日本で働くことはもうできない

6年以上前に、日本の会社を辞めた。それ以後、ドバイやらフリーランスで、日本とは遠く離れた場所で働いている。

けれども、日本人である以上、日本に戻って日本の会社で働くという選択肢がチラつく。日本で再び働くことも試みたが、どうにも気が進まなかった。それが以下の理由である。

日本語で仕事をするのが大変

日本語で仕事をするということは、日本のカルチャーの中で仕事をすることである。日本のカルチャーにどっぷり浸かっていると、何が日本特有のお作法なのかは分かりにくい。けれども、ドバイで働いてみると、あぶり文字のように日本特有のカルチャーが浮かび上がってくるのである。

この辺は過去記事を参照。
海外で働いて驚いた!日本人と海外の人の仕事観の違い
異常に疲れすぎている日本人VS人生を謳歌する外国人
日本と海外で違う残業への反応の違いに驚愕

フリーランスとして働き始め、何人か日本人フリーランスと働く機会があった。その時に痛感したのが、日本語ってストレートに物が言えないなあ・・・ということである。特に、相手の年齢が上だと、自分の考えや物事をはっきりと指摘できなくなるのだ。

コミュニケーションとしてはアリでも、仕事のようにさっさと進めなければいけない場合は、逆に足かせになる。

あと、議論もやりづらい。日本人は議論できない、とよく言われる。どうしても日本語を使って話すと、物事に対する意見が相手への批判に聞こえてしまいかねない。仕事や物事の話をしているのに、どうも我々は感情的にとらえてしまうのである。

日本人が議論できないというよりも、日本語の性質のせいかもしれない。

日本語の場合、話している言葉も、文字通りに解釈すれば良いのではなく、何を意味しているのか、相手が何を望んでいるのか、を解釈しなければならない。毎回、名探偵コナンみたいな暗号解きをせにゃいかんのである。これは大変だ・・・

作家の佐藤優はこんなことを言っている。

日本語の言葉遣いって難しいですよね。遠回しな言い回しや、言外に含んだ言い方が多いから、ストレートに意図が伝わらないことがあります。だから面倒くさい話になると、ロシア語に切り替えちゃうんですよ。ウチの奥さんは元外交官でロシア語が上手ですから。

親の話や親戚の話をするときには、特に言葉遣いが複雑になりがちです。感情を刺激しそうになるとき、何か議論するときには、パッとロシア語に切り替えちゃうと都合がいい。

こんなことも言われた。年上のフリーランスの方から、「今度、ズーム飲み会しましょ」と誘われた。初めてのズーム飲みへのいざないである。彼いわく、仕事では仕事だけの話ばかりなので、別途みんなのことを知る機会を設けるべきだという主張である。

しかし、仕事中にプライベートな話をよくする文化に慣れてしまうと、なぜプライベートな話を別途でする機会が必要なのだ?と思ってしまうのである。

日本の税金制度と上がらない給料

日本の税金重くね・・・?無税天国ドバイに住んで思った日本の税金制度への感想である。

日本にいた時は、気にもとめなかった。なぜなら、会社に勤めている限り、自動的に税金が差し引かれたものが、給料として我々の懐に入るのである。

ドバイでは所得税も、住民税、年金、国民健康保険もない。保険に関しては、会社側が負担してくれ、給料から差し引かれることはない。税金と言えば、2019年から導入された消費税5%ぐらいである。

一方で、日本だと年金、住民税、所得税、保険と税金ざんまいである。重税に苦しむ江戸時代の農民やないか・・・

税金はちゃっかり絞り取られて行くが、日本の給料はそれほど伸びていない。伸びてはいるが、他の国に比べれば、その比率が低いのである。

だったら、給料のいい海外へ出稼ぎに行った方がいいのでは、と思うのである。

仕事を頑張りすぎる日本人

30歳になるまでは、キャリアをしっかり積んで頑張ろうと思っていた。けれども、自分が結局、会社員生活に向いていない人間であることに気づいた。

会社員に向いていなかった社会不適合者が見つけた会社に依存しない生き方

そして、どんな人間であれ代替可能な人間なのだと気づいて、自分がやらなきゃと思う仕事も、別に誰がやったって構わん仕事なのだ(特に会社員系の仕事の場合)と思い始めた。首相や大統領ですら、変わっていくのだ。

最終的にフリーランスとなり、そこそこ働くだけで、生きていけるということに気づき、働くことを最小限にした。

ドバイで働いていた時は、仕事よりもみな人生の豊かさやプライベートの充実を追求していた。ドバイで徹夜で残業すれば、「こいつ、やべえ」みたいな変態扱いである。

一方で、日本人はとにかく仕事に頑張りすぎているように思う。私の周りの人間を見ていると、もう働かなくていいのに、なんでそこまで仕事をするのだろう、と思う。

とある日本のネットニュースを読んでいた時。「その社員は、有給を使ってまで、仕事にこっそりやってきた」などと書かれていた。たまげた。こんな珍奇なことがあるのか。

これぞ大ニュースだと思ったが、そんな現象は当たり前のよっちゃんだ、と言わんばかりでニュースが話題にしていたのは別のことであった。そのスルー力にビビる。

働き方の多様性、女性が進出しない日本

日本では、「働き方改革」だとか、「女性活躍」、「男性の育休」といったスローガンが掲げられている。

海外にいれば、日本人や日本はかなり評価される傾向がある。けれども、一方で、男女格差がトルコの伸びるアイスぐらい大きかったり、仕事において古い慣習がかなり残っていたり、まだ閉鎖的な部分があったりする。しかし、日本の会社で実際に働いていると、それに気づきにくい。

2021年のジェンダーギャップ指数ランキングだと、日本は156ヶ国中120位である。アンゴラとシエラレオネという、日本人にはあまり馴染みのない国に挟まれている。日本にいるとあまり実感がないが、男女格差が日本よりも小さい国にいると、そういうことか!と合点がいく。

海外に出て初めて思った。うわっ・・・日本の女性の地位、低すぎ!

それらがすべて実現している社会では、そのようなスローガンは存在しない。すでに女性の管理職がガンガン働いているし、男性社員も育休を取っているし。

産休や有給休暇で休みをとっても、文句をいう人はいない。逆に文句を言おうもんなら、心の狭いやべえやつだと思われるのがオチである。

どうにも、日本社会においては、スローガンが重要らしい。スローガンなくして、社会や個人が変わることはないのだろうか。人々を変えるには、法律やスローガンがいつも先にある。戦時中のようだ。

こうしたスローガンがなくなるには、あと30年ぐらいかかるだろう。30年も待つぐらいなら、別の国だとか、フリーランスで働いていた方がいいんじゃないか、と思うのだ。

高齢化社会でどう生きていく

ある意味で、日本は海外から見ると特別視されている。いや、実際日本は別世界だと思う。

アラブ世界では、日本は「惑星日本」と呼ばれている。原爆投下から一気に経済大国へとのし上がり、技術が高度に発達している、近未来な世界。そして人々は礼儀正しく、謙虚である。素晴らしき世界かな。それがアラブ人から見た日本である。

アラブ以外だと、「日本ってやつは・・・」という声もある。この手の声は、聞いていて辛いが、真摯に受け止めるしかない。一部の人々は、「日本人はなんでも信用しすぎや」だとか、「日本では、いまだにテレビCM(他の国では対して効果がないと思われている)で物が売れるんやて」。

総じてこうした声の主は、日本人はおとなしく、こちらがゴリ押しすれば通る、みたいな考えを持っている。出る杭が打たれる日本においては、粛々とやるのがベストアンサーなので、こう言われるのは仕方がない。

一方で、日本の路上ではたと我に帰る。どこもかしこも、高齢者なのだ。日本にいれば、おなじみの光景ではあるが、改めて思い浮かべてみよう、高齢者が4人に1人の世界。

小学生頃から社会の授業で、「将来は、3人で1の高齢者を支える時代になるんですよ〜」などと我々は教え込まれる。「ふうん」。小学生の私は思った。それが、当然の成り行きだと思っていた。

しかし、人口の平均年齢が18歳のソマリアや、働き盛りの労働者たちが集う平均年齢33歳のドバイからすれば、驚愕である。確かに町の空気感が違う。

高齢者が多数を占める国では、社会システムや政治、経済がすべて彼らを中心としたものになっていく。それは自然の流れだ。

日本は、もう成長しきってしまったのだろう。アラブ人たちが、褒めてくれるも過去の栄光のおこぼれなのだ。日本では高度に成長した社会ならではの、穏やかな空気が流れている。規律を守るためのルールも多くある。

一方で、成長を遂げようとしている国には、荒々しいが活気がある。ルールはない。だから人は自由に振る舞う。安定がなくとも、荒々しい社会には、それなりの楽しさがある。

移民などにより人口が増えれば、状況は違うだろうが、その気配はなさそうだ。一方で日本よりも人口が圧倒的に少ないドバイは、すでにその危機を察知し、経営者や国に貢献するような優秀人材に、UAEの市民権を付与するようになった。頭のいいできる人材を増やすことで、国の未来につなげるのだろう。

60~70年代の日本に生まれたら楽しそうだったなと思う。三島由紀夫や全共闘がいた時代。そしてどこでもかしこでもタバコをスパスパできた時代。しかし、それは叶わない。ただ国を移動することで、疑似体験は可能だ。イラクを訪れた時そう思った。

中東で出会う人々は、「日本はいい国なのに、なんでお前はそこから離れたがるんだ」という。確かに、日本には表現の自由や安全な生活が空気のごとく、当たり前のようにある。それがない、もしくはそれを得るために母国を離れようとしている人の方が、世界には多いのだ。

自分でも分からない。村上龍の「この国には何でもある。だが、希望だけがない」というわけでもないのだが、ただ、日本の60~70年代のような世界で生きてみたいのだ。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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