ぼんやり考えているといつのまにかオマーンに入国していた。
パスポートはいらないの!?と白々しく運ちゃんに聞いてみるが、あたりにはまるで人っ子ひとりいない。検問所みたいなものもない。ご自由にどうぞ、と言わんばかりである。
そういうわけで、UAEからオマーンへ。パスポートなしであっさり入国することができた。ここは、オマーンの飛び地、マドゥハー州である。
見捨てられた村・・・?
オマーンとUAEという違いなのかはわからないが・・・このオマーンの領地はひどく質素だった。街というより村である。
人が住んでいるのかも怪しい・・・
近くにはダムもあった
そんな村を抜けると、次はナフワと呼ばれるUAEの飛び地にたどり着いた。こちらもおっさん・・・ではなく、シャルジャ首長国の首長の肖像画が「どやさ〜」と言わんばかりにお出迎えにあがる。
こっからはUAEだかんね!シャルジャ首長とUAEの国旗が出迎える
「国境付近」には立派な建物群が並んでいた。いくら豪華な家であっても、場所が場所だしねえ・・・と豪邸に住む人々を不憫に思いながら進む。
岩山の中の豪邸
しかし突き進むにつれ、「あれ、ここはUAEだっけ・・・?」と思うような光景もちらほら。
ここもドバイと同じUAEの領域
そこにはかつて人がいたであろう、という痕跡はところどころにあったものの目の前にあるのは、ぽつねんと残された岩山である。
飛び地の中の飛び地。ということで、この地域には「何か」があるんじゃないだろうか、と私は密かに期待していた。しかし、あたりを囲むのはごつごつとした岩山のみである。人すらいない。
ところどころにオマーンでよく見かける「ファラジュ」と呼ばれる灌漑水路を見かけた。
岩山とはいえ、水がまったくないわけではないらしい。ファラジュの脇には、ヤシの木を始めとする緑が豊かに茂っており、場所によってはプチオアシスみたくなっていた。
どうやらここは、オマーンとUAEの光景が混在しているようでもあった。いや、むしろ国は後付けなのかもしれない。もともとこうした岩山にはファラジュがあって、のちに「ファラジュがある光景」=「オマーンの光景」と呼ばれるようになったのかもしれない。
2ヶ国間を超高速移動
そうして気づけばナフワと出て、再びオマーンのマドゥハーにいた。先ほどは、意気揚々と国王なり首長なりの肖像画をかかげて「おいでませ!」なんてやっていたのに、UAEとオマーンの国境線には何もなかった。
UAEとオマーンの国境線あたり。目印もなにもないので地図で確認しないとわからない。
岩山すぎてアラブ人たちも、「どうでもよくね?つーか、人なんかこなくね?」と面倒になったのかもしれない。その結果が国旗も目印も何もない岩山だったのではないか。
もはやオマーンともUAEとも言えない、単なる岩山を抜けるとそこはすでにコンクリの高速道路が続くUAE領に入っていた。なんだこのあっけなさは?
気づけば、たった30分という短時間で、UAE→オマーン→UAE→オマーン→UAEと2ヶ国間を超高速で移動していたことになる。しかもパスポートなしで。まるでディズニーランドのイッツア・スモール・ワールドのごとく、私はこの高速移動アトラクションをしばしば楽しんだ。
謎の飛び地の正体は・・?
しかし謎だけは残る。果たして飛び地にしてまで、欲しい土地だったのか・・・見た限りでは、ほっといても良さそうな土地である。むしろ金を積まれてもそんなに欲しくない土地である。
謎を抱えながら悶々としていると、意外なところで答えは見つかった。「オマーンを知るための55章」という本にその答えが書かれてあったのである。
その答えとは・・・
その土地の支配部族や家系がオマーンとUAE(のいずれかの首長国)のどちらに忠誠を誓っていたかで国境線が引かれたために起きたものである。
オマーンを知るための55章 飛び地より
帰属意識の問題だったのか。しかしどういう部族があの場所を支配していたのかについては書かれていない。この辺においては、別途調べてみるしかなさそうだ。
そんなわけで、はじめての飛び地体験はここに幕を閉じた。