狂気じみた祭り!?ラマダン明けの祭り「イード・アル・フィトル」

ラマダンも今日で終わり。人々の間には、今年もラマダンを終えたという安堵の雰囲気が流れ始める。

同時に、ラマダン明けを祝う祭り、「イード・アル・フィトル」へのワクワク感も入り混じる。
まだ「イード」は始まっていないのに、人々は「イード・ムバラク(断食明けの祭り、おめでとさん!)」と声を掛け合う。

え?まだラマダンの最終日でイード始まってないじゃん?とツッコんでみるものの、そういうもんだという。

こちとらとしては、12月31日に「新年あけましておめでとう!」と言い合っているような違和感を覚えてしまう。

しかし、もうそんなことはどうでもよい。

なにせもう夜中まで起きていなくてもいいし、いつでも好きな時に飲み食いできるのだ。この素敵な開放感を心ゆくまで味わうのが、私にとってのイードである。

そんなわけで、戦後の子どものごとくあれが食べたいな、これが食べたいなと妄想を膨らませるのである。普段は食べられればなんでもよい、という人間でもラマダンを経験すると、こうなってしまうのだ。

月の満ち欠けで決まる祭りの開始日

ラマダンの始まりが月の満ち欠けで決まったように、イードもまた月によって決まる。

新月が確認された時点で、新しい月が始まるのだ。すなわちそれは、ラマダンの終わりを意味する。

この月の満ち欠けに、人々はずいぶん翻弄される。なにせイード日が決まるのはイードの前日だからである(事前に、このあたりだろうという予測はあるが、正確な日時は前日に決定する)。

日本であれば、お月見の日に「お月さん綺麗ですなあ」と月を見上げるぐらいである。その上、「月にうさぎがいる!」などというファンシーな会話できゃっきゃする。人間と月の関係なんて、それぐらいだ。

しかし、イスラム教においては「月」によって人々の行動が決まる。「月」が人々の営みに与える影響が大きいのだ。

今年は、うまくいけばイードの休日と週末をあわせて、最大4日の長い週末になる予定だった。しかし、現実はやはり甘くない。

結局週末とイードの祝日がきれいに重なって、通常通りの週末となった。日本のように、「振り替え休日にして差し上げましょう」という慈悲はない。長い週末にときめかせた心と時間を返していただきたい。

イスラム教は、祝日が少ない。この時ばかりは、イスラム教の国に住んでいることを後悔する。

毎月のように祝日がある日本はいわんや。キリスト教にはイースターがあるし、ユダヤ教は日本人でもドン引きするぐらい、しょっちゅう長い祝日があるのだ。

狂気じみたイードの朝

イードの日はいかにして始まるのか。イードという祝日は、正月のように日付が変われば自然とやってきて、適当に「イード、おめでとう!」と言っていればいいものかと思いきや、そうではないのだ。

イードの日の朝。何やら近所のモスクから大音量が聞こえてくる。

「アッラー・アクバル、アッラー・アクバル、ラー・イラーハ・イッラッラー(神は偉大なり。アッラーの他に神はなし)」。

ひたすらこの同じフレーズが、30分間ほど大音量で街中にこだまするのだ。しかも時間は朝の6時前。狂気を感じずにはいられない。世の終わりでも来たような不気味な空気が漂う。

こうしたモスクの大音量は、異教徒にとっては暴走族や選挙カーよりも近所迷惑甚だしいところだろう。

ラマダンが終わった週末。疲れと寝不足でゆっくり寝たいところだが、怨念のごとく繰り出される呼びかけに、寝ることもできない。

しかも週末の朝っぱらだというのに、ゾンビのごとく人々がぞろぞろとモスクに向かっていくではないか。モスクに面する道路は、路駐車であふれかえっている。

想像してみてほしい。土曜日の午前6時前。渋谷スクランブル交差点に、日曜日の午後のような人だかりができているのだ。


イード礼拝のため週末の午前6時前にモスクに集結する人々。朝っぱらの光景とは思えない。

イード礼拝のルール

これが、イードに行われる特別な礼拝だという。ちなみにこのイード礼拝にはちょっとしたルールもある。

  • シャワーを浴びるなどして、体を清潔にする
  • 一張羅に身を包み、香水をつけて身だしなみを整えて出かけよ
  • 礼拝の前に軽食をとる(デーツを奇数の数だけ食べるなど)
  • モスクへの行きと帰りで違う道を通れ

これらは決してマストではなく、「スンナ」という、預言者ムハンマドが行ったとされる行為である。ムスリムたちは、コーランだけではなく、こうしたスンナもまた行動の規範にしているのである。

安室奈美恵にあこがれるアムラーたちが、安室奈美恵のファッションやスタイルをマネるように、ムスリムたちもまたこの預言者ムハンマドのスタイルに従うのである。ムスリムたちにとって預言者ムハンマドは絶対的なカリスマなのだ。

祝日だから、断食月明けだからといって、気を抜いてダラダラ過ごせるのかと思いきや、そうではなかった。

祝日ならではの礼拝をきっちりこなして、祭りを祝う。しかも朝っぱらから。なんというスパルタ、そしてムスリムたちのストイックぶりだろうか。

けれどもそれなくしてイードはやってこないのだ。

日本人に共通するストイックさや生真面目ぶりを彼らにも見出したような気がした。

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サイゾー

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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