土砂崩れの危機を逃れたものの、予定を変更せざるを得なくなった。スカルドゥ行きをあきらめて我々がやってきたのは、ギルギットから車で2時間ほど行った場所にあるギザール地区だった。ギザール地区の中心地で一泊し、翌日パンダールへと向かった。
ギザール地区のホテル。朝、目覚めてこの景色は最高だ。
朝食。パキスタンの食事は地域によって違うが、なぜか朝食だけはいつもオムレツとパンで全国統一されている。またこの地域ではチャイに砂糖ではなくて塩を入れる。
ギザールという聞きなれない地名に不安を覚えたが、ネイチャーボーイは例のごとく「ギザールにもたくさん見所はあるからなあ」と張り切っている。
「みてみい、ここの花はフンザの花よりもフレッシュだろ」
花の鮮度を見極められるとは、さすがネイチャーボーイ。あんずの花はフンザ一帯にしかないものと思っていたが、ここらにも咲いているらしい。
ネイチャーボーイいわく、花の咲き具合は標高や天候によってまちまち。初めはフンザのあんずの花にこだわっていたが、フンザじゃなくても良かったのでは・・・と言う思いがよぎる。むしろ咲き始めの場所を狙ったほうが、”フレッシュ”な花に出会える。とはいえ、花の見時に合わせて北部を訪れるのは、難しい。
ジモティーは興味ありげに見ているが、近寄ってこようとはしない
言われてみると、花びらが生き生きとしているような・・・
ギザールからパンダールへかけての道のりは、フンザよりもずっと人気が少ない。けれども、こんなところに観光客が来るのだろうか?と思うようなところにも、宿だけはある。国内観光客も含め、この地域を訪れる人は意外と多いのだろう。中には政府観光局が建てたゲストハウスもあった。大きな湖を見渡せる眺望が素晴らしかったが、コロナの影響なのか、閉鎖されていた。
政治にそれほど関心があるわけではなさそうだったが、ネイチャーボーイは、しきりにイムラン・カーン首相をたたえていた。
「パキスタンの観光業にあれだけ力を入れてるのはイムラン・カーンぐらいだよ。他の首相は、休暇にはヨーロッパに行って、パキスタン国内なんか旅行しない。こんだけパキスタンには素晴らしいと場所があるのに、歴代首相は気づいていないんだ」
確かに、イムラン・カーンはここ最近でも世界の有名インフルエンサーを集めて、パキスタン観光促進イベントなどを行なっている。パキスタン観光は、これから広がりを見せるのかもしれない・・・
しかし、残念ながらこの1ヶ月後。イムラン・カーンは不信任決議案によって失職することになる。
山間をゆく川では、釣りをする若者たちをちらほら見かけた。パンダールの食事処では、川で取れたマスの唐揚げをいただく。パキスタンで川魚が食べられるとは・・・
後で知ったことだが、この地域に生息するマスは、もともとこの地域のものではなかったという。19世紀末に、カシミール藩王の贈り物の見返りに、イギリス公爵によってマスの幼魚がプレゼントされたのが始まりだという。
パンダールの町
パンダールキッズ。背景の山脈がCG合成のようである。
調理前のマス
パンダールでの食事。中央にあるのがマスの唐揚げ。骨は柔らかいので丸ごと食べられる。注文をすると、オーナーが食材を買いに近所のショップへ出かけるところからスタート。それぐらいこの町には人が少ない。
食事が終わると牛がやってきたので、残ったナンをあげた。
近くでポロ大会をやっているというので見に行くことにした。
パキスタンといえば、クリケットが人気だが、北部ではポロも盛んに行われているらしい。英語のポロは、この地域で使われているバルティ語の”Pulu”に由来しているという説もある。毎年7月には、世界で最も高い場所で開かれるポロ大会がある。標高約3,700メートルというシャンドゥール峠の頂上で試合が行われ、国内でも大きなイベントの1つとなっている。
てっきりシャンドゥール峠でしか見れないのかと思いきや、ギルギットやスカルドゥ、チトラールでも春や秋に、地域対抗の大会が開かれているのだという。甲子園さながらである。
ポログラウンドを取り囲むように、すでに群衆ができていた。村の規模からは考えられないほどの、人だかりである。一体、どこからこんなに人がやってきたのだろう・・・
ポロ大会の余興なのか、大人がガチで綱引きをしている。勝利したチームは、喜びの舞ということで、民俗音楽に合わせて何やら楽しげに踊っていた。
ポロの試合を待つジモティー。関心の高さと地域の娯楽の少なさがうかがえる。
本気の綱引き
楽しげなおじさん1
楽しげなおじさん2
案の定、「ガイジンがいるぞお!」ということで、村の長老などお偉いさんが集まる特別観覧席に誘導される。運動会で言うところの、PTA会長、地区会長などが座る来賓席ブースである。パキスタン人からすれば、外国人はみな来賓者。このようにして丁重にもてなされるのだが、私はどうもこうした”特別待遇”をされる度に、言いも知れぬ違和感を覚えるのだった。
来賓席と楽器隊
「あーた、ちょっと。背中が見えてるわよ。ここの人々は保守的なんだから・・・」
気づかないうちに、ズボンとシャツの間から背中が見えていたらしい。同じく来賓席に座るパキスタン人女性に注意された。来賓席に座る女性は彼女と私しかいない。グラウンドを見渡すと、観覧席はきっちりと男性ブース、女性ブースに分かれていた。
試合が始まると観客席は一気に沸いた。来賓席の近くでは音楽隊がBGMのように、試合を盛り上げる応援ソングを演奏する。やっぱり甲子園だ。
試合を見守る観客たち
パキスタンのポロではほとんどルールがなく、レフェリーもいない。
ポロは王族のスポーツとして紀元前から親しまれていた。ポロの発祥は紀元前6世紀ほどにもさかのぼり、元々は中央アジアやペルシャで始まったが、パルティア帝国やサーサーン朝の時代には、すでに宮廷の娯楽となっていた。ムガール帝国でもそれは同じで、ラホール城のタイル壁画には、ポロを楽しむ王族の姿が描かれている。
というわけでポロといえば、貴族が「おほほほ」と言いながら優雅に観覧するものだと思っていた。しかし、ここでは観客とグラウンドの間に、フェンスなどはない。ボールを追って馬が観客席に突っ込んだりするので、観客は悲鳴をあげ後ろに退く。見ている側も命がけなのであった。
パキスタン北部なら1ヶ月以上は過ごせるな・・・と言うのが正直な感想である。カオスなカラチは2日目でもうギブアップだった。それよりも、パキスタン北部は奥が深い。人々の顔ぶれを見ていても、単なるパキスタン人ではなく、アフガニスタン、中国、タジキスタンといった近隣の国々を感じさせる。
現在はパキスタンとなっているが、独特な文化や歴史が根付いているはずだ。それらを見て回るのには、1週間程度では到底足りなかった。それに季節の移ろいもある。次は秋に来てみようか。