日本人女性と結婚したパキスタン人に話を聞いてみた。パキスタン北部への旅4

危機一髪で土砂崩れを逃れた後、我々はスカルドゥへ行くのをあきらめ、ギルギット方面に引き返すことにした。

とりあえず昼飯を食べようということで、近くのレストランで休憩。

どういう話の流れかは忘れたが、ネイチャーボーイの突然の告白に驚く。

「実は結婚してまして。日本人女性と・・・」

ええ!?

そんなことならもっと早く教えてくれりゃいいのに、と思ったが

「いやだって、君日本人っぽくないし」

そういう問題じゃないだろ!

「結婚のことは、友達にもあんまりいってないんだ」

秘密主義者すぎるだろ!

すでに出会ってから3日ほど経過しているというのに。ネイチャーボーイに限らず北部の人からは、物静かでシャイな感じを受けた。

中南部だと「どこから来たの?」「セルフィーとってえ!」とガツガツ来るのに対し、北部の人々は観光客が多い土地柄のせいか、まったく近寄ってこない。それどころか、よそ者を遠巻きに避けている感じすらある。

話を聞くと、彼はコロナが起きる前にパキスタンで出会った日本人女性と結婚。日本へも行っていたが、コロナの影響で今は日本に行きたくとも行けないという。今は日本とパキスタンで別々に暮らしている。

「僕はパキスタンで仕事があるし、彼女も日本での仕事があるから・・・」

パキスタン人との結婚詐欺についてはよく聞くが、だからこそ彼の言葉はすごく誠実に思えた。

かくいう私もオマーンで1度しか会ったことのないパキスタン人に、「今度うちの母親に紹介したいから写真を送ってえ」と言われ、勝手に婚約者候補になっていたことがある。

パキスタン人にとって国外での居住権は切実な問題である。なにせパキスタンのパスポートは、アフガニスタンに次ぐワースト2位。ほぼ世界最弱のパスポートなのである。

それに、国内では貧困が蔓延し、経済や政治もどんづまり。未来が見えない国から逃れたくとも、それができない人は多くいる。どんな手を使っても、国外に出てやろうという気持ちはわからなくもない。実際に友人は、「もうこんな国には住めない。カナダでの移民申請をして、パキスタンから出たい」と言っていた。

一方のネイチャー・ボーイといえば、比較的住環境がよい北部に住んでいるせいか、切羽詰まった様子はない。むしろここでずっとガイドを続けていきたい、という思いの方が強いらしい。さらに彼は、現地の子女教育を支援する活動も行なっている。

日本での暮らしについて尋ねると、簡単ではなかったという。彼の交流歴を聞く限りでは、非常にインターナショナル。台湾やマレーシア、タイなどにも頻繁に旅行しており各地に友達がいるという。

こうした暮らしを送る人の中には、世俗ムスリムとなり、食事規定や断食を実践しない人もいる。しかし、彼は、お祈りもしっかりするし、日本でもきっちり食事規定を守っていた。だからこそ、日本では食べられるものが少ないと嘆いていた。


標高3,000メートル付近で礼拝をしているネイチャーボーイ

日本人の友人は寿司などをすすめてくれるが、生魚を食べなれない彼にとっては、苦痛だったという。安心して食べられるのは、パキスタンやネパールレストランでの食事であった。聞けば、東京のモスクにも通っており、「ああ、あそこね!」とフンザにいるのに懐かしい東京の会話になっていた。

こんな話をしてくれたのは、ツアーの終盤である。

パキスタンで暮らして思ったのは、パキスタンは規格外の国だということ。日本だけでなく他の国であっても、その常識がほとんど通用しないイレギュラーな国である。そんな国で暮らす人々の思考も、いい意味でも悪い意味でも、すんなりと理解できるものではない。

ネイチャーボーイのように、誠実でまっとうな人間もいれば、こちらの感覚がまったく通用しない異星人みたいなやつもいる(側から見ているだけだと面白いが、絡むと面倒)。

ハイパー格差社会なパキスタンでは、普通というものがない。逆にいえばパキスタン人をひとくくりに語ることはできないのである。ひとえにパキスタン人との結婚といえども、幸せな結婚生活を送る人もいれば、そうではないケースもあるのだ。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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