マレーシアは、こうあるべきものという概念を次々とぶっ壊してくる。そうした概念から解放されると、生きやすくなる。不確実性に対する対処能力が上がるし、期待もしないので怒りもしない。そして、他人にも優しくなる。
しかし時々困ることもある。
公共の交通機関には、決められたルートがあると思っていたし、その通りに走るものだと思っていた。あの日までは・・・
いつも乗っているバスに乗った時のこと。
そろそろ降りるかあ、と降下ボタンを押したが、バスは依然として止まらない。そうこうしているうちに、バス停を通り過ぎているではないか。しかも、いつも通る道ではない。
バス停に止まらないし、ルートが変わるってどういうこと???
同情を求めようにも、通り過ぎたバス停で降りる乗客は私だけのようだったようで、みな知らんふりである。結局、2つ先のバス停で降り引き返すことで、ことなきを得た。
またある日のこと。
目的の場所で降りよっとしたのだが、なんとその一帯が交通規制により道が塞がれている。
え?こういう場合ってどうなるの?
目的の場所は、人通りの多い場所で多くの乗客が降りるはずだった。降りる機会を奪われた乗客たちは、あれっという顔をしながらも、ただその状況を受け入れる他ない。運転手によるアナウンスもない。
そこからバスの暴走劇が始まる。運ちゃんも予想外の出来事に焦ったのか、規制をかわしひたすらバスをどこへともなく走らせている。
いやいや、早く下ろしてくれよ
他の国であれば、「ちょっとお、どうなってるんですかあ?止められるとこで下ろしてくださいよお」みたいな声があってもおかしくはない。
私もそれを期待したのだが、20名ほどが乗るほぼ満員状態のバス内は、何事もないように静まり返っている。
なんくるないさ精神をまとい、静観しているジモティーにも驚愕である。
私の動揺をよそに、バスは知らないルートへと暴走を続ける。これじゃあ、セルフバスハイジャックである。
ひたすら市内をぐるぐる周り続け、ようやくバスは止まった。バス停に止まったというか、ドアが開いたままだったので、赤信号を見計らって適当に降りる客が続出したのである。
そう。このようにルートが変わっても、バスが目的の場所で止まらなくても、なんとかなるのである。となれば、別に目的の場所で止まることが全てではないよなあ、とすら思えてしまうのである。
ちなみに99.9%の場合、バスはルート通りに走り、止まる。しかし、しばしばこういうこともあるらしい。