カラチに来て2日目。もうパキスタンから逃げたくなった。これまでも海外で暮らしてきたことだし、パキスタン生活もなんくるないさ。そう思っていた。しかし、人口1800万人が暮らすメガトン都市で、私の自尊心は見事に打ち砕かれた。
なんかこの国おかしい・・・
そう思い、「カラチ やばい」「カラチ 地獄」と言った検索ワードで、パキスタンのネガティブ情報を探索していた。
げげっ
カラチが、世界でもっとも住みにくい都市にランクインしとるやないか。入国審査で国民がしばかれる映像を垂れ流すあたりからおかしいとは思っていたが・・・
よそ者の私が言うのもなんだが、パキスタンのシステムはかなり崩壊していた。
ある日のこと、エアビーのホストが車で近くのショッピングモールに連れて行ってくれると言うので、乗っかるとにした。駐車場に車を止めようとすると、「金を払いな」と係員が声をかけてくる。しかし、エアビーのホストは財布を持ってくるのを忘れたらしく、お金を払わずに駐車場に乗り込んでいるではないか。
「お金、払わんでいいの?」
「財布がないって言ったらOKだったわ」
ひえっ?
「ま、この駐車場も違法みたいなもんだからいいわけよ」
本来であれば駐車場にしてお金をとってはいけない場所で、勝手に商売をやっているらしい。
ソマリアを彷彿させる無法地帯感がそこにはあった。さらに付け加えると、ここパキスタンでは暗殺も横行している。価格は1人あたり8万円から20万円。価格は、暗殺される人間の地位などによって決まるらしい。
漫画か。
ショッピングモールの帰り道に、カラチ名物のビーチを見せてやると言うので車をビーチ方面に走らせる。道すがら、黒いジャンパーを着た警官たちが、何やら車を止めている。
「何か、あったんすかね」
「ちょうどお金を巻き上げる、いいカモを見つけたんだろうね」
特に悪いことはしていないが、ポリスにカモ指定されて、お金を巻き上げられようとしている瞬間だったらしい。警察なのに、ヤンキーと化している。
人が集まるカラチの名物スポット、クリフトンビーチ。まだ2月だが、気温は徐々に上がっている。あと数週間もしないうちに、灼熱の夏が始まると言う。その前にビーチに行きたいなあ、とクラスメイトに話すと、「ビーチって言っても、海はゴミだらけ。潮が引くと大量のゴミが打ち上がるんだよ」
ひえっ
カラチの衛生状況ははなはだしくひどい。道にはいたるところに大量のゴミがトッピングされている上、町を歩けば時々下水のかほりが漂う。産業革命時代のロンドンみたいに悲惨な状態になっているのである。
さらに、町のいたるところでワシの大群が、意味もなく旋回している。世紀末感この上ない。単に旋回しているだけならまだしも、ワシの子育てシーズンになると、人間を攻撃してくるらしい。クラスメイトたちによる、ワシ襲撃体験を聞いて、私は震え上がった。
旅行者によるパキスタンへの評価は、かなり高い。みな一概にして、パキスタンは良い国だと言う。しかし、これにはカラクリがある。パキスタンの国土は広い。北は8,000メートル級の山々が連なる大自然の宝庫。ほとんどの旅行客は、この北部を中心に訪れる。日本人が心をときめかせる桃源郷、フンザも北部に位置する。
対して、最南部に位置するパキスタンの最大都市カラチは、観光のアテになるものがほとんどないと言うことでスルーされている。しかし、パキスタンでもっとも人口が多く、活気付いているのが、ここカラチなのである。
と言うわけでほとんどの旅行者は、南部では産業革命時代の悲惨な状況が展開されているとも知らず、パキスタンを後にするのである。
これだけを聞くと、この世の終わり感しか残らないだろう。しかし、救いはある。国や行政のシステムがほとんど機能していないせいか、人々の連帯感が異常に強い。それはこの国を訪れた外国人にも向けられる。
パキスタンに足を踏み入れた瞬間から、パキスタン人に助けられまくっている。どんな困難に直面しても、必ず助けてくれる人がいるのである。通常、問題が起こるとカスタマーサポートやシステムによって解決するのが常だが、ここでは人が解決のキーとなる。
目の前にある問題を解決できずにフリーズしていると、人々が手を差し伸べてくれる。例えばこんな感じだ。
・パキスタンについてまだ数日。ネットがなくウーバーも呼べないし、近くにもレストランや店がないので、ご飯どうしよう→エアビーのホストがご飯を差し入れてくれる。
・SIMカードを購入したのに機能しない。カスタマーサポートに電話しても応答なし→エアビーホストがショップまでついてきてくれる。
・現金のみの支払いで、現金を持っていない→エアビーホストがお金貸してくれる。
・ATMに行ってお金おろさな・・・→クラスメイトが車でATMまで連れて行ってくれる
・週末に買い出しに行かな・・・→クラスメイトが車で店まで送ってくれ、買い物に付き合ってくれる
・学校のランチ休憩中、お腹空いたなあ・・・→クラスメイトの誰かがランチを買ってきてくれる
・毎日ウーバーで通学するのしんどいな・・・→クラスメイトが運転手を紹介してくれる
は?
こんなことをいちいち人に助けてもらうなんて、とんだクズ人間だと思われるだろう。
しかし、日本やシステムがきちんと機能している国では、片目をつぶってできることでも、ここカラチでは難易度が上がる。これについては追って説明したい。
驚くことに、上記のほとんどは、こちらから「ヘルプミー」と言っていないのである。う〜ん、と頭を悩ませていると、そこはかとなく助けがやってくるのである。パキスタン人はエスパーである。
人様に迷惑をかけるべからず、と言うスローガンを掲げる社会で生きてきた人間にとっては、人に頼ることは気がひけた。特に、一人でイスラエルやドバイ、トルコ、ジョージアなどに住んできたという、根拠のない謎の自負があったため、一人で問題解決できないことに、焦りもあった。「バカな・・・こんなはずでは・・・」
ある日、道端の露店でサモサ(コロッケみたいなもん)を買った。背後に見知らぬばあさんがいた。ばあさんは、お金をくれと手首のスナップをきかせた。バブルヘッド人形のように私が首を振ると、ばあさんは「これを買ってくれ」と商品ケースに入っている揚げ物を指差した。私はばあさんの分の支払いを済ませ、揚げ物を手渡した。
店を離れようとすると、ストリートキッズがこちらにやってきた。こちらも手首のスナップをきかせる。私は再びバブルヘッド人形のごとく首を揺らし、先ほど店で買ったサモサをキッズに手渡した。キッズ1号が去ると、キッズ2号がやってきた。もう1つのサモサを2号に手渡した。
あゝ野麦峠・・・ではなく、ああ、人の生活ってこうやって成り立っているのかもしれない、と思った。
正直、あふれんばかりの周りの助けを持て余していた。人に親切にしてもらったら、その恩返しをしたい。それが人情と言うもんである。しかし、カラチ素人の外国人に何ができるのか。何かプレゼントするにも、彼らの好みが分からん。
けれども、別の誰かに助けを求められたら、それに応じればいいのだ。はたから見ると、たかられただけなのかもしれないが。そうやってまた別の人間に手を貸せば、受け取った親切をリリースできるじゃないか。
今までの私は、一人でなんでも乗り切れると思っていた(イタい奴だった)
けれども・・・
もっと人に頼って生きてもいいのかもしれない
そうだ、人生は一人では生きていけるもんじゃない
人に頼れば人生はもっと楽になるじゃないか
人に頼ってもいいんだ
もっと人に頼って生きたい
パキスタンに、ありがとう
一人に、さようなら