はたから見るとヒジャーブ(スカーフ)をつけている女性は、「抑圧されている」と思う人は多いのではないか。フェミニストからすれば「キイー、許せないざます」レベルのものだと思う。
以前の私もそんな風に考えていた。こんなクソ暑いのに何が楽しくて、全身を覆っちゃったりしているのだろう、と。髪の毛も自由に出せなくて、まあ不憫なこと、とすら哀れんでいた。
しかし、その背景を知ると、違った世界が見えてくる。
イスラム教徒への「なぜ」の答えはコーランにある
そもそもイスラム教徒の女性がヒジャーブをつける理由。その根拠はイスラム教の聖典、コーランにある。
コーランはイスラム教徒にとってのバイブル。だからイスラム教徒のなぜ?という行動の理由は必ずコーランにヒントを見いだすことができる。
そのコーランにはこのように書いてある。
女の信仰者たちに言え、彼女らの目を伏せ、陰部を守るようにと。また、彼女らの美しい部分は外に現れたもの以外、表に表してはならない。
また彼女らの胸元には覆いを垂れさせ、自分の配偶者、父親、配偶者の父親、自分の息子、配偶者の息子、自分の兄弟、兄弟の息子たち、姉妹の息子たち、自分の女たち(女性全般)、自分の右手が所有するもの(奴隷)、男のうち性欲を持つものでない従者、または幼児を除いて自分の美しい部分を表に表すことがあってならない。
(Q24:31) 平凡社日亜対訳クルアーンより
一言で言えば、美しい部分は家族や異性には見せたらアカン!ということである。美しい部分というのは、顔と両手以外のことである。
女性は真珠。ヒジャーブは真珠を守る殻
そもそも美しい部分を見せたら、なぜいけないのか。それはイスラームの「人間は誘惑に弱いもの」という考え方からきている。
美女を見たら男はメロメロである。ナンパもしたくなる。けれどもそれはイスラームが説く「貞操」の世界とは逆行している。
「女性は真珠。ヒジャーブは真珠を外敵から守るオイスターの殻」。国を挙げてヒジャーブ着用活動を推進するイランで見かけたポスター
だったら女性の美しい部分を見せる異性は親族や夫、兄弟程度にとどめておきましょう、というのがイスラームの考えである。
確かにヒジャーブが覆う髪の毛は、女性の美しさの代名詞と言っても過言ではないように思う。
髪が美を引き立てている好例
シャンプーのCMなんかを見ても、モデルが長い髪をかき上げる仕草にドキッとしたことがある人はいるのではないだろうか。
要はあのドキッと感を公共の場でむやみやたらと散布するのはやめよう、ということらしい。
たかが髪じゃない?と日本人は思うかもしれない。けれども、多くの女性が髪をヒジャーブで隠している社会で生活していて、突然髪を丸出しにした女性を見た時、その理由はずいぶんと腑に落ちるのだ。
たかが布1枚?着用するかしないかの大論争も
しかし誰もが、「イスラームの教えですか。そうですか」といってヒジャーブを着けているわけでもなさそうだ。中には、なんで「こんなん着けなきゃあかんの?」という葛藤を抱いている人もいる。
UAE人監督による「The Tainted Veil」という映画作品はまさにそれを描いている。世界各地のイスラム教徒の女性を取材し、各々のヒジャーブに対する思いを紹介。
これを見ると、布1つなのに「つけるか、つけないか」で大きな論争になっていることがわかる。
ひとえにヒジャーブをつけている理由が、イスラームの教えだからというわけでもない。親に言われて、家族の目を気にして、といった様々な理由もあるのだ。
マンガでゆるく読めるイスラーム
普通の日本人がムスリム女性と暮らしてみたらどうなる?「次にくるマンガ大賞」や「このマンガがすごい!」などでも取り上げられた話題のフィクション漫画「サトコとナダ」。
イスラム教やムスリムのなぜ?が分かる、対談形式のマンガだから分かりやすい!ムスリムの日常や中東料理、モスク、ファッションといったカルチャーまで。イスラーム入門本はこれで決まり!