ジャングル生活を体験。インドネシアのメンタワイ部族に会いに行く

ジャングル生活の極意を学ぶため、インドネシアに住む部族に会いに行くことにした。ジャングルの本場といえば、アマゾンであることは世界の総意だろう。しかし、東南アジアもまた知られざる本格派ジャングルが多くあるのだ。

ジャングルへの道のり

ジャングルへ一人で乗り込み部族に殺されては敵わないので、ここは安全第一ということでツアーに参加することにした。それに、部族と会話するのに通訳者が必要である。

そこで見つけたのが、「メンタワイ部族に会いに行こう!」というツアー。メンタワイ部族とは、インドネシアのスマトラ島から150キロ離れたシベルト島に住む人々で、ジャングルで原始生活に近い暮らしを送っている。

これまで部族というのは、出会うのにハードルが高いと思っていたが、今やそんな時代ではないらしい。何せニューギニアの首狩族ですら、大金を叩きさえすれば会えちゃうのである。ミッキーに会うノリで、部族に会えるのが現代である。

気軽に会えるとはいえ、部族に会いに行くまでの道のりは結構なものである。何せインドネシアは、完全なる文明社会である。文明社会であるということは、人民たちは当然のように洋服をまとっている。そんな世界から、裸でウロウロしていても罰せられない世界へワープしなければならない。

というわけで、まずはツアーの出発地であるスマトラ島のパダンから船で6時間かけ部族が住むシベル島へ行く。シベル島の小さな村を経由し、ボートカヌーに乗って1時間かけ部族が住むエリアへ。そこからさらに部族の住処へジャングルの中を歩いていく。ほぼ1日かけて、裸が合法である世界へワープしていくのだ。


シベルト島へ向かうフェリー。部族が暮らす島だから僻地かと思いきや、シベルト島はサーフィンの聖地としても知られ、島には村がいくつか点在する。ジモティーや欧米のサーファーたちで、船はほぼ満員の状態。

しかし船に乗り込む前にすでに無数の出来事が勃発している。初日に乗るはずだったフェリーがエンジントラブルで欠航となり、何もないパダンで1日をつぶす羽目になった。

おまけに、私の他にツアー参加者が2名いたのだが、これがとんでもないパリピたちで、私の優雅なジャングル体験がかき乱されることになる。本体験がブレてはいけないので、この件についてはここではあえて抹殺しておく。

裸になる一大決心

気軽に会える部族とはいえ、どんな形で迎え入れてくれるのか。ドキドキハラハラである。同じ人間だが、何せ相手は裸が合法な世界に暮らしている人間たちである。

聞けば、メンタワイ部族は島に総勢1,000人ほど暮らしているが、外界からの人間を受け入れるホストファミリーはその中の一部なのだという。


シベルト島の経由地である村から部族が住むスポットへカヌーボートで向かう。ジャングルの光景に興奮するのは最初の15分だけ。残りは無の境地である。

ボートで1時間ほどすると、岸辺についた。そこでは部族の女たち総勢10人ほどが笑顔で我々を迎えてくれた。「いらっしゃ〜い。〇〇です。よろしくね」と、まるで歌舞伎町のホストクラブみたいな出迎えである。

予想外のフレンドリーさに面を食らったが、それ以上に衝撃的だったのが、女たちが全員洋服をまとっていたことである。

部族に行くにあたり、どうしたら部族と仲良くなれるか考えていた。その結果、たどりついたのが部族と同じ格好をする。すなわち、裸でウロウロ大作戦である。

しかし、考えてみたものの、これまでの人生で裸で人前をウロウロしたことなどない。何せ裸が非合法な世界で生きてきたのだ。非合法なことが、このジャングルでは合法的にできる・・・と心ときめいたものの、その考えは実は部族たちに会う前にすでに頓挫していた。

他のツアー参加者の存在である。一人参加であれば、問題ない。なぜなら、周りが裸族だけであれば、裸について何も思うことはない。しかし、文明人がいたら話は別である。しかも、彼らはメンズなので、余計に恥ずかしいじゃないか。

そんなことを悶々と考えていたのだが、実際の女たちを前に、その不安は本格的に消え去っていった。裸にならなくていいんだ・・・心配は安堵に変わっていった。

ジャングルをかき分けて

さて、ここからラストスパートである。川岸からホストファミリーの家まで、ジャングルの中を歩いていくのだが、これが結構大変。一応、普段からジャングルは頻繁に出入りしていたが、やはり本格的なジャングルは違う。

ジャングル入りする前に、シベルト島の村で我々は長靴を支給されていた。ここに来て、ようやくその意味が分かる。とにかく地面のぬかるみが凄まじいため、部族たちは木を地面に敷きつめ、その上を我々は歩いていく。

敷きつめていると言っても、1本の木をそのまま置いただけなので、幅30センチほどの丸太の上をひたすら歩いていくのだ。ジャングルトレッキングかと思いきや、延々と平均台の上を歩いていく感じである。


ジャングル内では、部族たちが「モエレモエレ!」(ゆっくりゆっくりという意味)と進んでいたが、全然ゆっくりではなかった。

平均台から足をすべらせてしまうと、ほぼ膝まで足が泥にはまり抜け出せないという、バラエティ番組の企画みたくなる。通常、ツアー客はここで結構な足止めを食らうらしい。平均1時間ほどかかるアクティビティで、グループによっては最大2時間。しかし、我々に関しては30分ほどで終わってしまった。

なぜなら、パリピたちが猛烈な勢いで進んだからである。

もっとゆっくり歩きたかったのだが、事態がそうさせてはくれなかった。さっさと先を行くパリピはともかく、私の後方に部族たちがずらりといるのだ。遅くてさーせん、という自意識過剰なプレッシャーを感じながら、半ばヤケクソに進んでいく。しかし、ヤケクソになる程、足はどんどん沼にはまる。その度に、若い女衆が沼にはまってどうにもならない私の足を引っ張り上げてくれるのである。

ヘビースモーカーな部族たち

ヒイヒイ言いながら、日が暮れる頃にようやくホームステイ先にたどりついた。ジャングルなので、質素な家を想像していたが、これがかなり立派な木造住宅の豪邸なのである。一応電球なるものは存在するが、夜中しかつけないので、基本的には室内は薄暗いというのが印象。


「ウマ」と呼ばれるメンタワイの伝統的な家。家の中心にゴザを引いた場所で食事をいただく。その周りには、ゲストやホストファミリーの寝床である蚊帳が張られている。

中へ入ると、ギシギシと木が音を立てると同時に、木の匂いがほのかに香る。長年放置され、もはや誰も引取り手がない父親の実家を思い出した。家でたむろする部族メンバーたちとの挨拶もそこそこに、さっそく喫煙タイムが始まった。

このメンタワイ部族たちは、とにかく起きている間は、常にタバコを吸っている。料理しながら、狩りをしながら、おしゃべりしながら。とにかくガンガン吸いまくるのである。ジャングル生活というのは、手持ち無沙汰な暇にあふれている。よってその暇を埋めてくれるのが、ささやかな喫煙タイムなのである。


基本的に玄関近くが溜まり場となる。室内は基本的に全面喫煙OK。

私とって、これほど喜ばしい環境はない。何せ男も女も常に吸っているのが当たり前だろう、という空気なので、遠慮なしにタバコが吸えるのだ。高度に成長した文明社会において、喫煙者は肩身が狭いものである。その結果、血眼になって喫煙所を探したり、時には冷たい視線を浴び、隠れキリシタンのように振る舞わねばならない。しかし、ここではそんな苦悩とは無縁。

誰の目も気にすることなく、吸えるのだ。

なんという理想郷。

私がそんな理想郷でご満悦している一方で、パリピたちは重大な決断を迫られていた。1人は絶賛喫煙中の身。2人目は、大麻は吸うくせに、タバコは害だと言うお方。ヘビースモーカーとして、高みから彼らの様子を伺っていたが、部族と仲良くなるには吸わねばというプレッシャーに負けたのだろう。滞在中、彼らは常にスパスパやることになった。

喫煙者がタバココミュニケーションで距離を縮めるのと同様に、ここでも吸えば吸うほど、部族との距離がグッと近くなるのを感じた。常にライターを持ち歩き、彼らがタバコを吸うなと思った瞬間に、さっと火をつける。我々はホストされる身でありながら、別の意味ではホストでもあった。

部族に喜ばれる手土産

部族に会うにも、文明社会と同じくそれなりの礼儀が必要である。いや、むしろそれ以上に気を使うかもしれない。

ジャングル生活を学ぶにあたり、ニューギニアに送られた元日本兵たちの手記を読み漁っていたのだが、だいたいどの本にも、部族と仲良くなるにはタバコがベストアイテム、といった旨の記述があった。

そのヒントを元に、シベルト島の村で我々はタバコを2カートン購入し、ホストファミリーへのお土産として持参していたのである。ちなみに、タバコは1カートンで1,500円。日本の喫煙者界隈を騒然とさせているガラムタバコ(詳しくは「ガラムタバコ やばい」で検索)を買おうとしたが、1カートン3,000円だったため断念。

お土産の渡し方について、我々は事前にガイドからレクチャーを受けていた。決して、一気に2カートンを渡すようなことはしてはならぬと。

というわけで、我々は1箱ずつを小出しにして、1人1人にさりげなく渡していた。向こうもツアー客が来るとタバコがもらえるということを分かっているのか、積極的にタバコをねだってくるのである。

ちなみにヘビー喫煙家である彼らは、いかにしてタバコを捻出しているのか。基本的には、乾燥させたバナナの葉っぱで自作したタバコを愛煙しているようだが、ツアー客が来た時は、舶来品である市販のタバコを嗜んでいるようだった。

部族との攻防戦

おねだりについてもう1つ。ジャングルに住む部族たちは、意外にも物欲があった。物欲というよりも、装飾品に興味があるらしく、腕時計をしている部族たちもちらほらいた。彼らにとっては、装飾品の一部だそうで、決して逐一時間を確認しているわけではない。

こうした部族によるおねだりを防ぐために、ツアーの1日前に行われたブリーフィングでは、ネックレスや腕時計など装飾品はつけるな、と言われた。

しかし、ホストファミリーの親戚である女性には意外なおねだりをしてきた。私が着ているTシャツが欲しいのだという。確かに女性たちはTシャツと短パンという服装だが、あまりにも洗濯しすぎたのか、立派なヴィンテージTシャツと化している。というわけで、私のユニクロTシャツを進呈することにした。おそらくこれがユニクロ初のジャングル進出になるだろう。

ジャングルの食卓

私には密かに楽しみにしているジャングルメニューがあった。それが、サゴ椰子である。日本兵の手記に頻繁に登場するので、一度は試してみたいと思っていた。しかし、実際に食べた文明人の感想では、ゴムのようでまずいだの、ダンボールみたいなどと、散々な言われようである。

正確には、サゴ椰子からとれたでん粉を濾したものを固めて、椰子の葉に包み炎であぶったものである。日本ではうどんの打ち粉として使われることもある。

この世にサゴ椰子を食べることを夢見ている人間が存在するのか定かではないが、私にとってはお楽しみなアクティビティであった。ドキドキしながら口へ放り込む。

森を食べている・・・!

口の中にはじんわりと森のフレーバーが広がった。

部族と我々は、同じ食卓を囲んでいたが、そこには確固たる境界線があった。ホームステイというものの、一応ツアーなので、ホストファミリーが食べている食事とは別に、文明食が提供される。ご飯やパスタ、野菜の炒め物など、訪問前にシベルト島の村で大量に購入した食材を使って作られる。

調理をするのは、ホストファミリーの若い娘であったが、娘も含め部族たちは決して文明食に手を出そうとしなかった。その訳を聞くと、あまり好きじゃないからだという。

ツアー参加者にとってはジャングル食では味気ないため、こうした文明食が提供されるのだろう。しかし、たいていのものをうまいと感じてしまうお気楽な私にとっては、ジャングル食も文明食も同様に美味しいものであった。


左側の白い皿が、ホストファミリーの食事。サゴ椰子、キノコ和え、干し魚と質素なジャングル食品が並ぶ。右はゲスト用の食事。パスタや白米、野菜の炒め物などジャングルとは思えない豪勢な食事であった。基本的に水は山の水をフィルターでろ過したものをいただく。

食卓を囲うのは、人間だけではない。部族のお供であるワンコやニャンコもおこぼれをもらおうと、群がってくる。しかし、皿に手を伸ばす度に、部族たちにしばかれていた。


食事タイムには、犬や猫も集まってくる。ジャングル生活では常に動物がそばにいる。

また彼らは暇さえあれば、ドリアンを食べていた。あの高級なドリアンをせんべいのような感覚でパクついているのである。朝4時ごろに、ホストファミリーの父さんがドリアン狩りに出かけ、ゲットした朝どれドリアンを日中にいただくのである。


ホストファミリーの長、マルコスがジャングルから持ってきた朝どれドリアン。彼は現地の言葉で、「シケレイ」と呼ばれるシャーマンでもある。

メンタワイの人々は、犬、猫、鶏、豚などあらゆる家畜を従えていた。そしてジャングルでは、ドリアンやサゴ椰子など皆が同じものを食べていた。森の中では、人間だろうが動物だろうが、あらゆる生命体が森を平等に食べ、暮らしている。

ジャングルのスーパーマーケットへ

ジャングルでは、そこかしこがコンビニである。食べ物をゲットするため、我々は何度か狩りに出かけた。1度目は、猿をゲットするためだったが、発見ならず。「見つかんないねえ」ということで、その辺でタバコを吸って仮眠をとるだけで終了した。


ジャングルではお馴染みの蛮刀を振りかざし、道を切り拓いていく。のどが乾けばツタを切り、ツタの中から湧き出る山水でのどを潤す。生きていくのに必要なものはすべてジャングルにそろっていた。


狩りをあきらめ、くつろぎ始めるマルコス。メンタワイ部族は花の部族とも呼ばれ、頭に葉っぱや花をつけている。

2度目は「虫が食べたい!」というパリピの要望により、一行は虫狩りに出かけた。お目当ては、サゴ椰子の中に住むサゴワームである。

マルコスが椰子を切り倒し、木の幹を蛮刀でほじくっていく。サゴワームのお出ましである。カブトムシの幼虫であるサゴワームは、秒速で白い体を伸び縮みさせている。手のひらに乗っけると、ほのかな生命体の温もりを感じさせた。


黒いバケツに入っているのがサゴワーム。

部族にとっては何のことはないが、文明人にとっては虫を食べるというのは、度胸試しのようでだった。パリピたちは、きゃっきゃ言いながらサゴワームの頭をもぎ取り、口へ放り込む。食べて当然だろという空気が流れていたので、私もしょうがなく口へ放り込み、飲み込んだ。飲み込んだだけなので、味はよくわからない。

メンタワイの人々は生でも食べるが、ゲスト向けには丸焼きしたものが提供された。パリピたちが、「うまいよ〜これ」と言うので、私も調子を合わせて「へえ〜」と言いながら、食べるフリをしてそばにいたワンコにすべてお裾分けした。

動物との健全な関係とは

部族と動物たちの関係にハッとさせられることがあった。彼らにはペットという概念はもちろんない。あくまで動物は、人間にメリットをもたらす使役動物である。犬は狩りや番犬として。猫はネズミ取り。鶏は食用。豚は、食用にもなれば、時には貨幣としての価値を発揮する。

砂漠の遊牧民が、ラクダを資産とみなすように、ジャングルでは豚が貨幣として流通していた。対人間でのトラブルが発生した際には、豚何匹で賠償だとか、ジャングルの彫り師にタトゥーを彫ってもらう場合は、膝下のタトゥーで豚1匹だとか、言った具合である。

ちなみに豚たちは、日中はジャングル散策に出かけており、夕方に木製の鐘を鳴らすと、その音を聞いて帰宅するシステムになっている。


家畜たちのディナータイム。基本的にメニューはドリアンかサゴ椰子。総勢20匹ほどの豚が飼育されていた。


アニミズムを信仰するメンタワイ部族の家には、動物の頭蓋骨がまじないとして飾られていた。上の写真は猿の頭蓋骨。悪い運気を追い払うため、猿の骨は玄関を向いている。逆に豚は良い運気をもたらすとされ、豚の頭蓋骨は家の内部に向け飾られていた。

ある朝、わんこが家の中から外をじっと眺めていた。その先には、小さな檻に入れられたパピーが2匹。遊び盛りのパピーは甲高い声でキャンキャン鳴いている。ホストファミリーに訳を聞くと、豚に食われるため、大きくなるまで檻に入れておくのだという。


キャンキャンと泣く生命体をじっと家の中から見つめる成犬ワンコ。


檻に収監されているパピー2匹。

あんな小さい檻に長時間入れてたらかわいそうだよなあ・・・と心穏やかではなかった。

しかし、結果的に部族とワンコの関係性の方が、健全なのではないかと思った。彼らは決して犬や猫をペットのように可愛がったりはしない。それでも、飼い主が狩りから帰ってくると、嬉しそうにして尻尾を振るのである。そして先のパピーたちも、夕方になると檻から解放され、家の中で遊び回っていた。

一方で私はかつての飼い犬のことを振り返った。溺愛ばかりして、人間の世界に犬を閉じ込めていたような気がする。ペット犬は、人間に可愛がられることだけを史上の命として、狩りなど本来の能力を発揮する機会がない。愛護や里親など、人間たちは自分たちにとって都合のよい言葉を使うが、そこに犬の主体性はないのだ。

遠いようで近いジャングル生活

正直いうと、私はジャングル生活にビビっていた。キャンプすらしたことない、無菌世界で生きた人間である。山と同様に一番の懸念事項は、トイレであった。しかし、いざとなってみればなんのことはない。その辺で垂れ流せば良いのである。

ちなみにティッシュを使う場合は、使用済みティッシュを土に埋めてくれ、とのことであった。最初こそ何度かティッシュを使ってみたものの、のちにどうでも良くなりその辺の葉っぱで拭いて済ませるようになった。

シャワーに関しても、家から徒歩30秒の川で済ませる。料理用のボウルを風呂桶代わりにし、川で行水を行う。もののけ姫もこんな感じでシャワーしてたのかな。どーでもいいことに思いを馳せながら、川で裸になるのであった。

我々ゲストにシャワースポットとしてあてがわれたのは、何の変哲もない川の一部だったが、さらに川の下流へ行くと、ホストファミリー専用の風呂場があった。川の中に大きな石を敷き詰めることで水を溜め、まるでプールのような水場を形成しているのである。さらにその下流には、椰子の葉で仕切りを作ったトイレが設置されていた。大の場合は、川へ放流しているらしい。


ホストファミリーの風呂場。椰子の葉で作られた仕切りがある場所がトイレ。メンタワイ部族は、まめにシャワーを浴びるが、歯を磨く習慣がないらしく、若い娘でも前歯が数本なくなっていた。

ジャングル生活は、我々の暮らしから遠いところにあるものだと思っていた。しかし、ジャングルに体を沈めるほど、不思議なほどに馴染んでいく感覚があった。

怖くない。むしろ心地よい。身体の輪郭がより鮮明になっていく。無菌生活は快適なものだが、それと引き換えにどこか身体性を失っていくような気がする。ジャングルを歩けば、己の体は植物や虫によって容易に傷ついていく。身体の脆さに気付かされる。生きることをはっきりと意識できる。

ジャングルで過ごす最後の夜。お香オタクのパリピが、部族たちにプレゼントしたいものがあると言った。マリで購入したという乳香(フラキンセンス)だった。乳香を焚き上げると、もうもうと神々しい煙が家の中に充満する。それは森の香りであった。

娘は別れるのが悲しいと言って、えーんと泣くジェスチャーを見せた。意外だった。変わるがわるやってくるゲストたちに、このような感覚を持つ素朴さに惹かれた。娘は私と一緒の蚊帳で寝たいと言った。

ジャングルの夜は、騒がしい。夜中でも床下に潜り込んだ豚や鶏がギャースと騒ぎ立てている。おまけに猫がネズミでも見つけたのか、蚊帳の周りをトムとジェリーのごとく走り回っている音が聞こえる。それとは別にコーン、コーンという人工的な音が聞こえた。翌朝聞くと、親戚の家族の乳児が死んだことを知らせる音だったという。

悲しい知らせと共に、私の心も後悔で悲しくなった。人と一緒に寝るのが気恥ずかしい、というつまらん理由で私は娘の願いをスルーしてしまった。今考えれば、親睦を深められるチャンスだったのに。娘と一緒に寝れなかった自分をひどく恥じ、今でも後悔している。

ジャングル生活を知るのに役立った本
ジャングル目的で読む人はほとんどいないだろうが、南方のジャングルの様子を扱ったものとして、大変有益であった。先人たちに感謝したい。余談だが、水木しげるは、部隊でただ一人、現地除隊を希望したという稀有な存在でもあった。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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