働きがいのある会社が、働きたくない会社になるまで

これは、とある働きがいのあった会社が、もはや働きたくない会社になるまでの顛末である。

あくまでも一個人の見方なので、同じ会社によっても立場や部署が異なれば、見方も違うことをご了承いただきたい。

多少、個人的な愚痴っぽくなるかもしれないが、それでもこうした一例(事件)を紹介することで、働く人々の何かヒントになれば幸いである。

ほんの数ヶ月前まで、会社は私にとって働きがいのある場所だった。

”良い職場”を探すことが、日本のように簡単ではないドバイにおいて、少なくとも私が働く会社は、めずらしくまともな職場だったように思う。

しかし、事態は急展開する。

青天の霹靂で、たいした理由もなく私が所属する部署の2名が解雇されたのである。うち1名は、私の直属上司であった。

その時の様子は、こちらに書いたので参照されたし。
会社の不条理と社内政治に巻き込まれ、どん底に叩き落とされた話

上記の記事でも書いたが、明らかに不当な理由による解雇であった。解雇された2名は、1人はアイルランド出身、もう1人はイギリス人(元南アフリカ人)であった。

彼らいわく、「イギリスであれば、これは裁判沙汰や。というかイギリスならこんな状況ありえへんし」というレベルのお粗末な解雇劇だった。

もう誰も信じられぬ

あまりにも不当すぎたので、私は会社の人事や権力持ってそうな人々に、片っぱしから訴えた。

「これは、おかしいのでちゃいまんの」

しかし、結果は芳しくなかった。

彼らを解雇したのは、私の上司の上司にあたる人間である。イギリスで、世界でも名の知れたGなんたらとかいう会社で働いていた。俗に言うGAFAの一員である。

しかし、彼はサイコパスであった。

単なる悪口ではない。

事実、サイコパス度合いがいきすぎて、彼が会社にやってきて半年も経たないうちに、3名の人間が「彼とは働きたくない」という理由でやめていった。

みな、優秀と呼ばれる人々だった。

彼はそういう負の威力を持った人間である。いわば、PM2.5のような存在だ。

その時から、すべてに対する違和感が増幅し始めたのである。

人材採用にも非常に慎重で、優秀な人材を雇うことで業界では知られるあのGが、なぜサイコパスを採用したのか。

もはやGの厳しい採用を切り抜けられるほど、巧妙なサイコパスだったとしか言いようがない。

さらに、そのサイコパスを採用したのは、会社の社長であった。若くして、会社を成長させ、アメリカの投資会社からも多額の投資を得た人間である。

肝心の人事が機能していない。なぜ短期間で、こんなにも人がやめていくことを看過できるのか。

さらに、私は会社にたいしてどうしても納得いかないことがあった。数ヶ月前には、とある役員がセクハラで解雇されたのである。

その役員は、何年にも渡って高額な報酬(そこそこ売れている歌舞伎町のホストが叩き出す金額)をもらいながら、何人もの女性社員に対しセクハラを続けていた。

彼は人知れず解雇されたが、会社はそのことに対し何も言及しない。隠したい気持ちはわかるが、会社としては予防策などについて、社員に何か説明すべきではないのだろうか。

仮にも、高額な報酬を受け取っていた役員なのだ。それを見過ごしていた、周りの人間や社長にも責任があるのではないのだろうか。

絶望から学んだこと

これぐらいにしておこう。以上のことを踏まえて、私が思ったのは以下のようなことだ。

    •  年収や肩書き、役職とその人の優秀さは、決して一致しない。大いに乖離している場合も多々ある。
    • 経営に秀でた社長だからといって、人を見る目があるわけではない。社長=すごい人では、決してない。ただの人間。
    • 名の知れた企業が、必ずしも優秀な人材を採用できているとは限らない。てへぺろも紛れ込んでいる。
    • 人事は、必ずしも会社の人事について解決策を持っているわけではない。刺身によりそう大根のつまであるケースもある。人事は、駆け込み寺にはならない。
    • みんな、結局自分のことだけが大事。給料をもらって、自分の周りが安泰であればそれでよし。間違ったことが公然と行われても、多くの人は声をあげない。というか、自分に関係なかったらどうでもいい。
    • 会社に正義はない。社内政治で力を持つものが運営していく。それが嫌なら、労働者は職場を変えるしかない。
    • 人を信じてはいけない。いかに社会的な地位があろうとも、人当たりが良い人でも、裏で何をしているかわからない。

私が世間知らずなだけだったのだろうか。

それまでは、無意識に信じていた。

社長は先見のある人で、オフィスがかっこよくて勢いのある会社には、優秀な人々が働いていて、人事や会社は公正な判断を下せる場所であって、人々は正しくないことに抗議するものだと。

けれども違った。

結局、自分を守れるのは、自分しかいないのだと。

そして自分を守るには、強くなければいけないのだと。

強さは、精神的なものだけに限らない。国境を超えて、生活のために銭を稼いでいけるだけの、タフさと経験とスキルも強さには必要だ。

どの会社でどの仕事をするかよりも、誰と働くか

直属の上司や優秀な同僚たちを失って、はじめて気づいた。これまでの仕事が楽しく、やりがいのあるものであったのは、彼らのおかげだったのだと。

今、私は同じ会社で働いている。

けれども、時々思う。「あれ、自分違う場所にワープしちゃったのか」と。それぐらい、仕事や職場に対する意識は変わった。

類は友を呼ぶと言ったものだが、会社でも同じだ。サイコパスが次に雇ったのは、これまたミニサイコパスのような人間であった。

こりゃかなわん。

働きがいのある職場も、働く仲間によって、働きたくない職場になるのだ。会社を作っているのは、人なのだということをあらためて思う。知名度や会社の規模ではない。そこで働いている人々なのだ。

働きがいのある会社や、風通しのいい会社のすべてが、働きがいがあって、風通しがいいとは限らないのだ。

人事も、社長も、人も、肩書きも、GAFAも、会社も、社会的なシステムも、国も、もはや何も信じることはできない。

 

それは絶望だろうか。

 

いや、それは「自分の身ぐらい、自分で守れよ」というメッセージなのだ。

 

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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