未知の国パキスタンに行ったらホスピタリティがすごすぎた

人口2億7,000万人というメガトン国家であり、インドネシアに次いで世界で2番目にイスラム教徒が多く住む国パキスタン。スケールからしてスルーできない国であるものの、この国に関して旅行者や外国人による情報は数えるほどしかない。

地球の歩き方はいわんやロンリープラネットですら2009年版を境に、沈黙をつらぬいている。2008年以降、パキスタン国内ではテロ事件が多発。ピークである2009年には年間1万件を超えるテロ事件が起きた。

美術学校の実習のためパキスタン行きを決めたものの、目の前は真っ暗である。なにせ情報がない。勝手なイメージだけで語れば、女性に人権がないだとか、名誉殺人がある国というしょうもないイメージしか出てこない。とあるアメリカ人は、パキスタン最大の都市カラチを「ニューヨーカーなら1時間もまともにいることができない」と、そう表現した。そこから連想するのは、ソマリアのような修羅の国である。

そんなイメージとは裏腹に、最近のパキスタンはかなり更生したようで、コロナ禍においても国境を封鎖するどころか、むしろ観光ビザがオンラインで簡単に申請できるようになり、旅行者への門戸を開いていたのである。実際、パキスタンを訪れた数少ない旅行者は、「パキスタンはこれまでいった中でも最高の国」だとか、「居心地が良すぎて3ヶ月もいちゃったよう」などとのたまう。

グーグルレビューで言うところの、星5と星1が混在している状態である。

果たして、待ち受けるのは修羅の国なのかユーフォリアなのか。

メガトン都市の実態

今回訪れたのは、パキスタン最大の商業都市カラチである。パキスタンの首都はイスラマバードだが、トルコのアンカラやブラジルのブラジリアのように、首都の影が薄いパターンである。

カラチに上陸したのは、深夜1時。旅行者であればなるべく外出を避けたい時間帯である。それが未知の国であればいわんやである。空港からタクシーでホテルへと向かう。しかし、すでにパキスタン劇場は始まっていた。

深夜だと言うのに、道路は渋滞し、町中は渋谷みたいなにぎわいを見せている。道路には2~4ケツのバイクであふれ、その顔ぶれはおっさんから若者、ファミリー層と様々である。深夜だというのに、皆どこへ行くのだろうか。バイクたちは、夜の闇へ星のごとく消えていった。

人口だけで言えばカラチも東京も変わらないのに、インドのように混沌としている。市民の移動手段はもっぱらバイク、トゥクトゥク、車、バス。よって渋滞が日常的に発生し、町中は常にクラクションが響いている。

車の往来が激しい道路に、金魚売りがいた。縁日で見かけるような金魚鉢に入った金魚である。いったい何をもってして、こんな場所で金魚が売れるというのだろうか。まったく勝算がわからない。しかし、混沌とした町で、優雅に泳ぐ金魚は見るものを和ませる。

町はお世辞にも綺麗とは言えず、所々にゴミの山が出現したり、しばしば下水の臭いがする。やたらとワシやカラスの大群が町の頭上を舞っており、世紀末感すら漂う。一方で田園調布のような巨大ヴィラが立ち並ぶ閑静なエリアもある。港湾都市として発展したカラチは海に面しており、湾の端の方には高層ビルが立ち並んでいた。ドバイの不動産開発会社エマールが、この辺一帯を開発しているという。

中国はマブダチ

中国とパキスタンの強い経済関係は、一般的に知られている。「一帯一路」構想実現のため、パキスタンは中国から多大なる経済融資を受けており、経済的には「鉄の関係」を築いている。

が、ここまでやるとは思っていなかった。

カラチ空港での入国審査時のこと。通常の空港ならば、だいたい自国民と外国パスポートレーンの2種類に分かれている。しかし、カラチ空港には、外国パスポートレーンとは別に、中国パスポート専用レーンがあるのだ。

いくら経済的にずぶずぶの関係とは言え、ここまでやるとは・・・ちなみに出国時も同様に中国パスポート専用レーンがある。

パキスタン国内には6万人以上の中国人が住んでいると言われ、街中を歩いていると必然的に私も中国人となる。もはや「中国?」などとは聞かれず、「中国のどこの都市から来たの?」と聞かれる。

ホスピタリティがすごすぎるパキスタン

ホスピタリティで有名なのがイランである。道端で出会ったどこの馬の骨ともわからぬ人間を、家に招き入れたり、家メシに誘ったりするという行為が旅行者から報告されており、この世界で稀なるホスピタリティは、個人主義的な社会から訪れる旅行者を驚愕させている。

しかし、パキスタンもまたイランと同様、いや、それを凌駕するホスピタリティを兼ね備えた国だった。

パキスタン出発前、私は2通のメッセージを受け取った。しかも同時刻にである。8時とかきっかりな時間ならまだしも、8時56分という微妙な時間である。差出人は、学校のクラスメイトの1人と宿泊先のホテルだった。そして内容も「パキスタンへようこそ!」という、同一のものだったのである。

ひえっ

同時刻に同じ内容のメッセージを別々の人間から受け取るって・・・どれぐらいの確率だろうか。

しかし、これはまだ序章にしかすぎなかったのだ。

学校のクラスメイトたちは、何かにつけて私のことを気にかけてくれた。「ホテルから学校までの送り迎えしたるで♪」だとか、「うちに泊めてあげたいけど軍関係の施設だから外国人は入れないんだ」、「うちにきてご飯食べちゃいなよ★」とか、短期間でのカラチ滞在で必要なこと(お金、ネット、水の買い方、食べ物の選び方など)をすべてあれこれと説明し、身の回りのことを気にかけてくれるのである。

生まれてこのかた、他人にこんなに気にかけてもらったことはねい。しばし、ファンが身の回りの世話をすべてやってくれる宝塚トップスターのような気分を味わうのであった。

すごいのは特定のクラスメイトだけでなく、ほぼ全員が持ち回りのように、こうしたホスピタリティを発揮する点である。彼らを突き動かすのは、「訪問者は我々の客である」というモットーだという。

勢いづいたホスピタリティの行方

しかし、ホスピタリティが勢い余ってとんでもない方向へ行く時もある。日本人であれば、夜中に他人に連絡したりすることは一般的にはばかれる。しかしここではそういうこともないのか、夜中12時や1時でも電話してきたり、Whatsappでメッセージが来るのである。

授業がない土曜の朝。ホテルで寝ていたら、ノックで起こされる。ドアを開けるとそこには電話を持ったホテルのスタッフが。電話を取ると、クラスメイトの1人だった。自分のスマホが壊れたらしく、わざわざホテル経由で連絡してきたらしい(彼女にホテル名は教えていないはずだったのだが)。

さらによく聞くと、なんとかして私に連絡しようと、私のSNSや日本語のブログなども検索して、そこからなんとか連絡しようとしていたらしい。

CIAか。

こんな話もある。ある旅行者がパキスタン北部を訪れた時のこと。朝早くにホテルのドアをノックする訪問者が。訪問者は見ず知らずの村人だった。旅行者は、朝早くに起こされたことに腹を立て村人を追い返したが、思えば旅行者が自分の村をせっかく訪れているのだから、案内してあげよう、という意図だったのだ・・・と後になって気づくのである。

盛大なるパキスタンのホスピタリティ。それは勢い余って時には、プライバシーの欠如ととらえられることもある。

謎のボケを繰り出すパキスタン人

クラスに外国人は私しかいないため、基本的にみな英語で話しているが、時々ウルドゥー語に移行している時がある。しばしウルドゥー語を交えたのち、「で、わかった?」と真面目に聞いてくる。

分かるわけないだろ。

と思ったが、その後よく耳をすますと意外と分かるような気もしなくないから不思議だ。

また別の日。授業終わりにクラスメイトとウーバー待ちしていた時。

「あ〜、なんかバナナ食べたくない?」

!!!!

バナナが単品指名されることなど、予想だにしていなかった。

バナナを食べたいという感情など、生まれてこのかた持ったことはない。

バナナを手に取る時。それは、いつもダイエットとか、節約のためである。決して、バナナそれ自体を味わいたいというものではない。妥協の結果なのだ。

素朴な味と、どこにでもいるというありふれた存在。決して果物界の上位ランクは狙えないだろう(少なくとも日本においては)。バナナが優秀なのは知っている。それでも有り余る食の選択肢がある世界では、バナナの優秀さも霞んでしまうのである。

そんなバナナを単品指名する人間がいるとは・・・

などと私は勝手におののいていたのだが、よく見ると結構な頻度でバナナを食べている人を見かけた。

やたらと店員との距離が近いのも特徴的である。ショッピングモールで、服を選んでいた時のこと。女性店員が近づいてきたかと思いきや「名前を教えてくれ」という。さらに5分後、名前を忘れたからもう1回教えてくれとのたまう。

また別の店では、私が選んだ服に対して、「これは透けるからやめた方がいいよ」と真っ当なアドバイスをしてくる。

友達か。

なんでもむやみに似合っているだとか、おすすめと言うロボ店員より、リアルな意見を言われた方がありがたい。なぜかこの店員に、ショップ店員の鑑を見たような気がした。

他人に頼らざるを得ないパキスタン

パキスタンで一人で生きていくことはできない。カラチ滞在でそれを強く感じた。どんな社会でもそうだろ、と思うかもしれない。けれども、インフラが高度に発達した国では、すべてが人を介さずともスムーズに行く。人とコミュニケーション取らなくても、生活ができてしまうのである。

一方、パキスタンではあらゆる行動に他者の手が介入する。スマホのSIMカードですら、一人で購入することができなかった。実際に購入することは可能なのだが、外国人の場合は携帯会社のメインオフィスで手続きをしなければならず時間がかかる。一方、現地の人に頼めば、すぐに終わる。しかし、その場合にはSIMカードを現地の人に返却しなければならない、というこれまた謎のルールがある。

予測のつかない国

パキスタンは、これまでの常識が通じない。それは日本の常識というよりも、大方の国で一般的とされているルールがここでは適用されないのである。

配車アプリのウーバー1つを取っても、そのシステムは他国と違う。世界共通で同じルールで使えるはずのアプリだが、ここパキスタンでは、独自のルールが絡んでおり、実に使いづらくなっている。変則ルールのおかげで、私はウーバーにバンされオーダーができないという被害に見舞われた。

パキスタンはまったく予想のつかない国である。ガイドブックにも、「パキスタンでは何が起こってもいいように心の準備をすべし」と書いてあった。本当にその通りである。

カラチ滞在中は、毎日予想だにしないことが起こった。ウーバーに乗って学校へ行く(カラチは基本的に車社会)という、日本であれば同じ行為の繰り返しである。ところが、パキスタンでは必ず何かが起こるというドキドキハラハラな毎日である。

30年以上生きて、それでも毎日予期せぬことが起こるというのは、ありがたいことである。「おめえの世界なんてしょせんちっぽけなもんよ」と、パキスタンに煽られているような気さえする。

パキスタンの風景を見ていると、これまでの常識が次々と崩壊する。今までバスは中に乗るものだと思っていたが、バスは登るものでもあるらしい。あふれんばかりに荷物をのせたデコトラック。信号待ちのバイクに肩タッチしながら物乞いをするおネエ。

先進国の人間は、発展を加速するために作られた社会規範やルールの上で行動する。一方、パキスタンの人々は、そうしたルールなどによってそぎ落とされた、人間の真のポテンシャルを魅せてくれるのである。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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