知られざる美しき世界。城塞都市ハラール・ジュゴルをめぐる旅ガイド

エチオピアといえば、部族やコーヒーというイメージが強いかもしれない。しかし、ここエチオピアにひっそりと存在するのが、イスラームの城塞都市である。

エチオピア東部に位置し、ソマリアにも近いハラールには、古くからイスラーム教徒たちが住んでいた。

そんな知られざる城塞都市ハラール・ジュゴルの魅力をご紹介。

城塞都市ジュゴルでおとぎの世界に迷い込む

世界遺産ハラール・ジュゴルとして知られる、13~15世紀に作られたイスラームの城塞都市。ハラール観光の目玉とも言える場所。

城塞内は、モロッコのフェズやイスラエルのエルサレム旧市街のように入り組んでおり、368の路地と82のモスクがひしめいている。

城壁都市ジュゴルのカラフルな家々
カラフルに彩られた民家やモスクがおとぎの世界を演出。

町中へ一歩入れば、そこは地元民の生活が広がる。カラフルな布をまとった女たちが、スパイスや野菜、パンなどを売ったり、薪を背負ったロバが狭い路地を行き交ったり、ミシンを忙しそうに動かす職人たちの姿など。数百年前の都市にタイムスリップしたかのような感覚になる。


城壁都市に住む人々の多くがイスラーム教徒。女性たちが身にまとうカラフルな布と建物のコントラストが美しい。

ハラールの職人
仕立て屋が並ぶメキナ・ギルギル(Mekina Girgir)通りの仕立て職人。

ハラールの町と子供
店で買い物をするキッズ。ハラールのショップは、客が自由に商品を手に取ることはできず、店員に欲しいものを伝えてブツをゲットする仕組みになっている。

ハラールのろば
ハラールでは薪や炭をロバに乗せて運ぶ人々の姿も見られる 

イスラーム教第4の聖地とか言われているが、その辺はあまり期待しない方がいい。

詳しくはこちらを参照
世界遺産に売春宿!?イスラム教の聖地だと思ったら、まさかの暗黒世界が広がっていた

まるでおとぎの世界!?イスラームの城塞都市ハラール・ジュゴルを歩く

城塞都市内では、特定の観光スポットを訪れるというよりも、迷路のような街に迷い込むこと自体を楽しむべし。

よって以下では、城塞都市内でこれだけは見ておきたいという場所だけをハイライトでご紹介する。

町歩きのスタートはここから

城塞都市をめぐるツアーの出発点にもなっているフェレス・メガラ(Feres Megala)。馬のマーケットという意味で、かつては文字通り家畜マーケットが開かれていた。

城塞都市の中では、車が乗り入れられる唯一のオープンスペースとなっている。タクシーやバジャジで乗り入れる場合は、ここを目印にすると便利。広場の近くには、19世紀のエジプト占領時代に建てられた建築物などがある。

古き町の新しきゲートハラールゲート

城塞都市には現在、6つのゲートがある。元々はイスラーム教徒の5行になぞらえて、5つのゲートのみが存在した。これらは16世紀に作られたものが、今もそのまま残っている。

一方で19世紀に新たに作られた6番目のゲートが、ハラールゲートである。ここだけは唯一、車やバジャジが通れるようになっている。

ゲートの肖像画に描かれているのは、17世紀から19世紀に存在したハラール首長国最後の首長アブドゥッラ・イブン・モハメドである。

ヨーロッパ人探検家がくぐったエレルゲート
リチャードバートンが通った門

1854年にイギリスの探検家リチャード・バートンがハラールを訪れた時に、くぐった門として知られるのが、エレルゲート(Erer Gate)。

バートンは、ヨーロッパ人として初めて、ハラールに訪れた人物である。その当時の探検の様子は、『東アフリカの第一歩』という本にまとめられた。ゲートの前は、覚醒植物カートのマーケットがある。

天才フランス詩人に出会う、ランボー博物館
詩人ランボー博物館

ランボーは天才的な詩人でありながら、15歳で詩を書き始め、21歳で詩作りをやめるという、ぶっ飛んだ人物である。

ランボーがどれだけ優れた詩人であるか。代表作『地獄の季節』からちょっとだけ引用してみよう。

かつては、もし俺の記憶が確かならば、俺の生活は宴であった。
ある夜、俺は「美」を膝の上に座らせた。俺は思いっきり毒吐いてやった。俺は正義に対して武装した。
ランボオ作 小林秀雄訳『地獄の季節』より

そう。高尚すぎて、凡人にはそのすごさが分からないほどの天才なのである。

詩を手放してから、世界を放浪し、1880年代にはコーヒー商人としてイエメンのアデンで働いていたランボー。勤めている会社の代理店がハラールにあるということで、ハラールにも住んでいた。

博物館は、ランボーがかつて住んでいた場所に、インド人商人によって建てられたもの。建設されたのは、彼の死後から17年たった1908年のことである。

博物館の1階には、ランボーやこの地に関する本を集めた図書館。2階にはランボーの生涯を解説する展示室、20世紀頃に撮影されたハラールの写真などが展示されている。博物館の入場料は50ブル。

ハラールのランボー博物館
博物館は3階建てになっており、2,3階の窓はステンドグラスで美しく装飾されている。

ランボーは、ハラール市民の間でも人気が高いのか、ハラールの街中ではランボータクシーが走っていた。

青いプジョーのヴィンテージカーに、ランボーの肖像画が入っているのが目印だ。19世紀を代表するフランス詩人は、アフリカの地でひっそりと息づいていた。

ランボーカー
ランボータクシー

ハラールの伝統建築に触れる

ハラールの伝統家屋
伝統的な家と言っても、泥で塗り固めたようなもんじゃないの?と甘く見ていると、ハラールの伝統建築の奥深さにビビる。
イスラームの都市らしく、アラビア語が彫られていたり、伝統工芸品のバスケットやお皿で美しくデコレーションされている。

ハラールの伝統家屋
ハラール建築のデコレーション

家の中で、大半のスペースを占めるのが居間で、カートを噛んだりと言った社交がここで行われる。カーペットが敷かれた居間は、イスラーム教の5行にならって5つのスペースに分かれており、相手との関係や身分によって座る位置が決まるという。

都市内にいくつかこうした伝統家屋が存在するが、中でも有名なのがレウダ・ゲストハウス(Rawda Gesthouse)。ハラールの伝統家屋をゲストハウスとして開放している。宿泊客でなくとも、訪れることは可能。

ローカルフードをいただく

ハラールの精肉売り場

城塞都市の中心部に位置するこじんまりとしたギディル・メガラ(Gidir Megala)と呼ばれる精肉マーケット。頭上には、肉を狙うタカが旋回している。ここでお肉を買って、近くのローカルレストランで料理してもらうこともできる。

ハラールはムスリムが多く住んでいるので、豚肉はない。ここで手に入るのはラクダ肉がメイン。

ハラールメシ
お肉マーケット近くのレストラン。ラクダ肉炒めはイケる。

新市街のマーケットをめぐる

ハラールの町は、新市街と旧市街に分かれている。観光客のお目当てである城塞都市があるのは旧市街。城塞都市を一歩出れば、そこは新市街になる。

旧市街には、それほど大きなオープンスペースがないので、めぼしいマーケットはない。一方で、新市街はジモティーでにぎわう数々のマーケットが見どころだ。

ハラールのクリスチャンマーケット
ショアゲート(Shoa Gate)の近くにあるマーケット。クリスチャンマーケットとも。

クリスチャンマーケット売り物
クリスチャンマーケットで売られている品々。香草やコーヒーの葉っぱや皮、コーヒーセレモニーに使用する香料などが売られている。

ハラールマーケット
ショアゲート前で商売をする人々。渋谷のスクランブル交差点なんぞ目ではない。マーケットはハラールの人々だけではなく、田舎から商売をしにやってきている人も多くいる。

密輸マーケット
密輸マーケット。ソマリランドのベルベラ港から関税を通さず運ばれてきたため、他よりも安く買えるのがウリ。電化製品から衣類まで、品物のほとんどが中国からのものだ。

ハイエナの餌付けショーハラールのハイエナ餌付け

ハラールで観光客に人気なのが、このハイエナの餌付けショーである。夜7時ぐらいになると、ハイエナマンがハイエナをおびき寄せて餌をあげる。

人間慣れしたハイエナには、まるでポッキゲームのように餌を与えることもできる。この姿がショーのウリである。

ハラールの餌付けショー
世界的に有名な?バックパッカー、ジョニーとハイエナのツーショット。写真はジョニーのブログOne Step 4Wardより拝借

ハイエナ餌付けショーは、毎日夜7時ごろから行われる。ショーが開かれる場所は2箇所あり、いずれも城塞都市の近くにある。城塞都市から近いのはこちらの場所(クリックするとグーグルマップへ移動)。

エレル・ゲートからは歩いて10分もかからない場所にあるが、夜は明かりもなく真っ暗なので、バジャジやタクシーを使った方がいいだろう。バジャジはショーが終わるまで待機してくれる。料金は交渉制だが、待機時間と往復で100~150ブルぐらい。

城塞都市はガイドとまわるべし

城塞都市ジュゴルは、一人で迷い込んでも十分楽しめる場所だ。けれども、現地の文化や歴史について知るなら現地のガイドと一緒に回った方がいい。現地の人しか知らないディープスポットにも案内してもらえる。

正直に言って、ハラールのガイドたちは、町や国のクオリティに反して、めちゃくちゃレベルが高い。いろんな国のガイドに出会ってきたが、あれだけの情報量を持ったガイドはレアである。

ガイド料はガイドにもよるが1日あたり15~25ドルが相場。アフリカの相場からすれば高いかもしれない。しかし、あれだけのクオリティで、丸1日ガイドしてくれるので、個人的にはお得な値段だと思う。ガイド料は現地通貨でなく、ドルやユーロの方が好まれる。

ガイドはホテルで手配が可能。トリップアドバイザーにも、ガイドの連絡先が掲載されているので、直接連絡を取ってみるのもよいだろう。

ハラールへの行き方

首都アディス・アベバからは、バスが出ている。早朝6時頃に出発し、10時間ほどかけてハラールに到着する。

バスのチケットは前日までにとっておくべし。ハラールへ運行するバス会社はいくつかある。もうチケットがない!と言われたり、週2日しか便がない!と言われても、別の会社にあたればOK。私がチケットを買ったのはODAAバス。バスのチケット料金は片道368ブル。

飛行機で行く場合は、最寄りの都市ディレ・ダワまで行き、そこから車でハラールへ向かう。アディス・アベバからディレダワまでは約1時間のフライトで、片道150ドルほど。

ディレダワからハラールまでは、ホテルに送迎を依頼した場合は片道40ドルかかる。時間は約1時間半。

ハラールの治安

首都アディス・アベバと同じくハラールの治安はよい。一人で町散策も可能だ。

ただし、暗い時間帯には歩かないなど、最低限のルールを守った上での話。夜10時頃になると、町からは明かりが消え、人通りもほとんどなくなる。

治安はよいのだが、町にはホームレスやヤク中も多い。攻撃性はそれほど高くないが、あからさまに高価な時計や貴重品を身に付けるのは、控えた方がよいかもしれない。

城塞都市内では、写真撮影に気をつけるべし。特に女性は、写真を撮られるのを好まない。本人が写っていなくても、近くでカメラを構えただけで怒鳴られることもある。

観光に必要な日数は?

城塞都市とハイエナ餌付けショーを見るだけなら、2日ぐらいあれば十分だろう。

一方でエチオピア全体に言えることかもしれないが、ハラールは本当に奥深い。城塞都市もそうだが、マーケットにはコーヒー、香料、覚醒植物カートと言った嗜好品なんかも多々ある。それらをつぶさに見ていくと、1週間でも足りないぐらいである。

ハラールの近くには、決まった曜日にしか開かれないラクダマーケットや、ハラールビールの工場があったり、国内最大規模のカートマーケットであるアワダイもあるし、象の自然保護区でもあるバビレがある。

ハラールのおすすめホテル

世界遺産がある町とはいえ、ホテルは数えるぐらいしかない。アディスアベバと比べても、インフラがあまり整っていないので、ホテルにあまり期待はしない方がよいだろう。

大半のホテルは新市街にある。旧市街からは、歩いて10~30分ほどの距離になる。中級ホテルに泊まるのであれば、Winta Hotelがおすすめ。料金は1泊3,000円ほど。朝食とディナーが無料で付いてくる。

私が泊まったのもこのホテル。部屋は清潔感があって、オーナーのダニエルは気さくでいいやつだった。

旧市街で人気なのが、先にも紹介したラウダ・ゲストハウス(Rawda gueshouse)。ホームステイみたいな滞在ができるということもあって、欧米からの観光客に人気。ただし、1日2~3人しか泊まれないので、予約が取りづらいのが難点。

市内の歩き方

ハラールの市内移動は、東南アジアでも見かけるトゥクトゥクが便利。現地では「バジャジ」と呼ばれている。バジャジは乗合制で、新市街から旧市街までの間で、ひと席あたり5ブルから。1人で貸し切る時は20ブル。

エチオピアの乗り物
バジャジはオープンエアなので乗り心地が良い

ハラールの町自体は、埃っぽく、お世辞にも綺麗とは言えない。けれども、城塞都市ジュゴルは、原宿もびっくりな攻めのカラーで建物を塗りあげ、圧倒的なセンスを見せつけるのである。

一体、あの色彩センスがどこからやってきたのか。謎でしょうがない。なにせ、町に住んでいるのは、無礼を承知でいうが、それほどセンスがある人々とは思えないからである。

それでも、ひとたびあの城塞都市に迷い込んでしまえば、そんなことはどうでもよくなるのだ。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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