パキスタンを訪れて以降、随分と自分が変わったように思う。
例えるならこんな感じ。
今まで、お一人様生活を楽しみ、孤独を愛でていた主人公が、ある日異世界に転生する。世界の不条理に翻弄されながらも、仲間たちとともに辛苦を共にし、戦い抜く。現実世界に戻った主人公の心情には、変化が訪れる。人と関わる楽しさを覚えた主人公は、成長して、ちょっとだけ優しい人間になるのだ。
パキスタンは異次元空間
漫画とかドラマでは、ありがちなストーリーである。けれども、パキスタンでの生活は、このプロットそのものなのである。自分でもパキスタンでの生活が一体なんだったのか、まだ消化できていない。けれども、私の人生はパキスタン以前、以後で大きく変化した。キリスト誕生以前以後で、歴史が区切られたように。
こうした体験を身の回りに話しても、ふーんと言われるだけである。これが宇宙だったら、「え?どんな感じだった?」と食いついてくれるだろうに。多くの人はパキスタンを自分たちの生活の延長線上にしか捉えていない。
違うのだ。
あそこは、マジで魔界で、異次元で、異世界なのである。でも、誰も信じてくれない。
だから、異世界に転生したといったほうが、人々にはしっくりくるのかもしれない。少なくとも私にとっては、しっくりくる。なぜなら、パキスタンでの生活を4D映画とすると、それ以降の生活は、すべて白黒の無声映画な状態である。
パキスタン以後、私はどこへ行ってもモノクロームの世界に生きている。
前置きが長くなったが、異世界に転生してわかったことをご紹介したい。
内向人間が外向的な人間に激変
それまでの私は、内向的でソリタリーなため、やたらと孤独を好んだし、一人で行動することが多かった。しかし、パキスタンでまずビビったのは、一人行動が不可能だということだった。
日本では、一人暮らしやコネがなくても、安穏と生きていける。しかし、パキスタンという異世界の設定では、一人行動というオプションがない。必ず誰かと一緒に行動し、仲間を作り、コネを使い、生き抜くことが前提ルールなのである。そうでなければ、この異世界では生きていけない。
というわけで、日常のすべてを仲間たちに頼った。買い出しに行く時も、学校へ出かける時も、休日にどこかへ行く時も。頼りたいわけではなく、生きるために頼らざるを得なかったのである。
それまでは、誰とも話さない、家から1日中出ないという日も少なくなかったが、パキスタンで四六時中、誰かと話し、友達と毎日どこかへ出かけるのだった。
他人と一緒にいられるのは、3時間ぐらいがこれまでの限界だったが、パキスタン人とは何時間でも一緒に居られるというのも、大きな発見だった。特に親しい人でなくても、である。
次第に、私も人と関わることが板についてきたのか、誰かと話していないと不安すら覚えるようになった。大人になれば、人間はそんなに変わんないだろ、と思っていたが、環境が劇的に変化すれば、人間も激変することがわかった。
死が身近にあると人間は必死に生きる
何度もブログには書いてきたが、世界で最も住みにくい都市カラチでの生活は、想像を絶していた。目の前の現実を受け止めきれず、もはやヤクをやって現実逃避したい、とまで考えてしまうレベルである。多く国ではヤクブーツはやめろ、と言われているが、ヤク以外に逃げ場がない絶望的な状況もあるのである。
パキスタンはあまり知られていないが、黄金の三日月地帯と呼ばれる麻薬密造地帯でもあり、隠れた薬物大国である。路上では、薬物を常習している人々をちらほら見かけた。
そうした過酷な環境で、命を削って生きている、ということを日々実感した。同時に、生きるってこういうことか!ということを人生で初めて知ったような気がする。
インフラの整った国での暮らしは、生きることはオート車に乗るようなもんである。日々の心配をしなくても、安全で安心の暮らしがそこにはある。けれども、カラチの生活はマニュアル車で、生きるのにいちいちギアチェンジが必要となる。
朝起きて、窓の外を見やる。そこには、頭をもぎ取られたネズミと、タカの姿があった。タカにとってはいつもの朝食タイムなのだろうが、こちとらそんなグロ映像から1日を始めなければならんのだぞ。こうした衝撃映像がちょいちょい差し込まれるのが、カラチの日常である。
大気汚染、汚染水、体調不良、貧困、腐敗した政治と日々向き合い、体も精神も疲弊する。生存の危機が身近にある環境では、生きることに必死である。死など考える余地がない。
しかし、パキスタンを離れてどうだろうか。何一つ不自由ない暮らしだというのに、時々死んでしまいたいという感情が「ヤッホー」と、ドアをノックする。あらゆる危険性が排除され、快適で安全に特化した生活は、あまりにも死が遠い。
人間にとっては、快適すぎる生活はあまり健全ではないのかもしれない。
ちなみにパキスタンには勉強で行っていたのだが、勉強するどころではない環境だったため、パキスタン探索に早々に切り替え、学校はドロップアウトした。
一人で生きていても、おもんない
パキスタン以後、お一人様生活が、急速につまらないものに思えた。仲間や共同体に包まれる楽しさと、仲間と一緒だからできることの大きさを考えたら、一人でできることのちっぽけさよ。
カラチには、伝統美術を学びに来たわけだが、当初はいかにクラスメイトよりも優れた作品を作るかということを考えていた。それに、学びというのは、個人の頑張りに比例して、学びも多くなると。個人主義的で、チンケな人間の発想である。
ところが、途中からは上手いとか下手とか関係なく、クラスメイトと学びを共有するということのほうが、学びもあるし楽しいと思うようになっていた。アフリカのことわざに、「早く行くなら一人で行け。遠くに行くならみんなで行け」というものがあるが、まさしくその通りだった。
一人で早く行っても、長い人生に途中で飽きてしまう。けれども、仲間と共有しながら行く方が、長い人生楽しめるんじゃないかと。
このあたりから、やっぱり人間は共同体で生きる生物なんじゃないか、と思うようにもなる。
幸せになる方法
人間はやっぱり本能的に生きるべきなんじゃないか、と強く思ったのが、この件。パキスタンの高齢者に聞いてみた。
「これまでの人生で一番嬉しかったことはなんですか?」
80近くになる寝たきりの友人のおじいさんはこう答えた。声が出ないようなので、答えはホワイトボードに、英語でこう書かれた。
「孫が生まれたこと」
もう1人は、シンド州の最果ての地みたいな場所で出会った、藁の家に住むヒンドゥー教のおばあさん。
「子どもができたこと」
お金配りおじさんとして知られる日本人のお金持ちは、死ぬまでにやりたいことでこんなことを挙げていた。
「孫の顔が見たい」
やっぱり人生で一番楽しいことって、家族が増えることなんじゃね・・・?
住む環境や社会的ステータスが異なる人間なのに、同じ答えが出る。彼らに共通しているのは、人間であるということぐらいである。
たった3人ばかしのデータで言うのもなんだが、なんだか人類の本質をついているようにも思えた。
生物としての人間に立ち返る
これまでの発見をもとに考えると、生物として本能を発揮する環境の方が、意外と人間にとっては健全なんじゃないか、と思うようになった。
インフラが整った国での暮らしは、便利で安全。マニュアル車ばりに、必死こいて生きていかなくていい。そうした社会では、他人と関わらずに生きていけるし、むしろ他人と関わることがしんどいとすら思う。
けれども、本来の我々は、共同体で生き、子孫を繁栄するように設計されている。ここ最近でこそ可能になった、お一人様生活や、パソコンやスマホを四六時中いじって生活するような環境には、最適化されていない。
と考えると、快適で安全な暮らしの中でも、様々な変調が起こるのが、うなずけるような気がしてしまう。この辺は、アンデシュ・ハンセン氏の『スマホ脳』や『ストレス脳』といった本に詳しい。
それでも異世界には戻らない
新しい自分に会えて、仲間に囲まれ、生を実感できるパキスタン。パキスタンに留まった方が、人生が充実しそうな気もするが、体はそれを拒否している。ジュース1杯で、5日分の下痢がもれなくついてくる日々には戻りたくない。それもまた生きるための本能である。
パキスタンでガチで「生きた」せいか、すべてのエネルギーを使い果たしてしまったらしい。あれだけいろんな国に旅行していたのに、もうどこにも行きたくもない、とすら思うようになった。パキスタン生活は、人生の1つの大きな区切りとなった。パキスタンですべてが終わったのだ。