エチオピアで見つけた、イタリアの美味しい置き土産

ハラールのホテルに着いたのは、お昼過ぎ。お腹が減ったので、ホテルで食事をとることにした。

出てきたのは、本格的なミートソースパスタと、これまたふんわりと焼かれたパンだった。立派なイタ飯である。

イタリアの美味しい置き土産

エチオピアは1936年から1941年までイタリアの占領地だった。イタリアが占領したのは、エチオピアだけではない。

「アフリカの角」と呼ばれる現在のエリトリア、プントランド、ソマリアをイタリア領東アフリカとして、支配していた。

イタリアがこの地域を支配していたのは、ファシズム指導者ムッソリーニ政権の時である。イタリア領だったプントランドのグアルダフィ岬には、ファシストのシンボルをかたどったフランチェスコ灯台が今も残っている。

詳細は拙著「ソマリアを旅する: アフリカの角の果てへ」に詳しい。たぶん、あの灯台は現代に残る数少ないファシズム遺跡なんじゃないか。

エチオピアやソマリアでジモティーが食べている、パスタやイタリア風のパンはその名残だ。

ハラールのイタリアン
ハラールのイタ飯

もし、エチオピアがイタリアの植民地でなければ、旅人はあの悪名高きインジェラにしかありつけなかったかもしれない。

インジェラは、クレープのような灰色をしたパンで、エチオピアの主食である。日本人旅行者のインジェラに対するレビューは結構ひどいものだ。

インジェラ_エチオピア
インジェラ。巨大なクレープ状になっている。

食べ物だというのに、「見た目は雑巾」だの「味はゲロ」だのと、罵られているのである。しかし、日本人以外に聞いてみると、インジェラが好き!という人もちらほらいる。

実際のお味はというと、酸っぱいクレープみたいなものである。日本人にとって、パンというのはしょっぱいか、甘いしかない。

だからこそ、酸っぱいという想定していない第3の味がお口に広がると、「ぎゃっ。何やコレ」と拒絶してしまうのだろう。

インジェラはそこまで不味いものではない。アラビア半島にある「バラリート」の方がヤバい。バラリートは甘いパスタである。見た目と想定の味が一致しないというコンセプトは、インジェラと同じである。

インジェラを超えるツワモノ現る!甘いパスタ、「バラリート」の衝撃

食した人がほとんどいないからあまり知られていないが、インジェラよりもタチが悪いのである。

余談だが、エチオピアの首都アディス・アベバでは都会なだけに、食の選択肢は多い。インド料理、韓国料理、日本料理、イタリアンなど、エチオピアにいながらインジェラを完全スルーする道もある。

おまけに食のクオリティも高い。アディス・アベバ滞在中に、”Abucci Restaurant”というイタリアンレストランに行ったのだが、これがまあ、恵比寿のスカしたイタリアレストランもびっくりなクオリティなのである。

それまでアラブ料理をひたすら食べていたせいもあるかもしれない。いや、それを差し引いても人生で食べたイタリアンではピカイチであった。

雰囲気もエチオピア感が全然ない。表参道の隠れ家レストランに来たような感じだ。お値段は、やはり恵比寿ランチの価格帯なのだが、それでも何度も通いたくなる本格的なお味なのであった。

イスラームの町、ハラール

私が滞在しているホテルは、ハラールの新市街に位置する。疑惑の聖地は、ここから歩いて30分ほどの旧市街にある。

同じハラールでも新市街ではクリスチャンの方が多いのに対し、旧市街には、多くのイスラーム教徒が住んでいる。

とはいえ、両者は仲良くやっているようで、新市街でも正教会とモスクが入り乱れるようにして建っている。

首都アディス・アベバでは、女性たちがその豊満なボディを惜しげもなく披露していたが、ここらの女性はゆったりとした布を着て、それを封印させている。一気にイスラームの雰囲気だ。

ハラールでモスクから流れるアザーンを聞いたときは、懐かしい気持ちになった。

異国の地でありながら、アザーンが流れる場所はどこか親しみがわく。ドバイに住んでいた時、モスクが目の前にあったので、毎日のようにアザーンを聞いていた。

ハラールのイマン・モスク
ハラールのモスク

ちなみに、私はアザーンってなんて美しいの☆という感性は持ち合わせていない。

一応、イスラーム教徒になってしまったが、それでも時々アザーンはうっさいと思うし、どう聞いてもおっさんのアカペラだと思ってしまう、貧相な感性の持ち主である。

ハラールはムスリムの町だが、エチオピア人口の半数近くは、エチオピア正教会の信徒である。つまりはクリスチャンだ。

けれども、場所によってはハラールのようにイスラーム教が多いところもあるし、今では国内にほとんどいなくなってしまったが、少数ながらユダヤ人もいた。

イスラエル建国以来、毎年のようにエチオピアからチャーター機に乗って、ユダヤ人と名乗るエチオピア人が移民としてやってくる。

が、彼らは同じユダヤ人であっても、”黒いユダヤ人”として差別されることもあれば、一部では本当にユダヤ人かよ、などとも言われている。こうしたユダヤ人内での差別は、イスラエル国内では、深刻な問題になっている。

一口に言ってもユダヤ人というのは、イスラエル建国前には世界中にいたわけで、現在のイスラエルに住むユダヤ人の顔ぶれも様々だ。ヨーロッパ系、ロシア系、中東系、アフリカ系。顔つきや肌の色は色々だが、ユダヤ人という点では、みな同じなのである。

疑惑のイスラーム教第4の聖地といい、謎のユダヤ人といい、エチオピアはどこかうさんくささが漂うものがある。いや、逆にいえば、こうしたミステリー感がエチオピアの魅力と言えるのかもしれない。