中央アジア料理屋でなぜキムチ!?シベリアを渡った悲劇の料理

一行が次にやってきたのは、ウズベキスタン料理屋。

はじめての中央アジア料理である。

パンにキムチをつけて食べる!?

席について出てきたのは、「ナン(Naan)」もしくは「パティール(Patyr)」と呼ばれる円形のパン。インドのなんと比べるとけっこう厚みがある。そしてその横にちょこんと置かれていたのが、キムチ。


デニッシュ生地のようなパティールとキムチ


パンとキムチをあわせて食べるスタイル。これが結構合うのだ

誰かがさっきの韓国料理屋からキムチをわざわざ持ってきたのか?

そう思い込んでしまうほど、ウズベキスタン料理屋にキムチがいることは、通常では考えにくい状況である。

しかし、それこそが前回の謎を解くヒントでもある。

中央アジアでなぜ韓国料理が広まったのか?

なぜウズベキスタン料理やでキムチが出されるのか。そして次々と出てきたのが、「スパイシー韓国風チキン」だの「ラグマンスープ」だのといった、先ほど食べた韓国料理にクリソツな料理である。


スパイシー韓国風チキン。トマトソースベースにチーズがかかった鶏肉

これはアジア料理レストランで、チャーハンも寿司もラーメンもごったにして出すスタイルとは一線を画している。

しかも韓国とウズベキスタンは地理的にも遠い。一緒くたにして出すにしては、脈絡がなさすぎて飯屋としての統一性がないじゃないか。

そこに私の知らない歴史があった。

事の始まりは19世紀に国政の混乱により李氏朝鮮からシベリアへ移住した高麗人だった。移住した高麗人たちは着々と人口を伸ばし、19世紀末には極東ロシアにおける人口で、ロシア人を上回るまでになっていた。

しかし、そこで起きたのが日露戦争に続く満州事変。高麗人たちが日本のスパイとして活動しているのではないかと考えたソ連の指導者、スターリンは高麗人たちの強制移住政策をとったのである。

当時の様子を証言などにより再現した動画をみると、ナチスによるユダヤ人の強制収容所送りを想起させる過酷な強制移動だ。政策により高麗人たちがたどり着いたのは、カザフスタン、そしてウズベキスタンである。

ウズベキスタンは朝鮮系のディアスポラが世界で5番目に多い国である。ちなみにトップは中国、それに続きアメリカ、日本、カナダとなる。

そう、目の前にあるキムチは、スターリンの強制移住によって国を追われた人々の行く末でもあったのだ。それだけじゃない。なぜカザフスタン人やウズベキスタン人が、我々に似ているのかという点もこれで説明がつく。

異国の料理なのになぜか懐かしい

料理の見た目だけを見れば、ちょっと異国風な様相である。それに中央アジアの料理という情報もある。これだけで考えれば、目の前にある料理は完全な異国料理である。

けれども、口にした瞬間どこか懐かしさを覚えずにはいられなかった。その懐かしさの先にあったのは、母国である。「ラグマンスープ」は、そうめんとラタトゥイユをあわせた新感覚そうめんに近い。「ククシ」は完全に冷麺。


牛肉を使った「グマンスープ」。中央アジアでよく食べられている麺類。汁なしバージョンもある。麺はそうめんよりもやや太めだが、さらっと食べられる


見た目からして日本の冷麺のような「ククシ」。ラグマンスープにしろククシにしろ、肉をふんだんに使っていることが特徴。牧畜がさかんな中央アジアゆえだろう

入り口は遠く離れた異国だけれども、出口は大陸を超えてまさかの日本。いや、この場では韓国というべきなのだろうけども、私にとっては日本の味だった。まるで異国で母娘が再開したような感動に、一人だけ包まれる。

改革派か正統派か?

しかし、ここで味わう「韓国料理」は本場の韓国料理とはちょっと違う。海外の寿司のように、本場の味を離れ異国化した寿司である。

こうした料理は、本当に日本料理なり、韓国料理だと言えるのだろうか。この点において、我々は二手に分かれた。改革派と正統派である。改革派は、異国化した料理も、その国の料理と認める派閥である。

正統派からは、ウズベキスタン料理屋で出された料理を「キムチ」とは認めないという意見があがった。そもそも本当のキムチであれば、ナンと一緒に食べて味がマッチするわけがない、というのである。

確かに。ナンと一緒に食べてもいいように配慮がされたキムチは改良型キムチといえるかもしれない。

ちなみに私は改革派である。そもそもキムチの定義ってなんだ。白菜にチリパウダーがかかって赤ければキムチじゃないか。ウズベキスタンのキムチはそれを満たしている。

人の移動とともに進化する料理

本国で本国の人間によって本国の素材で作られたものだけが、その国の料理ではないと私は思う。もしそうでなかったら、ドバイのありあわせのもので私が作った日本料理は、日本料理じゃなくなる。

今や大規模なレベルで人の移動が起きている。自国の素材が手に入るにしても、十分じゃないのが現状。移住した人間は、その国で手に入るものを使い工夫して、母国の味を再現しようとしている。

そこにかっこよく言えば、フュージョン料理だったり、新しい料理ができたりする。人間の移動が活発化するほど、味の化学反応は進むのではないか。それは、食の単一化よりも多様化だと私は思いたい。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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