季節がない国マレーシアに住んでわかった季節感の大事さ

マレーシアに移住して以降、何かがおかしい。ぼーっと暮らしていたら、すでに1年が過ぎていた。これは時空の歪みのせいなのだろうか。

ふと周りを見やる。マレーシアの人々は、モーメントで生きるのが上手い。つまりその瞬間を生きているということだ。彼らは過去にも未来にもあまり拘泥していないように見える。

例の美容院に定期的にいくのだが、毎回同じ担当者なのにいつも初めまして〜のノリで始まるし、直近では初めての担当者なのに、この間切りましたよね〜と別の客と勘違いされることもあった。

単にスタイリストたちが痴呆気味なのか分からないが、あまり他人を気にしていないことが発端ではないだろうか。長く一人のお客さんの髪を切っていきたい、という野心もないし、過去にどういうお客さんを担当したかもそれほど気にしていなさそうだ。ただ、目の前にいる客の髪を切るだけである。

一方で我々はどうか。日本人はどちらかというと未来志向な気がする。なるか分からない病気に備えてせっせと保険に加入し、将来のことを考え資格を取るとか、長い付き合いを期待してこうしておこうだとか、我々は幻想とも言える未来の呪縛に沿って、今を生きていないか。

雑に言えば、マレーシアには季節がない。正確に言えば、雨季と乾季があり、涼しい夏と暑い夏の2種類に分かれる。しかし、常夏は常夏だ。天気も変わり映えはなく、雨が全く降らない日、夕方になると雨が降る日の2パターンぐらいしかない。

マレーシアの生活はジャングルに似ている。ほぼ毎日近所のジャングルを歩いているのだが、年に数回訪れる暴風雨によってジャングルが荒らされることを除けば、基本的にジャングルの景色や音は毎日同じ。そこで毎日、違う人々とすれ違い、挨拶する。

毎日、同じ時間に歩いていても、同じ人と会うことはほぼない。つまり一期一会の出会いである。しかし、あの人にあったのはいつだろうか、と思い出そうとしても、同じ光景のジャングルではいつの時期だったか、なかなか思い出せない。

そう、同じシーンが連続すると、記憶が曖昧になる。四季があれば、あの時はこんな服を着ていて、木枯らしが吹く日でなどと、いくつかのヒントから記憶を呼び起こすことが容易になる。

マレーシアでは”人工的”に季節感を作ろという試みも見られる。常夏なのに、クリスマスツリーを飾り、冬物ファッションを売って冬感を演出してみたり、”夏”の季節には日本の盆踊りや夏祭りイベント、”春”には日本の桜をイメージして、造花の桜をはやしたててみたり。

こうした取り組みも、一時的なものにすぎず、「ああ冬か」とリマインドしてくれる程度で、ふと我に帰るといつもの常夏なのである。

ささやかながら個人的に、季節を感じるものもある。果物だ。マレーシアの青果店では、年中多様な果物が並んでいる。輸入物も多くノイズが多いのだが、マンゴーがたくさん置いてあると初夏だなあとか、ザクロが並ぶと秋だなあ、と思う。しかし、これもささやかすぎる季節感なので、記憶向上には役立たない。

というわけで、マレーシアに住むと記憶が曖昧になり、同時に過去にも未来にも拘泥しなくなるらしい。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。

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