誰にもさようならを言わずに、マレーシアを去るんだろうな・・・数週間前の自分はそう思っていた。言うとしても、近所で懇意にしている野良猫ぐらいだろう。まるで社会とのつながりがない、独居老人である。1年半も住んだのに、この有様では我ながら悲しすぎる。と思っていたら、最後はまさかのどんでん返しとなった。
最後になって・・・
久しぶりに、ジムでマレーシア人のご近所さんにでくわした。数回挨拶しただけなので、それほど親しい仲ではない。私がドイツに行くということを伝えると、「じゃ、この後ウチでSAKEを飲もうぜ!」と、自宅に招待してくれるではないか。
SAKEと言っても、私が日本人だからSAKEと言ってくれたのであって、ビールやワインの類だろうと思っていた。
が!
出てきたのは、まさかの「男山」
しかも一升瓶
大酒飲みしか持ち得ないこのサイズ感・・・
こやつは本物や・・・
と思った通り、数時間で我々は一升瓶を空にしてしまうのであった。
その後、ご近所さんもといジェシカと急速に距離が縮まるのであった。マレーシア生活は残り2週間もないというのに。その数日後、ジェシカは仲間が集まるバーに誘ってくれた。皆は知り合い同士だが、私はもちろん初めましてである。
スウェーデンのトラウマが頭をかすめたが、そんな心配は無用だった。とにかく全員がいい奴らすぎるのである。深夜まで飲み明かし、しまいには私のお別れ会を別日に開こうなどと言ってくれるではないか。
ベルリンで上手くいかなかったら、いつでもマレーシアに帰ってきておいで☆
初対面なのにいい人すぎるダロ・・・
仲間たちは、パパ活アプリの開発会社に勤めていたという同僚だという。マレーシアでもそんなサービスが展開していることに驚きだが、今では皆起業したり、ファミリービジネスをやっているという、キレッキレな人たちである。そして彼らは、とてもインターナショナルで、世界中に知り合いがいる、という人たちである。実に懐が深い。いやだからこそ、人徳が高いのだろう。スウェーデンのザリガニ事件は、単なる事故だったのだとすら今では思える。
ああ、この感覚は久しぶりだ・・・
素敵な人々と出会うことで、知らない町に安心感を抱いてしまう。
そしてあと数週間でお別れだというのに、マレーシアはまた帰ってきたくなるセカンドホームへと昇格した。
見知らぬ異国で孤独を感じないために
その時私は悟った。自分が居心地が良いと思える空間を見つけることの大事さを。1年経ってもマレーシアとは、どこか他人行儀な感じがした。その事実に苦しみもがいたが、私が見つけるべきだったのは、親しい友達よりも、心地よい空間、自分の居場所だったのだろう。それはゆるくたって、浅くたって構わないのだ。
幼少期の頃から各地を転々としているのだが、引っ越し前には必ず”引っ越しラッシュ”なる現象が発生する。引っ越し前になると、いろんな人から声がかかる現象である。
意外にもマレーシアでもそんなことが発生した。先のジェシカだけでなく、行きつけのカフェやショップのオーナーたちも、ドイツ行きを伝えると、「最後にお店にきてな☆」などと誘ってくれる。お別れに、無料でコーヒーをいただいたり感謝しかない。ジャングルでよく会う人々にも別れを惜しまれた。
自宅のコンドミニアムのジムでも偶然の出会いがあった。1年前に通っていたパーソナルトレーナージムのトレーナーが、いたのである。今はフリーランスでトレーナーをやっており、たまたま私の自宅ジムで、他の生徒のトレーニングをしていたところだった。
そうか、自分の思い込みだったのだ。
自分はぼっち、孤独だと思っていたが、実は意外にも自分と繋がっている人はたくさんいたわけで。むしろ自分がそれに気づいていなかったのだ・・・あまりにも”親しい関係”にとらわれるばかりに、それ以外は”無”だと思い込んでいたのだ。
親しい関係が作れず自分は落伍者だという烙印を押していたが、自分が行動しただけ、それは形になっていたのである。
マレーシアに来た意味
マレーシアでは孤独だったかもしれない。フルリモートワークでマレーシア社会との関係性構築ができないことを嘆いていた。だから、社会と関係性を作る手っ取り早い方法は、会社につとめ出勤することだ、と思っていた。
けれども蓋を開けてみたらどうか。マレーシアでは、かつてないほど会社以外での知り合いが増えていた。一方で会社勤めをしていたドバイでは、そうした知人はほとんどいない。思えば、マレーシアの別れは、ドバイよりも華やかで温かいものになった。
マレーシアの人々の懐の深さには、頭が上がらない。マレーシアに来た意味をずっと探していた。なぜ自分はマレーシアに来たのか、マレーシアに来たのは失敗だったんじゃないか、と思う時もあった。けれども、最後になってその理由を見つけることができた。
マレーシアに来なければ、ドイツ移住を考えることもなかった。マレーシアでジャン活(ジャングルを巡ること)をしていなければ、ドイツ人のシュテファンとの出会いもなかった。ベルリンへ行くことも、スウェーデンに行くこともなかった。すべては、マレーシアに来たからである。
何よりこれだけ多くの人に出会い、多様な人々とのコミュニケーションや肩の力を抜いて生きることを学んだ。それは、今までの私に欠けていたものであった。だから、マレーシアは絶対的にあの時の私の人生において、必要なものだったのだと思う。