あまりにも衝撃的なことだったので書かずにはいられない。
100年遅れてやってきたスクープとでも言おうか。なにせ学校の教科書にも掲載される有名歌人が、そんなことをしていたとは・・・という驚きである。
現代であれば、週刊文春や実話ナックルズあたりが取り上げていてもおかしくないほどのネタである。
わざわざ公共の場で話すほどの内容でもない。しかし、ひっそりとこの事実を誰かに伝えたいのでここに書くこととする。
江戸川乱歩の「芋虫」をテーマにした漫画を読んでいたのだが、2人の男がこんな会話をするシーンがあった。
「与謝野鉄幹は、女房のあそこにー」
「晶子の?」
「バナナを入れておいて朝になって取り出し食べたそうです」
「それ位どの夫婦もやってる」
ひえっ!?
「君死にたもうことなかれ」の?あの晶子さんが?
創作の世界から一気に、現実味を帯びた話を持ち出されて、動揺してしまった。教科書に掲載される歌人とはいえ、みな人間である。
それぞれの営みがあるだろう。
半信半疑で調べてみると、ほぼ事実のようであった。
時を大正時代に戻そう。
大正2年、性を徹底的に研究するぞう!という目的で「相対会」なるものが作られた。現代風にいえば、エロ研究会だろうか。主宰者は、小倉清三郎という性研究家。会員たちは、各々の性体験を語る会報誌を読みまわしていたという。
今からすれば発情した中学生の活動か、とでもいいたくなるが、会員の中には芥川龍之介や平塚雷鳥、坪内逍遥といった面々が並んでいるので笑えない。
そんな相対会に入りたいとやってきたのが、与謝野晶子の夫である鉄幹であった。小倉は、ちょっとした面接のつもりで、「これまでに、特異な性体験はされましたか?」と聞いた。
鉄幹は得意気に例の「晶子とバナナ」について語ったが、小倉の答えは意外なものだった。「鉄幹先生、それぐらいならみなやってますよ」と。
先に紹介した「芋虫」の漫画には、そんなワンシーンを描いたものだったのだろう(ちなみに原作にはその話は書かれていない)。
改めて私は与謝野晶子の作品や、自伝を読むことになった。まさか、当人もバナナ経由で、自分の作品に興味を持たれたとは夢にも思っていないだろう。
ちなみに晶子は、当時婚姻関係であった与謝野鉄幹と不倫の末、結婚をしたと言われる。略奪婚の祖といえよう。しかしその後、鉄幹との間に12人の子どもをもうける。鉄幹がパリに行くというと、子どもを親戚に預け、鉄幹を追ってパリに行くなど、並々ならぬ行動力の持ち主でもある。
貞操や結婚について語った随筆、『私の貞操感』では、晶子はこんなことを語っている。
ウブな女は、進歩のない女、低脳な女という意味である。
貞操などというものは、男子からの威圧である。
などなど、現代の日本人からしても、少々アバンギャルドな内容である。
バナナ事件を知ってしまった以上、保護者からすれば与謝野晶子は、「子どもに教えたくない歌人」になりうるかもしれない。けれども、誰もがいい顔をした聖人君子なのではないのだ。そうした人間の多面性こそが、人間を面白くするのである。