パキスタンで米津玄師

米津玄師という人物をご存知だろうか。おそらく日本ではよく知られている人物に違いない。日本の最新文化に疎い私でも、米津玄師、レモン、なんか有名というおぼろげなイメージぐらいは持っている。

とある学校での授業中のこと。インダス川で取れた土を使い伝統的タイルを作るという作業をしていた。響きだけはエキゾチックで尊いが、あまりにも単純作業が続くので、クラスメイトの一人が「なんかBGM欲しくね?」と言い出した。

授業中に音楽を流すとは何事か、と思われるかもしれないが、少人数の生徒しかいない美術学校の授業は、なかば学級崩壊を起こしており、ゆる~い環境で授業が営まれていた。だから、授業中に音楽を流しても、誰も気にしないのである。

「これ、今好きな曲なんだよね~知ってる?」

とクラスメイトがYouTubeで曲を流し始める。

「へえ、パキスタンの人気の曲でも流れるんかな」と思いきや、画面をよく見ると、「米津玄師 Lemon」とある。

は?

突然のことに動揺した。

日本とは縁もゆかりもなさそうな土地なのに、確かにクラスメイトのスマホでは、米津玄師と見られる人物が高らかに歌い上げている。

そこで初めて私は、Lemonのフルバージョンを聴いた。

カラチで米津玄師の初体験。

なんて素晴らしい曲。

パキスタン人にLemonの素晴らしさを教えてもらった私は、Lemonを繰り返し流している。

米津玄師を皮切りに他のクラスメイトも、「日本って言ったら、あの曲好きだわーなんだっけ、ウタダヒカル?」

と言いながら、次には宇多田ヒカルの光が流れていた。

なんだ、このシュールな映像は。

決して彼らは、日本オタクではなかった。あくまで一般的な娯楽として、日本のカルチャーに接していたのである。

こんなこともあった。別のクラスメイトが、「ねえねえ、どれいもんって知ってる?」

「奴隷もん?」

「ああ、ドラえもんか」

ちなみに同人物が、「日本の有名な曲教えて!」というので、マツケンサンバを見せた。コテコテの衣装とステージにおののくかと思いきや、「衣装がとてもビューティーフル!」となんと2日に渡り、彼は感想を述べた。

これがアジアというものなのか・・・

それまで、ヨーロッパ人やアラブ人を中心に形成されていたコミュニティにいたせいか、よほどの日本オタクでない限り、最新の日本サブカルに関する語句が彼らの口から飛び出すことはなかった。あったとしても、「おしん」とか「ちびまる子ちゃん」と言った一昔前のものであった。

欧米人の間では、漫画やアニメというのは、子どもの娯楽としてとらえられていた。「日本では大人でも漫画読むよ~」というと、は?という顔をされる。彼らが好きな日本というのは、もっぱら食や伝統というカテゴリーにおいてだった。

ときには、性産業が盛んな国としても認識されていた。「日本ってそういう店がたくさんあるんでしょ?」と聞かれた時は、政治家の汚職謝罪会見のごとく気まずくなる。そう、真実だけども、その真実を大っぴらに話すのは、ためらわれるのである。

ところがアジアという日本に地理的に近い地域ともなると、日本文化の浸透率と深度も高まるらしい。

ドバイで働いていた際、数少ない東アジア出身の同僚がいた。一人は台湾出身で、貴重な有給を使い、日本人の私ですら聞いたことがないような、北陸の奥地へと旅行していた。また、香港出身の同僚は、やたらと日本のお茶やお菓子が好きだとのたまう人だった。

そう、日本に近い地域ほど、日本の最新文化やマニアックな部分まで知っている人が比例して多くなるのではないか、というのが肌感である。

パキスタンに来て、日本がちょっとだけ近くなった気がした。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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