がっかりバリ旅行。バリに行かない方が良かった・・・

私は愚か者である。誰も観光目的で行かないというジャカルタに、ジャカルタ単体観光を挑み、敗北した。そしてまた、同じ過ちを繰り返してしまった。

キラキラの観光地、バリにもちょっかいを出してしまった。もしかしたら、好きになれるかも?という淡い期待は、現地で見事に打ち破られた。おまけに、バリでホームシックになり、ストレスが溜まる羽目になった。これを愚かと言わずして、何と言おう。

観光客が消えたかつての繁華街

バリの繁栄スポットは、コロナ前後から大きく変化しているらしい。バリ島には、ウブド、ヌサドゥア、クタ、チャングーなどいくつか見所となるスポットがある、半年前に、バリ旅行に行った友人によれば、クタはもはや場末の歌舞伎町だという。つまりは、ほとんど観光客が寄りつかなくなった場所らしい。

今回は、友人いわくバリのトレンド地だという、セミニャックに訪れたわけだが、ここでもどっこい。もはやコロナ禍ですか?と言いたくなるほど、観光客の姿はまばらだった。

しかし、かつては観光地として栄えていたのだろう。明らかに観光客向けと思われる、トレンディーなショップやレストランがずらりと並ぶ。しかし、観光客はほとんどいない。店の大半が、観光客向けのためジモティーもいない。

道を歩くのは、観光客よりも、むしろ野良犬の方が多いぐらいである。唯一、客がいるのはタトゥーショップぐらいだ。もはやこの世の終末期を見ているような気分である。


人がいないセミニャックのお土産通り。珍しくショッピングをする気満々できたが、人がいないので、消費意欲は消え去った。


飲食店の9割がまったく人がいない。一方でごくわずかだが、局所的に人が集まるレストランもあった。

この様子をジモティーに報告すると、

あー、セミニャックに今はそんなに人はいないわね。むしろここはゆっくり過ごしたい人向けの場所かもしれない。

ただ、チャングーはすごいわよ。夜になったら、酔っ払った観光客がわめいて、迷惑なぐらいだわ・・・

人が消えた街を見て恐ろしくなり、少しでも人肌を感じたいという一心で、チャングーに急遽訪れることにした。ところが、どっこい。行った時間が悪かったのか、場所が悪かったのか。セミニャックに比べればだいぶマシだが、それでも思ったほど人は多くない。


人がまばらなチャングーのビーチ

枯れている・・・

イケイケなおしゃれショップと、まばらな観光客。その対比が、町を物悲しくさせるのだ。何せ、こんなにも素敵なショップやレストランがあふれているのに、閑古鳥が泣き喚いているのだ。

他のジモティーにも話を聞くと、この近辺にやってくるのは主にビーチ目的のオーストラリア人観光客だという。しかし、オーストラリア人にとっての観光のトレンドは、もはやバリではなく、ベトナムやタイなどに移っているという。

観光客の心変わり一つで、町がこんなにも変わってしまうものか。それは恐ろしくもあり、儚くもある。

まばらな日本人観光客の姿

日本では、バリ旅行が一時的なブームになっていたが、それは全くの歴史となりつつあるようだ。日本から比較的近い?リゾート地ではあるが、滞在中に見かけた日本人観光客は、片手で数える程度である。一方で、よく見かけたのは韓国人である。

それはかつての日本人旅行客の姿を彷彿させた。リゾートな装いで、観光を楽しみ、お土産を買い込み・・・懐かしい姿である。

地元の人々も、「日本人?最近は全然いないよ。バリに来るのは韓国人か中国人」というぐらいである。

その証拠に、町中をぷらぷらしていると、中国語と韓国語の案内はあるのに、日本語はない、という店をちらほら見かけた。日本人の中では、バリブームはすでに終わってしまったのだろう。

あふれかえる観光客と渋滞

チャングー、セミニャックで絶望し、最後の望みをかけて行ったのがウブドである。セミニャックでの惨状を伝えたところ、ウブドならきっと気にいるよ、などとノマド仲間から励まされ?、期待が高まるところである。

しかし、またしても現実は甘くはない。

今度は人が多すぎるのである。中国のプールで人が芋洗い状態になっているぐらい、めちゃくちゃ観光客がいる。その大半は、ヨーロッパやロシアからの観光客である。あまりにもひどい緩急の差に、脳みそも呆然である。

なんじゃこりゃ

あまりの多さに、地元の良さを楽しむ前に、観光客の波に飲まれてしまうのである。ただ、ウブドの景色は美しい。牧歌的な田園風景や緑が一面に溢れているのだが、あまりにも渋滞がひどい。


中心地の道路はどこもこんな感じ。ウブドなどの観光地では、GojekやGrabなどの乗車ができないと言われていたが、その規制はすでに撤廃されたようで乗車も普通に可能。

よって、道路では、スクーターを乗り飛ばす欧米人やジモティーで溢れているのに対し、道路の脇には、だあれもいない、牧歌的な田園風景が広がっている、という奇怪な光景が広がっているのである。

あまりにも世界観が一致しておらず、しばしば困惑に陥るのであった。

デジタルノマドブームはすでに下火か

バリは、観光地だけでなくデジタルノマドが集まる場所としても知られる。一応、どんなもんかと思い、見に行ったのだが、ネット上での評判と現実はあまりにも違った。

確かに、バリにはデジタルノマドの関連施設が数えきれないほどある。コワーキングスペースだとか、コリビングだとか。事前の調べでは、どこに行こうか迷うぐらいの選択肢があった。そうした施設のサイトを見ると、これまたビビるぐらいに洗練されたデザインで、しっかりと作り込まれている。

さらには、ノマドたちが多く集まる場所なゆえか、ノマド同士たちの交流をはかるイベントも、定期的に開催されているようだった。

世界中からどんなノマド達が集まっているのだろう・・・

そんなワクワクは、現地でがっかりに変わった。

コワーキングスペースも、コリビングもまったくもって活気がないのである。サイトやグーグルマップに掲載されている楽しげな写真と大違いである。人はまばらにしかおらず、意気揚々と乗り込んだ自分が、まるで時代遅れの格好をしているような恥ずかしさにかられた。その上、最近では人がいないためかイベントも開催されていない模様。


サイトで紹介されていた写真。よく見ると5年前のものだということが判明。


2024年のリアル。施設はそのままだが、ほとんど人気がない。そのためか、室内では電気切れになっているところも。

かつての繁栄だけが、いまだ亡霊船のようにネットという海に浮遊していただけなのだ。そんなことも知らず、のこのことやってきた私。写真詐欺じゃないか!という怒りよりも、切なくなった。

安く楽しめるリゾート地ではない

ローカルな店やサービスでやりくりすれば、バリの物価は、インドネシアの他の地域とそれほど大差があるわけではない。しかし、観光でやってきたからには、おしゃれなレストランで食事をしたい、というのが人の心だろう。

そうした場合、お値段はグッと上がる。観光客向けのカフェで朝食を取れば、軽く1,000円は超える。そして、それほどサービス品質が良いともいえない。島ならではの時間の流れなのかもしれないが、一概にバリではオーダーから供給までに、時間がかかるようである。

同じナシゴレンも、ローカルな店であれば200円程度なのに対し、観光客向けレストランでは600円と3倍も違う。


カフェは死ぬほどおしゃれだが、やはり人がいない・・・

確かに、観光リゾート地として、バリにはなんでもある。あらゆる種類のレストランがあるし、スーパーでは何でも手に入る。ただし、輸入物がほとんどなせいか、ほとんどのすべてのものが割高に感じてしまう。

バリ島でストレスが溜まる

楽しむつもりが、なぜかバリ旅行でストレスが溜まり、どっと疲れてしまった。あまりにも理想と現実が違いすぎたせいなのか。バリでストレスが溜まったという症例は、私が世界初かもしれない。人々はバリに癒しを求めてやってくるというのに。

実際にバリは、ヨガ従事者はもちろん、スピ系の人々も引き寄せている。霊気マスターだの、ヒーリングだの、地元のシャーマンだの。野次馬根性で、そうした人々にも会ってみようと思ったが、バリの現実に脳みそがすでに疲労して叶わなかった。

というわけでバリ滞在中は、早く家に帰りたい・・・と思っていた。いや、バリはいい所なんだよ。でも、なんか思ってたのと違うんだよ。

それに、気づいてしまったのだ。マレーシア在住でありながら、バリ島に旅行するという愚かさを。マレーシアもバリ島と同じく、南国でありながら、インフラがかなり整っている国である。つまりは、バリのリゾート感をマレーシアでもそこそこ味わえるのだ。

バリに行かなくても、マレーシアで良かったじゃあん・・・

それでもバリに行って良かったこと

こうした事態は、ネット上にある情報と現実が酷く乖離しているせいかもしれない。現状、ネットにあるバリ関連情報は古いものも多く、かつての繁栄という幻想に期待を寄せて、のこのこやってきたのが私である。

確かに前評判と現実は大きく違った。しかし、それでもバリを訪れる楽しさもある。それがジモティーとローカル文化である。これだけ大規模な観光地に成り上がったのに、出会った人々はみな素朴で優しかった。

よくもまあ、こんなに純朴でいられるものだ、と。他の観光地であれば、右から左に受け流すような画一的なサービスだったり、対応がありがちなのだけれども、ここバリでは少なくともそう感じなかった。

道端にあふれる観光客というノイズを消せば、バリは魅力的な文化や風景にあふれている。バリヒンドゥー教の寺院やウブドの田園風景。特に観光客が訪れないローカルな場所へ足を伸ばせば、異国の香りにどっぷりと浸かれる。こうしたものを求めるのであれば、はなから定番の観光地は外していくのが正解なのかもしれない。