カラチにある伝統美術の学校に通っている。プログラム自体は本校のロンドンが運営しているので、学校の授業は基本的に英語で行われる。
前期はオンラインの授業がメインで、先生もイギリス人だったりアメリカ人だったりしたので、基本的にみな英語でやりくりをしていた。一方、カラチではパキスタン人講師を中心として授業が営まれる。生徒の中には、サウジやアメリカ、ドイツからの生徒もいたが、誰一人としてカラチに来る人はおらず結局、外国人生徒でカラチにやってきたのは、私一人となった。
よって私以外は全員パキスタン人なので、公正に考えれば、授業中や休憩時間にはウルドゥー語が飛び交うことになる。
ウルドゥー語をまったく知らないわけではない。ペルシャ語を基盤としたウルドゥー語は、アラビア語学習者であれば、だいたいアルファベットが読めるシステムになっている。またドバイにいた時、インド人やパキスタン人同僚がいたため、なんとなくの雰囲気も分かる。
今までいろんな言語にまみれてきたが、ウルドゥー語というのは、聞いていて心地がいい。そしてなんとなく引っかかる言葉もある。
「ティケ」
ははあ、どうやらOKとか合点承知の助とかいう意味なんだろうな。OKよりも響きが可愛らしい。ティを強めに発音するのがコツらしい。
「アチャ」
相槌をうっている。
「ネイ」
何かを否定しているらしい。
「ジー」
私が恐れる古来生物Gを連想させるが、OKとかいう意味なんだろう。
「チャチャ」
クラスメイトが運転手にこう呼びかけていた。運転手の名前かと思っていたら、叔父という意味で、大阪の人がその辺のおじさんをおっちゃんと呼ぶのに近いのかもしれない。
「パニ」
あまりにもパニパニ言うので、気になって調べてみたところ「水」だと言うことが判明。きゃりーぱみゅぱみゅみたいで、なんだか可愛らしい。
「オギャ」
え?赤ちゃんやん。でも雰囲気からして意味が分からん。耐えかねてクラスメイトに聞くと、「完了」という意味らしい。
オギャて。
赤ちゃん以外発しないであろう言葉(そもそもオギャは赤ちゃんの泣き声の擬音化させたものだから、赤ちゃんが本当にオギャと言うかは疑わしい)が、真面目な大人の日常生活に出てくるという、この滑稽さに一人ツボっている。
そしてきわめつけはこれである。
「キュン?」
は?
キュンというのは、何かにときめいたり愛おしく感じた時の、心の擬音であって発声するものではない。発声されたとしても、ハムスターとかビーバーみたいな小動物が発する言葉である。そんな言葉を口にする人類がいるのか。
まさか、そんなはずはない・・・
聞き間違えかもしれない。
そんな疑念と、もしかしたらという好奇心の板挟みにあった。
キュンを発した人物は、ダウディ・ボーラ派と呼ばれるシーア派のクラスメイトであった。パキスタンは、イスマイール派をはじめとして、シーア派の人々が多い。通常、イスラーム教徒の宗派というのは、外見からは分からない。
しかし、ダウディ・ボーラ派だけは別で、特に女性は独特のコスチュームを身にまとっている。そのコスチュームというのが、お母さんの手作り感にあふれた、既製服とは一線を隠す服なのである。一人だけではなくて、みながみなそうした格好をしているので、一体どこであの服を手に入れているのかが、気になってしょうがない。
とにかく何が言いたいかというと、可愛らしい服を着たクラスメイトがキュンと発言した、ということなのである。
キュンを聞いた日から、私はえもいわれぬ感情に包まれた。
その感情の正体を探すこと数日、犯人を特定した。
“萌え”じゃね・・?
ひどく動揺した。これまでの人生において、感じたことのない萌えという初めての感情を、ウルドゥー語に感じた自分におののいた。初めての萌えが、ウルドゥー語・・・?
でもこれを萌えという他にない。
いや、もしかしてこれは萌えキュンかもしれない。キュンなだけに。
感情の特定後、本当にそんな言葉が存在するのかと半信半疑で調べてみたら、本当にあった。
Why?
こっちがなぜと聞き返したい。そう、キュンはウルドゥー語でWhyを意味する。
「日本語って可愛いよね」と言う人がたまにいる。確かに、抑揚があまりない日本語は、抑揚がある言語を話す人からすると、心地よく聞こえるのかもしれない。
私は3年あまりアラビア語を勉強していたが、正直「アラビア語って、ヤーさんみたな話し方をするなあ」と思っていた。ちなみに、アメリカ英語はパリピ、イギリス英語は貴族、と言うのが私の勝手なイメージである。
と言うことで、言語に萌えなるものが存在するとは思っていなかったが、萌える言語があるとすれば、それはウルドゥー語なのかもしれない。