海外デジタルノマドと会社員時代の生活を比べてみた。収入、仕事、幸福度など

会社員生活をやめて、すでに1年が過ぎた。その間に、会社員→旅人→無職→日本でフリーランス→海外デジタルノマドと、蝶もびっくりなほど肩書きが変わった。

ここ半年ほどは、海外デジタルノマドとして落ち着いているわけだが、改めて会社員生活時代と今の生活を比べてみようと思う。

海外デジタルノマドとは?

正直言って、会社員をやめてからの自分の肩書きというものがよくわからない。フリーランス、フルリモートワーカー、在宅ワーカー、ノマド、デジタルノマド、デジタルマーケター、うんぬんかんぬん。あてはまりそうな名称は山ほどある。

とりあえず、あてはまりそうなものを組み合わせてみたら、「フリーランスでフルリモートで働くデジタルマーケター」という、戦隊ヒーローの決め技のような肩書きが出来上がってしまったので、とりあえず海外デジタルノマドということにしている。

海外デジタルノマド、とは何なのか。

横文字だらけでうさんくさそうな肩書きである。簡単にいえば、デジタルノマドとは、ITを使って遊牧民のごとく場所を移動しながら、生活している人間のことである。

ちなみに海外だと「デジタルノマド」だけだが、日本では国内と海外を住み分けするためか、なぜか「海外」という名称がひっついている。

そう。日本語で言うなれば、IT系遊牧民なのである。

自分の仕事だけをやるデジタルノマド

基本的に会社員時代も、現在やっている仕事もさして変わらない。私はデジタルマーケティングという仕事をやっている。ざっくりいえば、ネット上での営業マン的な仕事だ。

ネットショップや企業Webサイトに人を集めて売上を上げたり、ブランドやプロダクトの認知度をあげたりすることを目的に動いている。YouTubeとかInstagramとか、Facebookなんかで広告を運営するようなこともやっている。広告をウザいと思う一般ユーザーからは忌み嫌われるような仕事である。

あえて違いを挙げるとすれば、現在は自分の仕事だけをやっている状態だ。会社員時代は、チームを管理したり、あれこれミーティングしたりと、主に会社全体やチームメンバーに携わることにも時間を割いていた。仕事全体でみると、2~3割ほどがそうした時間に費やされていたと思う。

一方で、デジタルノマドは、リモートが基本。よって、「社内の人間関係」や「社内交流」と言ったものはほぼなく、社内での立ち位置や振る舞いなどを気にすることが、一切なくなった。それに伴い、人間関係から発生するストレスや「自分って他人と比べてだめやん!」と思うことがほとんどなくなった。

こう考えると、会社員時代の仕事は、純粋な自分の仕事+付属的な会社員としてのつとめ(社内交流とか)から、構成されていたんだなということに気づく。

劇的に変わった時間の使い方

ひとえに海外ノマドだとか、フリーランスといえども生活スタイルは様々だと思う。私の場合、働いて稼ぐ生活よりも、自分のやりたいことをメインにやる生活にしたかった。

会社員時代の終盤から、週休3日にならないかな〜とか、ランチ時間を抜きにして、就業時間を9時から4時までにすれば、もっと自分のやりたいことがやれるのに、などと考えていた。

そう、現代の人間が生きるのに、本当に週5日で1日8時間も働く必要があるのかね?ということである。1日8時間労働が制定されたのは、20世紀のはじめだ。今やアップルもグーグルもアマゾンもある時代だというのに、今だ人々は20世紀の人々同じような働き方をしている。

しかし、なかなか会社のシステムというのは変わらない。個人のライフスタイルを変える方が、断然早い。というわけで、会社員として働くことをあきらめた。

基本的には最低限の労働で生きる、なるべく働かない、というのがスタンスである。

だったら、完全に働かない方がいいんじゃないの?と思われるかもしれない。確かに、働かずして生きていける状態は、誰もが夢をみることかもしれない。

しかし、私はある程度の労働は必要だと思っている。無職時代に、好きなことだけをやっていたら、人生がつまらなくなった。そこで、社会とのつながりや、自分の得意なことで社会に貢献できる労働というのは、人生において必要だと悟ったのである。

というわけで、私の生活における時間の配分が以下である。睡眠や食事、身づくろいと言った諸処の時間は、省いてある。

会社員時代の時間の使い方 海外ノマドの時間の使い方

そう。今までは労働が生活時間の半分を占めていた。通勤時間や仕事の人間関係について悩む時間も入れると、生活全体の60%近くになる。労働中心の生活である。

一方で、デジタルノマド生活では、労働時間を全体の3割まで減らしている。1日の労働時間はせいぜい3~4時間である。もっぱら家で働くのが好きなので、コワーキングスペースに通う時間もゼロ。労働時間は少ないため、毎日が休みのようなもんだが、正月や週末も関係なくコンスタントに働いている。会社員のように、数週間は仕事のことを考えなくてOKという時期はやってこない。

7割近くあるフリータイムでは、ひたすら場所を移動してモスクをめぐったり、調べ物をしたり、アラビア語を勉強したりしている。この辺では、ほとんど資本主義社会において、”生産性のない”ことをやっている。いや、できるだけそうした”生産性の問われない”ことに、埋没していたいのかもしれない。

収入はどう変わった?

やはり多くの人が気になるのが、収入だろう。以下は、私が会社員時代だった頃と、デジタルノマドとしての直近の収入&労働時間を比較したものである。

会社員vsノマド収入比較
安定の会社員に対し、ノマド収入は月によってアップダウンがある。1月は海外ノマドとしてスタートした初月なので、収入は低め。

会社員vsノマド労働時間比較
どの月も会社員だった頃ほど働いていない。

会社員ではないので、月によって収入のばらつきがある。ただ、半年の合計でみると、それほど大きな違いがあるわけではない。

ただ、精神面への影響は違う。デジタルノマドの働き方にもよるが、私は長期的なスパンで働いているわけではないので、仕事がなくなったらどうしよ、だとかそろそろ新しい仕事見つけなあかんな、と言ったことが常に頭を去来している。

とはいえ、一概に会社員時代と比べて、収入が多い、少ないで比較することはできないと思っている。

収入がやや少ないと言えども、労働時間でいえば、会社員時代の6割程度しか働いていないし、自分がやりたいことにより時間をかけられている状態である。会社員時代と同じぐらい働けば、収入はもっと増えるだろうが、やりたいことに費やせる時間も減るので、生活の満足度は減少するだろう。

必要最低限に働いて、自分が好きなことに時間をかけられる、という生活から得られる満足度の方が高いのだ(少なくとも私の場合は)。

また収入は別として、時間をお金で買うという考えもある。会社員時代は、収入はあるが時間がないという状態だった。お金を出してでも、時間を買いたいぐらいだった。逆に言えば、会社員だった頃は、自分の時間をとにかく売り払って現金化している状態だ。

しかし、時間というのは買えるものではない(外注という方法で、時間がかかる仕事や面倒なことを他人にやってもらい自分の時間を作る、という方法はあるけども)。

「老後に時間あるじゃんかよ〜☆」という意見もあるが、60代過ぎと今では体力や精神力などが違う。もしかしたら、病気になって、自分のやりたいことをやるどころではないかもしれないし、そもそも老後まで生きている保証もねい。

健康体かつ意識が明瞭な状態で使える時間、というのは非常に限られている。それにその時間は、減っていく一方なのだ。お金は、数字で可視化できるが、時間は数値化できるものではない。

会社員をやめたことは、膨大かつ貴重な時間の売却を食い止める行為でもあったのだ。

自分にあったライフスタイルを見つけるべし

決してデジタルノマドの方がいいなどというつもりはない。けれども、結果的に私にとってはデジタルノマドの生活の方が自分にあっていた(少なくとも今のところは)と思う。

1年前の自分は、留学とか旅とか自分の好きなことをやるには、仕事を辞めなければいけないのだと思い込んでいた。会社員生活をやって好きなことをあきらめるか、好きなことをやる代わりに、安定した収入をあきらめるか、という究極の2択しかないのだと。

けれども、会社員と同様の収入を得ながら、好きな場所に行って好きなことをやる、というちょうどいい塩梅で、生活が営めるのだということを実感できたのが、デジタルノマドの生活である。

別にこれがデジタルノマドだろうがIT系遊牧民だろうが、呼び名は何でもいいのだが。

こうしたライフスタイルは、会社員vs非会社員だとか、収入が高い低い、といった視点で比べられがちだ。けれども、本当に重要なのは、その生活に自分が満足できているか、自分にあったライフスタイルなのか、ということだと思う。