UAEはイスラーム教の国だが、住人が全員イスラーム教徒というわけではない。
ラマダン中は断食をするムスリム。そして断食をしない人とに二分される。とりわけドバイのような多国籍な人間が働いている職場ともなると、それが明確になる。
就業時間も微妙に違えば、行動パターンも断食をする人、しない人で違うので、誰がムスリムかということが非常に明確になる。
この時期になってはじめて、「え?あの人、ムスリムだったの?」みたいな発見もあるのだ。
去年までは、断食しない側だったが今年は断食する側としての参戦だ。断食する側にまわったことで気づいたことがある。
断食をしない非ムスリムでも、ラマダン中は公共の場でタバコを吸ったり、飲み食いすることを控えねばならない。
以前の職場では、断食中のムスリム同僚が横にいても、私はそいつが離席した隙を狙って水を飲んだり、お菓子をつまむなどしていた。
ムスリムの目を潜んでやるので、飲食することに一種の背徳感を感じるほどであった。まるでコソ泥のような気持ちである。
断食をしない人々こそが、ムスリムたちに多大な気遣いをしているのだと。断食をする必要がなかった去年はそう思った。
けれども、それは違った。
断食をする側もそれなりに、断食をしない人々に気を遣うのだ。断食する側にまわって感じた今年の発見である。
私の横に座るインド人の同僚は、ムスリムではない。ラマダンが始まって以来、彼が自席で飲み食いする姿を見なくなったなあと思った時。同じく断食中のパレスチナ人がこう言い放った。
「飲み食いしたかったら、していいんだかんな。俺は全然気にしないから」
そうそれ。
よくぞ言ってくれたと思う。スマートな気遣いを見せるパレスチナ人に乗っかり、私も念を押していう。
「ホント、自由に飲み食いしてくれい。むしろ我々に気を遣って、飲み食いしない方が、悲しいけん」
断食はこっちの都合なので、それに合わせて断食をしない人々がプレッシャーを感じるのが嫌なのだ。逆に気を遣わせてごめん、とすら言いたくなる。
こんなこともあった。
お昼時。ランチ何食べよう?という会話で盛り上がる同僚たち。
「やっぱピザじゃね?」
「おお、ピザいいじゃん?何ピザにする?」
たかがピザでそんなに盛り上がれるのか、というぐらいの盛り上がりを見せていた。もしかしたら、こちらが断食中なので、ランチの会話が誇張されて聞こえたのかもしれない。
あまりにもピザ!ピザ!と大声で連呼しまくるので、終いには「ヘイ!こちとら断食中なんだぜ。ちょっとは気を遣ってくれよ。そんなにピザを連呼されたら、お腹が余計に減る」と言う同僚もいた。
個人的には、食べ物の話をされたり、写真を見ても平気な方だが、人によっては避けたいと思っている人もいるらしい。
異なる文化や国の人々がこのように気を遣い合う様子は見ていてほほえましい。それもやはりラマダンならではなのだろう。
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