マレーシアの不思議な店員その2

日本社会で流行している”多様性”について考えさせられた出来事である。

近所のスーパーに行った時のこと。レジ打ちをしていた男性は、一風変わった動きをしていた。ヘビメタを聞いているみたいに、何かぶつぶつと呟きながら、頭を前後にブンブンと大きく揺らしている。

ははあ・・・・

その領域に詳しくない人間でも、この人はちょっと違うぞ、と感じ取れる。おそらく、この店員は一般的にいうと何か知的障害みたいなものがあるのかもしれない。

しかし、レジ打ちは早いし、仕事も早いので問題ない。また、ある時に見かけた時は、新入りに仕事をテキパキ教えている。

この件で思い出したのが、シンガポールのコンビニ店員である。

「マルボロください」

「・・・」

店員が指さしたのは、レジの横の紙切れであった。

「私は耳が聞こえませんので、何かあるときは紙に書いてください」

ということで、マルボロください、と紙に書き込む。

店員、身分証明書がないと売れまへん、と書き込む。

マジですか・・・と私書き込む。

ダメ元で、どうしてもダメ?と私書き込む。

無理っす、と店員書き込む。

などと筆談できゃっきゃやっているうちに、次の客が出てきたので、「ちえっ」と思いながら店を後にした。

翻って考えてみると、東京でこうした店員に遭遇したことがない。回数にしてみれば、東京でコンビニやスーパーに行っている回数の方が断然多いはずである。

では、東京にはこうしたハンデを持った人がいないというのか。いや、そんなわけはない。数的に言えば、遭遇していておかしくない。ということは、社会の構造自体が、彼らと接点を持たないような構造になっているのではないかとすら思える。

だからと言ってマレーシアやシンガポールが、多様性を多いに認めている社会だ、とかいうつもりは毛頭もないのだけれども。それを多様性というのかは別として、一辺倒な条件や価値観で縛られている場所よりも、なんだか安堵感を覚えてしまうのは、事実なのである。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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