大量のカートが渦巻くエチオピアのハラールはいわばカート天国。カートがいつでもどこでも噛み放題。
イエメンやソマリアでカートをやることを、日本で食べるイタリアンだとすれば、ハラールでカートをやることは、本場のイタリアでイタリアンを食べることに等しい。
そんなカートの本場では、覚醒植物カートを楽しむための流儀や体系が存在する。まるで、それは茶道や華道のような”道”である。
その名もカート道。
そんなカート道を本場ハラールで学ぶため、カート講師ジョエル(単なる地元のガイドです)を召喚させ、ハラールの町を回ることにした。
カートは生もの!鮮度が重要
まずは、肝心のカートをゲットしなければならない。カート売り場と言ってもその辺の路上である。なにせ、ここはカート天国。そこかしこに売り場がある。
ハラールでは、タバコや酒よりも、カートの売り場の方が圧倒的に多い。
まずは街中でカートを購入する
カートにも”銘柄”なるものがあり、その数は20種類以上にもなる。カートはどれも同じような見た目かと思いきや、銘柄によって茎の長さ、葉っぱの大きさが異なる。気になったカートは、試しに噛んでお味をみることも可能。
カートの価格は、クオリティにもよるが1袋あたりだいたい20~60ブル(65円から200円)である。
カートのクオリティは、効き目の強さと速さ、葉っぱの噛みやすさなどで決まる。いくら安いカートといえども、効果が薄ければ噛む意味はない。噛み損である。
それに、カートは生ものである。伐採から、2日も放置してしまうと刺身同様に美味しくない。買うときは、鮮度の良さもチェックしなければならない。
「カートの中にはな、化学製品がついているのも時々あるんだ。あれをやると、気持ち悪くなるんだぜ。カートは、オーガニックが一番だよ」と、講師ジョエルはのたまう。
ハラールではいろんなものがバラ売りされている。例えば、タバコは1箱ではなく、とりあえず3本とか、5本とかいう単位で買う。牛乳も同じだ。ひとパックを買うのではなく、ビニール袋に必要なだけを入れてもらうという方式。
後者は冷蔵庫が各家庭に普及していないということもあるだろうが、基本的にパックものをフルで買えるほど収入があるわけではない。
これだけ、ちまちまとモノを買う住民なのに、カートだけはフルで買うお金がある。いかにしてカート代を捻出しているのかが、謎である。
カートにまつわる謎
カートにまつわる謎はもう1つある。カートを買った時についてくる袋が、やけにハイクオリティなのである。透明のビニール袋に、ツルツルとした手触り。
日本では珍しくもないが、この手のビニール袋はアフリカにおいては、非常に貴重なのである。それと同時にレアな掘り出し物なのである。
カートを買った時だけもらえるハイクオリティなビニール袋
そもそも、アフリカでものを買ったところで、かいがいしく店員がビニール袋に入れてくれるということはない。ブツを直に渡されるだけである。
仮にビニール袋をもらえたとしても、取っ手が片方しかなかったり、すぐ破れて耐性に優れていなかったり、ザラザラして手触りがよろしくなかったりする。
だのに!
なぜカートだけには、あんなハイクオリティビニール袋があてがわれているのか。カートにまつわる最大の謎である。
謎の部屋へ連れ込まれる・・・
無事にカートをゲットしたところで、カート講師ジョエルは「秘密の部屋」に行こうという。
他の旅行者からも定評があるガイドとはいえ、知らないやつに知らない場所へ連行されるのは、あまり気分がいいものではない。
その辺のカフェでカートをやればいいんじゃね?と言ったが、ジョエルは「カートは公の場でやるもんじゃない」という。
こんだけカートを売買してるのに!?
しかし、よく見ると、路上に購入者はいるが、実際に噛んでいる人を見かけることは、ほとんどないのだ。
ハラールの人々も、一応人目というものを気にするらしい。
ついたのは、人通りが少ない道に面した長屋だった。長屋と言っても、泥で塗り固めたような掘っ建て小屋である。長屋にはいくつか部屋があり、その一部屋をジョエルは、自宅とは別に借りているのだという。値段は、1ヶ月200ブル(約600円)と悪くない。
1畳半ほどの広さの部屋には、古びた小さなテレビに、ひなびたマットレス、枕などがある。夜のサービスが行われそうな雰囲気が、ムンムンとしている。
うわあ・・・
「どうぞ、リラックスして。俺の部屋だから」と言いながら、自身のベルトをかちゃかちゃさせる講師ジョエル。
ひえっ!?
と思ったが、これもカート作法の1つらしい。
「カートをやる時はな、リラックスするのがポイントなんだ。女の人は、体をしめつけない半袖ワンピースみたいな洋服を着る。男もリラックスウェアを着るんだ」
と言いながら、その辺にあった枕を脇の中へ入れ込み、寝そべり始める。完全なリラックスモードに突入だ。
カートのお作法
カートはタバコや酒のような嗜好品。チャチャっとやって効果を得る。そんな風に考えていた。けれども、カート道というだけあって、それなりに体系だった形みたいなものがある。
カートというのは、一人でやるものではない。飲み会のように仲間とやるものである。カートにはおしゃべりがすすむという効果もあるため、仲間との会話が弾むらしい。飲み会で言うところの「ほろ酔い」状態みたいなもんだろうか。
カートを始める前、カートの葉っぱを、仲間の一人に渡す儀式がある。これを「アテレラ」と呼ぶ。
カートの葉っぱを受け取るアテレラの儀式。カートで噛むのは、小さな若葉のみ。茎や大きい葉っぱは噛まない。この葉っぱの見極めが初心者には難しい。
本日使用したカート。袋に入っているカート(左)は未使用カート。若葉をもぎ取られ使用済みになったカート(右)。
受け取った人間は、その葉っぱを口に放り込み、噛み始める。引き続き、カートをどんどこ口に入れて、口の中に貯めていく。これを「タグジーナ」と呼ぶ。
この時に、ピーナッツと一緒に噛むと、青臭い葉っぱも急に美味しくいただけるようになる。
葉っぱは口の中にキープしつつ、出てきた葉っぱの汁は喉を通していく。覚醒効果を得られるのは、この葉っぱ本体ではなく、噛み砕いて出てくる葉っぱの汁にある。
口の中に溜め込んだ葉っぱは、水やジュースなどで定期的にのみくだす。これを「ルル」という。
ちなみに、イエメンでは葉っぱを飲まず、最後までそのままキープする。カートセッションが終われば、飲まずに口から全て吐き出すというスタイルである。イエメンでカートをやった時は、「葉っぱは絶対に飲み込むな」と言われたほどだ。
そして、効果を実感し始めたら、「ミルカナ」という状態になる。
カート使用中。音楽を聴いたり、トランプをしたり、映画をみたりしながら、ひたすら覚醒の瞬間を待つ。正直言って、暇だ。
講師に付き従い、先ほどの購入したカートの葉っぱをもぎ取り、ひたすら口につめこんでいく。すでに1時間ほど経ったが、変化はない。
「こちら、まだ異常なしです」
効果を感じられないカートは、地獄だ。なにせ、単に葉っぱを食べているという愚行に興じる自分とご対面しなければならない。
何が悲しくて、葉っぱを500円も出して買い、もぐもぐせにゃあかんのだ。覚醒するどころか、襲うのは絶望である。
とあるカート野郎の告白
私がこうしてムキに葉っぱを食べるのも、何が何でもカートの効果を実感したいという一心なのである。
ソマリアでカートをやり、イエメンでも3回ほど挑戦した。現地の講師に教えられた通りにやっているのに、効果が全然現れないのである。
なぜだ・・・
結局、今日もダメだった。本場の講師に教えを乞うて、マンツーマンで指導してもらっているのに。
自分の不甲斐なさに打ちひしがれていると、講師ジョエルのマブダチを名乗る人物が現れた。男は口数は少なかったが、やっていることは大胆だった。
その手にあったのは、マリファナだった。男はマリファナをおもむろに吸い出したかと思えば、聞いてもいないのに、ゆっくりと己の1日について語り始めた。
題名は「とあるカート野郎の1日」である。
「とりあえず朝起きたらな、目覚めのカートや。そして仕事へいく。仕事が始まるのは8時ぐらいやな。仕事中もカートをやって集中力を高めるんや」
カートOKな仕事場とは。さすが本場である。
「昼になるといったん家に帰って、またカートやな。昼からの仕事のために英気を養うんや。仕事を終えて帰ってきたら、今度はリラックスモードで夜のカートをやる。寝る前はマリファナを吸いながら、人生の次のステージについて考える。そんな1日やな。」
カート野郎のどうでもいい報告であった。
カートでつながる社会
こうやってみると、ハラールの人々がいかにもカート漬けな生活を送っているように思える。私も先のカート野郎から、とある言葉を聞くまではそう思っていた。
「カートはな、中毒だからやっているわけじゃない。仲間とやることで、コミュニティのつながりを認識する場でもあれば、神秘的な気分になることもある。カートをやった後で、祈ったり、コーランを読んだりする人もおるんやで」
正直、ほろ酔い気分になるのであれば、他にも手っ取り早い方法はいくつもある。ハラールには、酒もあるし、本場のコーヒーもあるし、タバコだってある。嗜好品にあふれている。
効果を得るのに、わざわざ数時間もかけて、高い葉っぱを噛み噛みするのはコスパが悪い。
けれども、それは効果を得ることに特化した場合の話。カートが長らくこの場所で親しまれた理由は、人々の生活や宗教とも密接に繋がっていたからなのだろう。
ハラールでは結婚式のお祝いに、カゴいっぱいに詰め込んだカートを送り合い、それを親戚一同で楽しむという習慣もあるらしい。
まさか結婚式のお祝い品にまでなるとは。さすがカートの本場・・・と感心したのは良かったが、結局カートでは覚醒できなかったのが残念無念である。