差別はある?日本人が外国人労働者として、海外で働いて思ったこと

今、日本人はみぞうの不安に陥っているらしい。

入管法が改正されたとかで、今後増えるだろう外国人との付き合い方について、不安を抱えている人もいる。

「言葉も習慣も違う外国人とどう付き合ったらいいのでしょう・・・」
「得体の知れない外国人が増えるのは心配だわ」

黒船襲来から変わらない、ピュアな島国精神を発揮している。そんな日本人たちがほほえましい。

そこには、いつも我々日本人と、外国人という対立がある。けれども、そもそも外国人にとって異国で暮らすことはどういうことなのか、を想像することは、多くの日本人にとって難しい。

私も、自分が”外国人”として、海外で働くようになってはじめて、日本の外国人労働者問題について考えるようになった。

そんなわけで、外国人として異国で働くというのはどういうことなのか。一個人が体験した外国人としての扱いや、差別は実際にあるのか?などについてお話しししたい。

もちろん、国によって体験や待遇は異なるので、あくまでとある中東の国での話、ということにしておく。

外国人は二級市民なのか?

幸いなことに、私が住む場所は、外国人が8割もいる特殊な土地柄のためか、そこまで極端な差別を日常では、受けたことはないと思う。

が、どうしても忘れられない出来事もある。

かつて空港の入国審査時に悪態をついた時のことである。

空港職員は、私が外国人として働いている人間だとわかると、「お前をこの国で働けなくしてやることもできるんだかんな」という趣旨の発言をした。

その時、私はさとった。

ああ。外国人というのは、仕事や生活をいとも簡単に、奪われる可能性がある存在なのだ、と。

外国人であるということは、いわば2級市民なのだ。こちとら真っ当に働いているだけなのに。ただ、自国か異国かだけで、こんなに扱いが違うのか。

当時の私は憤慨した。

そして、その恐怖は、今も骨の髄に染み込んでいる。

でも、外国人であるということは、そういうことらしい。

ある日突然、仕事も生活もなくなる

日本では、外国人に選挙権を与えるかどうかなどを議論しているらしい。

けれども、私が住む場所には、そんな議論などハナからない。なぜなら、政治体制上、そもそも国の代表を決める選挙はないからである。

しかし、やっかいなのがいつ起こるかわからない国外追放や逮捕の恐怖。

そんなソ連時代みたいな話、現実に起こりうるわけないやん、と思うかもしれない。これは結構あるあるなのである。

当たり前だが、日本人が日本国内で犯罪を犯せば、なんらかの形で罰せられる。しかし、犯罪というのは国によっていろいろで、日本では合法だが海外では違法といったことも多々ある。

例えば、言論の自由が制限されている国では、「この国、マジありえんし」とか、「この国の首相はお腹が弱いんですってね。プププ」なんて外国人が言ったら、「はい!さいなら♪どうぞ、お帰りくださいまし〜」である。

変化球パターンもあって、ソーシャルメディア上で元夫を「このクソブタ野郎!ハゲ!!!」などと書いて、「はい、さいなら♪」になった外国人もいる。

外国人がどこの出身であるかは関係ない。日本人だから、欧米人だから、といって免除されるということはないのだ。

ちなみにとある日本人も、ひょんなことから逮捕されている。

いろんな自由を知らずに享受していた人間としては、衝撃である。

こんなんで、「はい!さいなら♪」になるの!?

生活や仕事を失う恐怖から、人々は、何も言えねえ状態になってしまうのである。

ちなみに、ここでは私が具体的にどこに住んでいるかは書いていない。他の記事を見ればあからさまだが。。。

果たして効果があるのかはわからないが、それもひとえに、「はい、さいなら♪」を恐れてのことである。

日本人からすれば、「何をそんなにビビってんの?」と思われるかもしれない。しかし、これが異国で暮らすことの脆弱性ともいえよう。

いや、むしろ異なる政治体制の国に住むリアル、といったほうが正しいかもしれない。

誰かさんの鶴の一声で、ある日突然、「はい、さいなら♪」になるのである。その誰かさんは、必ずしも権力とは限らない。道端の誰かかもしれないし、友人かもしれない。

日本人は差別を受けるのか

日本人の見られ方というのは、周りにいる人間によってずいぶんと違う。

とくにフィリピンや、インド、パキスタンといったアジアの人々からは、親しみを持って接してもらうことが多い。あくまで個人的な感覚だが。

「ユニクロ最高だぜ!こんなに質がいいのに安いんだからな」、というユニクロの隠れファンもいた。

また、台湾人の中にも、「中国に支配されるぐらいだったら、日本に占領されてたほうがマシ!」という親日家もいた。

100カ国以上の人間があつまる都市において、アジアの人々というのは、日本人と同じく同志だと私は思っている。とくに、最近はインド人に親近感をいだくようになっている。

また、アラブ人、イギリス、ヨーロッパ人の中でも、日本に対して一目おいている人も、ちらほらいる。ちらほらなので、大勢ではないところがポイント。

アジア人女性=メイド!?

日本に対して好意的な人もいれば、もちろんそうでない人もいる。

例えば、年配のアラブ人に多いのだが、中には「アジア人女性=メイド」だと思い込んでいる人もいる。

アラブのおばちゃんに道を尋ねたら、「メイドなの?雇い主の場所、探しているの?」と言われたことがある。

えー?

モンベルのTシャツを着て、お気に入りのNorth Faceのジャケットを羽織って、いかにもアウトドア系の空気を醸し出しているのに!?

残念無念だ。

彼らに悪気はない。実際に、その国で見かけるアジア人といえば、本当にメイドのフィリピン人しかいないのである。

それに昔から裕福な家庭では、メイドを雇う文化があるアラブ諸国では、こうしたイメージがまだ残っているらしい。

日本の外国人労働者はどこまで守られているのか

若干話がずれてしまったが、この体験を通じて伝えたいこと。

それは、外国人労働者というだけで、自国民が享受している当たり前の安定感だったり、権利が守られなかったりする、ことが多々あるということ。

自国民からすれば、外国人よりも自国民のほうが恩恵を受けていて、当たり前だと思うかもしれない。

だから、日本にやってくる外国人労働者がどんな扱いや、状況に置かれているのか、ということには、あまり関心が薄くなる。

自国民という立場からしか外国人をとらえられない。そうした視点は、時に偏りすぎていることもある。

けれども、外国人労働者の立場からすれば、その国の労働力の一部となって、その国で労働し、消費しているのだ。さらには、税金まで払っているケースもあるだろう。その点においては、自国民と変わりがない。

国が自国民を優先するのは当たり前のことだ。けれども、外国人労働者だからといって、人間として当たり前の権利が守られない状況は、あってはならない。差異はあるだろうが、差別であってはいけない。

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