マレーシアに住んで激変したこと

マレーシアに住んで1年半。仕事は相変わらずリモートであるし、年中常夏で時間の流れも歪んでくるため、生活にあまりハリはないように思える。しかし、振り返ってみると、短期間ながらもマレーシアに住んだことで、自分に大きな変化が生まれた。

笑顔が増える

マレーシアにやってきて、なぜかよく笑顔になっている自分がいる。ここマレーシアには、怒っている人というのは、あまり見かけない(愛想がない人は時々いるけど)。

笑顔のクオリティも違う。接客業での営業スマイルが、人工スマイルだとすれば、ここのスマイルは、天然スマイルなのである。そこにはなんの企みも意図もない。

道を歩いていると、まったく面識のない日傘おばさんに、「おはよう」と天然スマイルで挨拶されたりするのだが、いかにしてここの人々は他人に、あんな素敵なスマイルを振りまけるのか、というのが疑問である。その自然すぎる所作に、畏敬の念すら抱いてしまう。

世界には、愛想笑いをするだけで、狂人扱いされる国もある(特に共産圏)。そうした国では、人々は接客だろうが路上だろうが、常に無愛想な顔をしている。世界というのは、よくわからない。

美容やら筋トレなどをやってきたが、結局最後は笑顔が最強だな、と思うのであった。

猫好きになる

完全に個人の経験と見解に基づくが、猫と人間の動きは連動していると思う。今までにいろんな国で猫を見てきたが、マレーシアの猫はどうも具合がおかしいのである。

一年中暑い気候のせいかもしれないが、人間同様、道端の猫もなんだかのんべんだらりとしている。客が食事をするテーブルで寝そべっていたり、まるで自分の部屋にいるかのように路上でくつろぐスタイルが散見される。

人間もまた猫がどうこうしようとお構いなしなので、フリースタイルな猫→人間がスルー→猫はさらにのんべんだらりになる、というループが発生している。

付け加えるなら、マレーシアはムスリムが多いため、猫はマレーシアの動物界において特権階級にあると言える。懸賞金をかけられ無惨に捕獲される野良犬とは異なり、匿名の人々が野良猫に飯を与え、せっせと世話をし、守られているのである。

日本の猫は、人の顔を見ては、さーっと逃げるので、私は猫全般に対して「クソ猫め」と、怒りと憎しみを覚えていたのだが、ここマレーシアではすっかり猫に骨抜きされている。

それぐらいマレーシアの猫は人間同様に愛想が良いのだ。こちらの顔をみると、「ミャー」と挨拶?してくれ、こちらが撫でてやると、もっと撫でてくれいとおねだりをする。町全体が、無課金で猫と触れ合える猫カフェ状態である。

他人の目を気にしなくなる

ここマレーシアでは、他人の目を気にせず生息している人の多さに驚かされる。

そもそも化粧やオシャレをしていない人が多い。みな、すっぴんで平気でうろうろしている。え?そんな格好で外をうろついていいの?と思ってしうまうほど、ラフな格好であったり、コスプレ姿でその辺をうろうろしている人もいる。恥じることなど何もない、という堂々とたる風格である。

短パンに小汚いサンダルで、堂々とルイヴィトンの店に入る客を見た時は、目をひん剥いたものである。要は、皆が肩の力を入れずに外をうろついている。

だからだろうか。一昔前であれば、自分にはこんな格好無理、足が太いからズボンを履かなきゃ、などと無駄な思い込みによって、着る服を決めていた。しかしここでは、誰もそんなことをマジで気にしないので、思うままのスタイルに挑戦している自分がいる。一方で、すっぴん+部屋着で、その辺をうろうろすることも厭わないようになった。インドア派としては、外出するハードルが一気に下がったのが良い点である。

自分を丁寧に扱う

マレーシアというより、暇なフリーランス生活を送っているせいだろうか。かつてなく時間にゆとりができた。これまでは運動と無縁の生活を送っていたが、気づけばジムにせっせと通い、毎日自炊をし、筋肉を蓄えるようになった。マレーシアでは、コンドミニアムにジムとプールがあるため、手軽に行くことができる。これが自宅から30分といった距離にあれば、ここまで続いていなかっただろう。

日本でやるより安いっしょ、ということで今までノータッチだった美容にも手を出し、定期的に顔面課金を行うのだった。実際やってみると、日本より安いということはあまりなかったが・・・

一見すると単なる自分磨きに見えるかもしれないが、私はこれらを自分を丁寧に扱うことだと思っている。今までは、自分なんて・・・などと言い訳をして、自分を雑に扱うことが多かった。けれども1つずつ何かを重ねていくと、それは自信や自尊心の向上につながる。

今まで醜いもの・・・と思っていた自分が、少しずつ愛おしくなってくる。世間でいう完璧なボディやツラではないが、それでも手をかけただけ、納得ができるようになる。これまでの自分は、単に努力不足なだけで、醜かったのだと。自分に余裕ができたからか、周りにも変な引け目を感じることがなくなった。

生きることのハードルが下がる

マレーシアは良い意味でゆるい。だから、見知らぬ人とおしゃべりすることも、外出することも、デパコスコーナーに行くことも、すべてにおいてハードルがぐんと下がる。他人の目を気にしたり、ちゃんとしなきゃ、といった焦りとは無縁となる。こうでなければ、という呪縛から解放されることで、もっと楽に生きていいんだと思えるようになるのだ。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。

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