覚醒植物を噛みまくっていたら、カートの違いが分かる人間になった

カート講師指導のもと、カートの実践講座に参加したわけだが、それでも効果を得ることはなかった。 残念無念である。

カートについて改めて調べてみると、ウィキペディアの日本語版には、カートの”効果は非常に弱いものであり、コーヒーや酒などの刺激物を飲みなれている人間にはほとんど効かない”と書かれていた。

自分じゃん・・・?

タバコや酒、コーヒーなどありとあらゆる刺激物を摂取している人間が、カートで覚醒するのは無理なのか?

とは言え、ここまできてあきらめるわけにはいかない。覚醒するために、あらゆる手段を尽くすべきなのだ。

カートティーに挑戦

そこで翌日再び、カート講師ジョエルを召喚する。こちとら、何が何でも覚醒したいのである。必死な生徒を前に、講師がすすめてくれたのが、「カートティー」である。

名前の通り、大量のカートをお湯で煮て、その煮汁をいただくというものである。これなら、大量の葉っぱをカミカミしなくとも、一気に大量のカートを効率よく摂取できるではないか。

カートティー
カートティー。色がリポビタンD。

何でもっと早くに教えてくれなかったんだよう・・・という言葉がでかかった。

しかし、ここにきてそれがいかにも資本主義的な発想だと言うことに気づかされる。

先日のカート野郎が言ったように、カートは効率よく覚醒するのが目的ではないのだ。どうも私は、最短時間で効果を得ることをカートに期待しすぎていたようだ。

ハラールでは、あくまでカートを通じたコミュニケーションの方が重要なのである。それに、ハラールの人々は日本人のように、やれ時間がないだとか、忙しいなどと言うような人々ではない。

仕事にあぶれている人も多く、少数の市民が持っているのは、せいぜいテキストメッセージの送信と電話だけができる、ひと昔前の携帯だ。手持ち無沙汰な時間を潰すのにも、カートが役に立つのだろう。

なにせ1回のカートに費やす時間は、1~3時間。これを1日3タームやるのだから、少なくとも3時間以上はカートでつぶれることになる。

カートティーを飲めば、覚醒に一歩近づけそうな気もしたが、やはりこれだけ飲んでも効き目は現れない。味は葉っぱそのものだが、カートを生噛みするよりかは、マイルドにカートをいただける。

エチオピア最大のカート取引所へ

次に我々が向かったのが、ハラールからバスで20分ほどの場所にあるアワダイ。国内最大のカートマーケットである。

いかにジモティーが、おおっぴらにカートを売買しているからと言って、カートがタブーではない、とは言い切れない。

アワダイにつくと、「ここは、マジで写真とったらあかんから」とジョエルに言われ緊張が走る。ディレダワ空港へ車で向かう際にも、運転手から「ここは危険だから、窓を開けるな」などと言われた。

アワダイマーケットの様子エチオピア国内最大のカート取引所アワダイ

カートを運ぶ車
出荷されるカート

見た目はどこにでもあるアフリカのマーケットという感じ。ただ、ヤクブーツを扱っている手前、外国人にとっては麻薬潜入捜査のごとく気を引き締めて行かねばならないようだ。

ジモティーにとっては問題ないが、よそ者に対しては警戒を織り交ぜつつ、排他的になるという性質を持った場所である。

とりあえずアワダイについたら、カート業者への挨拶周りである。掘っ建て小屋のような事務所兼カートの保管所には、大量のカートがあった。事務所というよりかは、牧草をしきつめた牛舎のようである。

カート講師ジョエル
両手にカートで顔がほころぶカート講師ジョエル

事務所の外に座り込む老人がいた。小さな木の臼で何かをすりつぶしている。何かと思えば、それはカートだった。

これまた、効率的なカートの摂取方法やないか!と驚いていると、ジョエルが「この爺さんは歯がないから、こうやってすりつぶしてカートを楽しむんや」と解説した。

すり潰しカート!

歯がなくとも、カートは噛みたい。老人のカートに対する執念である。

すりつぶしカート
歯がない老人でも楽しめる、すり潰しカート。

すり潰しカートももれなくいただいたが、やはり覚醒にかすりもしなかった。

カートの違いが分かる人間

もはやカートで覚醒することは、あきらめた。多分、覚醒しない体質なのだろう。体質ならしょうがない。そう、自分に言い聞かせた。

けれども、カートを噛むという経験を積むと、効果は実感できないものの、そこそこカートの美味さぐらいはわかるようになる。

イエメンでカートを噛んだときは、いかにも青くさくて本気で吐きそうになった。これならドッグフードを食った方がマシである。

けれども、イエメン人たちが楽しそうに噛んでいる手前、吐くわけにはいかない。なにせ無礼である。

えずきながらも、最後までカートを口にため込み続けた。地元のイエメン人がいなくなったところで、人知れずカートを口から吐き出した。イエメンでのカート体験にはそんな苦い思い出がある。

別の業者へ挨拶へ行くと、ここでは何やら歓迎ムードで迎えられた。カートを管理するはずの場所なのに、そこでも男たちがカートを片手にくっちゃべっている。

カートの館
カートの館。各々リラックスモードでカートを噛んでいる。ペットボトルの水は、溜まったカートを吞み下すためのもの。

カート業者の一人に、「これ、美味いで。食べてみい」とすすめられたカートを口に放り込む。業者イチオシのカートである。

覚醒植物カートを噛む人
このカートは美味いで。

するとどうでしょう。

柔らかくて苦味も少ない!

なんて食べやすいんだ!

言うまでもないが、口の中にあるのは生の葉っぱである。やはり卸売の人間というのは、一番美味い商品を知っている。

噛んだのは、ハラールでは最高級の上質カートとして知られる「アブミスマル」だ。もちろん上質なだけお値段もする。

先日も確か「アブミスマル」を噛んでいたと思うのだが、どう言うわけかこちらの方が美味しい。市場で食べるカートは、魚と同じく鮮度が良いため美味いのだろう。

覚醒こそしなかったものの、カートの美味さが分かるようになって、これで一人前になれたような気さえする。

なにせ私は食べ物のストライクゾーンは広く、たいがいの物を美味しいと思ってしまうお気楽な人間である。通常の食べ物でも、ある程度の美味さを超えると、その微妙な違いがよくわからない。

多くの日本人が持っているであろう、美味しい物を食べるだけに、人気のレストランを予約したり、食だけのためにせっせと遠出したり、行列に並んだりという執念を持ち合わせていない。

それも、食べ物の微妙な美味さが分からないせいなのだ。このことにちょっとしたコンプレックスさえ感じていた。

しかし!

葉っぱだけれども、ようやく味の違いが分かる人間へと成長したのだ。我ながら誉れなことである。

ソマリア、イエメン、エチオピアでカートを噛み歩いてきたが、結局一度も覚醒することはできなかった。それは、もう体質としてあきらめよう。

それでもこの2日間のカート講座を通じて、カートの違いが分かるようになったことは、大きな成果であった。

葉っぱの味が分かる人間!になれたことに少々舞い上がっていたが、よく考えれば違いが分かるようになったところで、これらの地域以外では何の役にも立たないのだ。なにせ、単なる葉っぱである。非常食にすらならない。

もしかしたら、あの時の私は、無自覚なままに覚醒をしていたのかもしれないと密かに思うのだ。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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