誰だって傷つきたくない。裏切られたくない。それが世の常である。だから裏切って、傷つけてくれて、ありがとうなんていう人はいない。けれども、今の私は本当にそう思っている。マゾとかメンヘラとかそういう問題ではない。
1月の私はどん底にいた。信頼していた人間に、裏切られた。そしてそんな人間に気を許していた自分も許せなかった。詐欺とか失恋とかいうものではなく、純粋に友達として信じていた相手が、卑劣な人間だったのである。
というわけで直後は、アポトキシンを飲んだ新一みたく、うげえええ、とのたうち回っていたが、1ヶ月経った今ではすっかり回復している。そして、あの事件に心から感謝している。なぜなら、あの事件がなければ、今の私はないからだ。
ずいぶんと遠いところまでやってきたような気がする。自分は自分だけれども、1ヶ月前の自分がずいぶんと遠くに感じられる。
傷ついた、裏切られたというショックは、おぞましいほどの負のエネルギーを呼び起こした。私はその膨大な負のエネルギーをエンジンに、自己改造という旅に出た。新たな場所へ行き、新たな本を読み、新たな人間に会い、そして新たなファッションをまとい、身体に穴を開ける改造をほどこした。その結果、肉体的にも精神的にも、1ヶ月前の自分とはうって変わってしまったのである。そして現バージョンの自分に満足している。
それは、iPhone15から16になったようなマイナーチェンジではない。ガラケーからスマホに置き換わったような、一大革命である。これがもし、傷つきもしない、裏切られもしない”平穏”な生活だったら、ただひたすらマイナーチェンジを繰り返して、緩やかな向上しか得られなかっただろう。だからこそ、あの爆発的なエネルギーが誕生するきっかけを作ってくれたことに感謝しているのだ。
エネルギーの性質も重要だった。あれがもし怒りのエネルギーであれば、よからぬ方向に行っていたかもしれない。それは他人だったり、自分だったり、向う矛先によって多少なりの犠牲者が出ていたことは、間違いない。
だからこそ、こっぴどく裏切って、傷つけてくれてありがとう。