ドバイの会社で働いていた時の同僚から誘いを受けた。「新しい会社で働くことになったんだけど、アンタ、ドバイにもう一度きいひん?」
ドバイの仕事をやらないか、というお誘いである。
再びあのドバイで生活。
心が一瞬踊った。
が、次の瞬間には、「ドバイかあ・・・」である。
正直、気が進まなかった。5年前の私であれば、「はい、喜んで」と即時返答したが、今ではどうやって断ろうかと考えている。
会社員生活にメリットを見出せない
気が進まない理由は、ドバイ生活にメリットを見出せないからである。いや、ドバイ生活自体は楽しいし、学びも多かった。しかし、今の自分はそれを必要としてない。
ドバイに戻ることは、フルタイムの会社員生活に戻ることを意味する。あの頃は、ドバイで働いた方が給料も高かった。しかし、フリーランスになった今では、会社員に戻ることは、マイナスでしかない。
決められた時間で、しかも今より長時間働いて、給料と自由度が低いなんて・・・
フリーランスになってから、決められた曜日や時間で働くことにあまり意味を見出せなくなった。仕事量によって、働く時間は変わるし、純粋な仕事時間で言えば週に40時間も必要ないのではないか。
もちろん会社員になれば、安定した給料が毎月出る。仕事が長期的に保障される。しかし、収入が毎月違うことに慣れ、仕事がなくなっても別の仕事があるさ〜というマインドでいれば、安定した給料はメリットにはならない。
これまでは、働くことは生活の大半を占めていた。
けれども、より少ない労働で、より多くの収入を得て、好きなことに費やせる時間が増えたら?
断然、そっちを選ぶだろう。
オフィスで働くのはもう時代遅れ?
コロナ以降、世界的に多くの人がリモートで働くようになった。問題は今後である。とある調査では76%の人がフルタイムでオフィスで働きたくないと考えている、という結果が出た。
さらに、ヨーロッパで行われた調査では75%の人が、コロナ後に職場に戻ることを、上司や会社に強制されるのは違法であるという考えに同意している。とはいえ、大半の人が望むのは、オフィスとリモートのハイブリッドな働き方である。
そして、フルタイムで会社で働くことを希望する人は、いくつかの調査を見ても全体の10%以下とかなり少ないということである。これらの調査はヨーロッパやアメリカのものなので、アジアではまた事情が違うかもしれない。
そう、今や働き方にいくつもの選択肢がある時代なのだ。だからこそ、選べない、融通がきかない働き方は、避けたいのである。
そんなに働きたくない
働き方が選べる時代には、人生における仕事の意味も変わってくる。仕事が生活の大半を占めていた頃、仕事の規模や会社の知名度なんかも、どんな仕事をするかにかなりこだわっていた。それが人生の充実やステータスにもつながるからである。
けれども、それほど人生において仕事以外のことを優先し始めると、そちらで充実感を味わうことができるので、あまり仕事それ自体にこだわることはしない。
というわけで、そんなに働きたくない、という流れになる。
いろんな仕事をやっていると、仕事なんて誰がやろうと大して変わりがない、自分の代わりはいくらでもいるのだという気づきの連続である。それならば、仕事にそんなに夢中になる必要はあるのだろうか?と思う。
だから、仕事のために自分の生活や自由を無下にして、ドバイに行くことはできないのである。
楽しかったあの頃は再び訪れない
ドバイ生活を考えた時、過去の楽しい思い出がよみがえった。愉快な仲間と働いていて、あの頃は楽しかったよなあ・・・このように脳は、過去の大抵のことを良い思い出として見せてくれる。
ドバイに戻れば、またあんな感じになるのだろうか・・・
我々は、過去にノスタルジーを感じてしまう。そして、時々それをよみがえらせようとする愚行に走る。昭和の人気アイドルグループの再結成や、過去に大ヒットした番組や映画のリメイク版だとか。
けれどもはたから見るに、全盛期ほど盛り上がらないのがオチである。あの時代、あの時の人々だったからこそ、盛り上がったのだ。
価値観が変わり、周りの環境が変わった今では、同じように楽しめるかというと、そうでもないと思う。楽しかった過去は過去として、次の楽しい思い出を作るべきなのだと思う。
改めてまたドバイで生活しようかと思った時、かつてのドバイの良き思い出が浮かんだ。近未来的な町、摩天楼な高層ビル、世界中からやってくる人々、近隣の中東諸国への旅・・・
しかし、改めて物件を探しつつ、リアルなドバイ生活を思い描くと、そこにワクワク感はなかった。親しみのある懐かしい光景だが、そこに面白みはない。
ドバイ生活は確かに楽しいものだった。けれども、再びそれを取り戻そうとすることは、ないだろう。