パキスタンでタロット占い。「どんな風に死ぬ?」禁断の質問をぶつけてみた

カラチによく当たるタロット屋さんがあるということで、行ってきた。

イスラームの国で占いというのはタブーである。なぜならすべてのことは、神の思し召しのままだからだ。そんな神に背いて、自分の未来を知ろうなど、なんとも恐れ多い行為・・・

・・・

というのは建前で、実はパキスタンだけでなく、エジプトやトルコにも占い屋というのは存在する。どの社会にも建前と実態というのは、乖離があるものだ。特にトルコでは、コーヒー占いというのがあり、コーヒーの飲んだ後の出がらし具合を見て、運勢を占うという一風変わったものがある。

小ぎれいなショッピングモールに、そのタロット屋はあった。銀行の前に、プラスチックの椅子とテーブルを並べた簡易な場所。プライバシーもへったくれもない。

椅子にひっそりとたたずむ初老の店主、カーリッドは流暢な英語を話した。パキスタンの伝統衣装ではなく、ジーパンに白シャツを着ている。洋服を着ている人々は、総じてリベラルな傾向が高い・・・というのが私の見立てである。

カーリッドは、御歳72歳。16歳の頃から、タロット占いをやっているという筋金の占い師である。こういうとき、年齢に関係なく、仕事ができるスキルを持っているのはいいなあと思う。

しかも、大きめのショッピングモールだというのに、場所代ゼロで商売をやっているという。

こうした占いサービスというのは、だいたい30分とか、60分など時間が限られている。しかし、ここは暇を持て余す人が多いパキスタン。時間など気にせずに、とにかく知りたいことを聴き放題なのである。

一通り気になることを質問した後、あの禁断の質問をしてみた。

「私、どんな感じで最後を迎えるんですかね・・・?」

全人類が気になるであろうこの質問。

イスラームではタブー中のタブー。なぜなら、人間の死期を決めるのも神という、設定になっているからだ。

けれども、日本では孤独死や終活など、高齢者世代が多いためか、若いうちから、こうした問題を考えさせられる。

特に人々を恐怖に追いやるのが、孤独死である。

結婚する気ZEROで、一人で生きているのが楽チン★と考えている私にとっては、他人事ではない。

となると、知りたいじゃないか。自分の最後。

孤独死 or not 孤独死

というわけで、占いの結果がこちら。

「多くの人に惜しまれる状態で、最後を迎えます。あなた自身もこんな年齢で亡くなることを惜しむでしょう」

・・・・

私、早死にするのか?

「あ、決して早死にするというわけではありません」

とか言いながら、占い結果を言いにくそうな顔をしていたぞ。

そんな動揺を隠すかのように、

「亡くなるときには、財産もあって、家族もいて、才能もある状態でしょう」

と、さも幸せな最後を迎えるでしょう、みたいなことをいう。

ということで、やや複雑な気分になった。それもそうか。結局、最後はどんな形であれ人間は死ぬのだ。ということで、どんな形であれ自分の最後について聞くのは、ハッピーにならないという凡庸な結論に達した。

ところで、占いは当たっていたのか。個人的には、占いというのは本人次第だと思っている。そもそもタロットや占いは、ぼんやりしたことしか言わない。

それを脳が勝手に、「ああ、あれのことだな!」と、つじつまが合うようにしているのである。それが、「当たっている」状態なのだと私は思っている。

私にとって占いとは、自分がこれからやることに対しての、力添えだと思っている。当たっているかどうかよりも、これでいいんだよな、という確認である。

それに、金を払って自分の話を聞いてもらうサービスでもある。日常生活で他人にこれをやると、煙たがられるので、占いぐらいがちょうどいいのだ。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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