統合されているが、昔の北海道や沖縄のように、独自の暮らしや政治システムがこの地域にはあったのだろう。

カリマバード_フンザ カリマバードの町

バルティットフォート
バルティット・フォート


カルコルム山脈の雄大さをどこにいても感じる

フンザ散策
カリマバードにある村の用水路。用水路には散ったあんずの花びらが流れていた。パキスタン中南部では考えられない静寂が村を取り巻く。久しぶりの静寂が耳に心地よい。

あれ、もうフンザで見るとこなくね?と思ったが、ガイドはずんずんと村を散策したり、山を眺めるスポットへ向かう。

なるほど。フンザというのは、特定の観光スポットを訪れるというよりも、自然の景色を楽しむのが醍醐味らしい。

それにしても、このガイド。ガイドなのに、観光客の私より写真撮ってね?

「自然というのは、天候や季節によって表情が全然違うんだよ」

彼のあだ名はネイチャーボーイで決まりである。

彼はギルギット生まれで、20年近くこの地域でガイドをしている。のちにネイチャーボーイに命を助けられるとは、この時思いもしなかった。

素人から見れば、フンザの春の光景は、単なるきれいな景色である。しかし、ネイチャーボーイの目には、りんごの花、桃の花、さくらんぼの花、あんずの花などきちんと見分けがついている模様。

特にあんずはフンザの特産でもあり、あんずジュースやあんずケーキなどは一度食べておきたいところである。

フンザのあんずケーキ
フンザ名物のあんずパウンドケーキ。一切れで出てくるのかと思いきや、焼きたてで1本丸ごとで出てきた。まだ観光シーズンが始まったせいなのか、人が少ないためか、北部独自の時間の流れなのか、フンザでは食事の準備に時間がかかることが結構あった。

モスクがない町

国民の97%がムスリムだというパキスタン。ここフンザに住む人々は、実質的にはイスラーム教だが、イスマーイール派が多数を占める。実際にどんなもんなんだろうと思ったが、確かにそれはメインストリームであるイスラーム教から、だいぶかけ離れていたものだった。

フンザの町では、ホテルやレストラン、土産屋などあらゆる場所で、おっさんの肖像画を目にする。おっさんの正体はアーガー・ハーン4世。イスマーイール派ではアーガー・ハーンという称号を持ったおじさんを指導者としている。

フンザのアーガーハーン
お土産屋に飾られていたアーガー・ハーン4世の写真

アーガー・ハーン4世といえば、特に教育や医療への慈善活動で知られている。その活動っぷりは、ビルゲイツよりすごいんじゃないかと思う。

パキスタンの町にはやたらとアーガー・ハーンと名のつく病院やクリニック、学校などがある。世界的にみても、アメリカのMITではイスラーム建築コースを提供しているし、イスラーム建築界における芥川賞的存在であるアーガー・ハーン建築賞なるものもある。アーガー・ハーン財団は、イスラーム圏だけでなく世界中で教育や農村開発に関する活動を行なっており、もはや世界的なNGOといっても遜色はない。

どんだけ金持ちなんだ!

しかも、パキスタンでは後手に回りがちな、歴史的な建築物の修復なども援助している。フンザのバルティットフォートもその1つ。途上国では、こうした歴史的な建物も、無関心と財政の余裕のなさにより、無残な姿になっているものも多い。

アーガーハーンからの手厚い教育や福祉支援により、フンザでは識字率が95%を超える。一方で、パキスタン国内ではその数は62%にとどまっている。

イスマーイール派は、フンザだけでなく、東アフリカ、インド、イランなどにもおり、その数は世界で数百万人にもおよぶ。彼らは礼拝のためのモスクを持たない。彼らが持つのは、コミュニティとしての集会所、ジャマアット・カーナである。しかも、この集会所にはイスマイール派でないと入れないため、万人に開かれているモスクとは大きく違う。

またイスマーイール派の彼らに、1日5回礼拝するのか?と聞いてみると、「え、好きな時に気分でやるぐらいだよ」とのたまう。またラマダンの断食に関しても、必ずしも行うわけではないらしい。

ゆるすぎん?

それにしてもこんな山奥にさえ、イスラーム教徒がいるとは。もしかしたら、フンザの人々は世界で最も標高が高い場所に住むイスラーム教徒なのかもしれない。

フンザのジャマアト・カーナ
カリマバードにあるジャマアット・カーナ(左側にある青い外壁の建物)。

1日目は、ネイチャーボーイのイチ押しホテルで宿泊。フンザ渓谷や山々を見渡す絶景ポイントのデュイケルにある。カリマバードから1時間弱かけて到着。標高3,000メートル付近とあって、夜はマイナス10度近くに。ベッドのマットレス下には、あったかくなる敷きパッドがひかれていた。

フンザホテルからの眺め
デュイケルあるホテルからの眺め

20年前までは、道が整備されておらずここに来るのは大変な労力だったという。当時、ホテルはたった1軒しかなかったそうな。しかし、道路整備が進みホテルが次々とオープン。登山客が増える夏のシーズンは、満員御礼になるという。

厳しい冬が訪れるフンザのホテルは、10月から3月中旬にかけて閉鎖するのだという。私が訪れたのは3月末だったが、上記以外のホテルでは、準備途中のホテルもあり「オープンしたてだからキッチンがまだ稼働してないんだよね」という場面にも遭遇した。

神々の山が連なる上部フンザへ

翌日。ネイチャーボーイは氷河を見せてやる、と張り切っている。氷河ならキリマンジャロで見たしな・・・と思ったが、今更予定を変えることはできない。

パスー氷河へ向かう途中、”フンザの聖なる岩”と呼ばれる岩絵を鑑賞。古いものもは紀元前1,000年前にもおよぶという。現代でいうとこの絵文字かと思いきや、古代中国やクシャナ朝など古代王国に歴史に関する記述も含まれている。いわば歴史を語る岩なのだ。

フンザの岩絵
フンザの聖なる岩。カリマバードからアッタバード湖へ向かう道の途中にある。


この地に多く生息するというアイベックスが描かれている。

岩絵からさらに進み、アッタバード湖に到着。なんの変哲も無い湖だが、2010年に突如として現れた湖だという。土砂崩れにより、インダス川へ流れる水がせき止められることでこの湖ができた。

アッタバード湖
アッタバード湖。さらに上部へ行くと、湖で遊覧ボートを楽しむ観光客の姿もあった。

山の斜面にあった町は丸ごと湖の下に沈んでしまったのだという。さらに上部へ進むと、土石流に埋もれた建物を発見。近くには道路もあったが、そちらも土石流により遮断されていた。現在我々が通っている道路は、新たに作られたものだった。

作っては自然によって破壊される、この繰り返しなんだな・・・

フンザ埋もれた町
土砂に埋もれている家屋。土砂崩れがあった場所だというのに、あきらめずに近くに新しい家屋を建て住んでいる人もいた。

カラコルム山脈
3月下旬は日中でもピリッとした冷たい空気に包まれる。中国との国境にも行きたかったが今回は時間が足りないと言われる。やはり北部を旅するにはかなり日数が必要。

フンザ_フサイニー橋
世界で最も危険な橋の1つと言われるフサイニー橋。ボロい木の板をつなぎ合わせた心もとない橋を渡るというスリル満点のアトラクション。例によって、きゃっきゃと橋を揺らし恐怖を煽るという迷惑行為に走る輩もいた。

氷河は、車から降りてさっとみれるものかと思いきや違った。ネイチャーボーイについていき、山を登ること30分。普段、運動していない人間にはハードすぎる。その間にも、ネイチャーボーイはずんずんと進んでいく。

鬼教官やないか・・・

トレッキングガイドも務めるネイチャーボーイは健脚である。

「教官!もう無理です。歩けません」

「あともうちょっとだ、がんばれい」

である。

パスー氷河
パスー氷河

落ちたら死という映像が思い浮かぶほど、険しい光景だった。ネイチャーボーイは雄大な自然に悦に入っていたが、私は、こんなきれいな氷河がいかにしてインダス川となり、カラチに到着することには汚水になってしまうのだろうか、ということに考えを巡らした。

フンザをさらに知るなら

フンザをはじめとするパキスタン北部を中心にフィールドワークを行う言語学者による本。フンザの人々は、ブルシャスキー語という言語学的には孤立した系統の言語を話すという。現地の文化や言語事情をユーモラスを交えて語る。研究者による本だが、まったく堅苦しくなくさらっと読めてしまう。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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