ヒジャーブをつけるのを辞めます。髪を公共の場に再びさらした日

特に理由はない。いろんな積み重ねがあったんだろうけど、いちいち考えると脳の負担にもなるし建設的ではないので、自分でそう思い込むことにした。

イスラーム教徒に改宗してから約1年。改宗後につけ始めたヒジャーブ(というかスカーフ)をつけるのを辞めた。

まさか自分が当事者になるとは

個人的には大したことではないと思っている。

イスラーム教徒でもヒジャーブをつけない人もいる。とりわけドバイのような場所だとそう感じる。

かつてムスリムの女性たちがヒジャーブをつけるかつけないかについて語る様子を追ったドキュメンタリーをみたことがある。あの時は、完全に他人事でまさか自分がその当事者になるとは思っていなかった。

スカーフをつけた当初は、なぜヒジャーブをつけなければいけないのかという理由がよくわかった。それは、実際につけてみないとわからないものだったと思う。

ただ、その理由を今も理解しているが、実践はしないという段階である。というか、当時でさえも本音を言えば、新しいファッション感覚でスカーフをしていた自分がいたことも否めない。

しょせん、元無宗教の人間である。そんな人間がいきなり「神がかった人間」になれるほど、世の中は甘くはない。

新人さん?職場の意外な反応

それはともかく、自分では大した変化ではないと思っていたのだが、職場に出勤するとそうではないことが、同僚たちの反応から見てとれた。

一番多かったのが、「誰?あの新人?」というもの。

同じ顔なのに、髪を見せる見せないだけで、他人にすら見えるらしい。なんだ、この新発見。

毎日顔をあわせているのに、「どうも〜はじめまして〜」なんていうやつもいた。

中にはスカーフを被るのをやめただけで、「え?イスラーム教徒やめたの?」という輩も出てきた。己の意思に関わらず、原則として棄教ができないのがイスラーム教である。

これを知ってか知らずして、ムスリム本人が聞くからちょっと驚いたものである。

同時に、人々がムスリムかそうでないかを見た目で判断していることもうかがわせた。やっぱり人は見た目が9割の世界か。

一方で、さらっと流す人も。

「ま、ヒジャーブつけててもアバヤを着てても、まともじゃないムスリムは俺の周りに結構いるからな。俺の妹たちもつけてないし。民族衣装みたいなもんじゃない?」と考える人。

ある人は、「結局、お前と神の問題だから、俺としては何にも言うことはないよ」といった。

イスラーム教というのは、超個人主義的な一面を持っていると私は思う。イスラームの教えを実践するのは、神と自分の関係次第。他人の目が気になるとか、空気を呼んでやらなきゃ、というものではない。

だから、こうして私がヒジャーブをかぶらなくなっても、「かぶるべきだろう」と関与したり忠告したりはしない(腹の中では思っているかもしれないが)。

同時に集団や共同体を重視する宗教でもある。ラマダンでは、誰もが食べ物にありつけるよう見知らぬ人への施しが奨励される。音楽好きがフジロックフェスで一体感を味わうように、ラマダンはムスリムたちが一体感を感じるフェスでもあるのだ。

集団晩餐会!?アブダビのグランドモスクで奇妙な光景に遭遇

ご都合主義なムスリム

さらには「俺は酒も飲む。豚も食べる。俺にとってムスリムであることは、神、天使、啓典、預言者、来世、天命(イスラーム教徒が信じるべき6つのこと)を信じるかそうでないかなんだ」

続けて、「昔はさあ〜、髪の毛で誘惑されるような時代だったかもしれないけど、今の時代の男はそんなにやわじゃないよ。髪の毛の誘惑ぐらいはやり過ごせる。むしろ、胸を出している方が刺激が強い」

などと俺のムスリム論をかましてくる人もいた。

私はどちらかというと、こうしたご都合派(重要なポイントだけ抑えて、実践はあまりしない)なのだが、結局それって自分の都合のいいように解釈しているだけじゃ・・?と思うことも否めない。

何ごとも自分で考え見極めるべし

言い訳をしようと思えばいくらでも思いつく。結局、人間は見たいようにしかものごとを見れない。しかし、だからと言ってコーランに書かれてあることをそのまま実践するのは無理がある。

それに、コーランだって完全なものじゃない。酒はダメとしておきながら、タバコの80倍害があるシーシャや中毒性の高いコーヒーについては、言及されていない。それをいいことに、人々はシーシャやコーヒーはよしとしている。

こうしたことが多々あるので、自分で考えて何を信じるべきなのか、やるべきなのかを切り開いた方がいいんじゃないかと思う。先ほどの俺のムスリム論をかました人は、それを「ヒクマ」と呼んだ。「ヒクマ」の基本的な意味は、ものごとを正しく判別するための知恵である。

「日本教」を信じる日本人になってないか?

これはイスラームだとかは関係ない。日本にだってよく考えると「あれ?」といったものがたくさん転がっている。

日本人は自分は無宗教だと思いっているかもしれないが、はたから見てると日本独自な「日本教」を信仰しているのではないかと思う。それは宗教だけじゃない、日本人が思う当たり前の価値観であったりもする。

世界でも特殊な新卒一括採用。
みんなが同じ時期に就職しないと行き遅れるって変じゃない?

大学の専攻と職種が一致しないのが当たり前な世界。
だったらなぜ大金払って大学にいくのか?同じ金額払うなら、絶対将来に役立つことに使うでしょ。

自分で仕事や職種を選べないのが当たり前?
自分の仕事を決める自由ぐらいあるのが普通じゃない?そもそも、SPIとかエントリーシートにかける労力があれば、労働市場や今後成長していく業界を調査して、職種を決めた方がいいんじゃない?

と、書いてると30個ぐらいなりそうなのでこの辺で辞める。

見かけで判断したりする人はいる。自分もたまにやる。けれども、はっきりいえるのは、ヒジャーブをつけずとも変わらない何かが確固として自分の中にある。その自信があるから、あえてこだわらないことにした。

あのドキュメンタリーの最後は、こんな言葉でくくられていた。

「まっ。こんだけ議論してきたけど、ヒジャーブといっても単に布一枚のことですからね」

マンガでゆるく読めるイスラーム

普通の日本人がムスリム女性と暮らしてみたらどうなる?「次にくるマンガ大賞」や「このマンガがすごい!」などでも取り上げられた話題のフィクション漫画「サトコとナダ」。

イスラム教やムスリムのなぜ?が分かる、対談形式のマンガだから分かりやすい!ムスリムの日常や中東料理、モスク、ファッションといったカルチャーまで。イスラーム入門本はこれで決まり!

ハサン中田考のマンガでわかるイスラーム入門
created by Rinker
サイゾー

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

管理人をフォローする
内向型のつぶやき
シェアする
進め!中東探検隊