そもそもイラクと旅行を並列で並べることに、若干の違和感がある。
なんだか簡単にドッキングするものではないような気がするからだ。東條英機とタピオカというぐらい、なんだか違和感がある。
とはいっても、ツアーに参加したので、旅行のようなものをしたことにはなる。
けれども、なぜか旅行と呼ぶには、はばかられる。現実は、現代でいうような気軽な旅行というよりも、一昔前のような過酷で危険な旅行だったからだ。
何がそうさせたのだろう。その要因を振り返ってみる。
予定通りにいかない
多くの人が口にするのが、「イラクは予定通りに絶対行かない」である。4年前ぐらいに出版された英語のガイドブックにすら、「イラクは予定通り行くと思うな!」と書かれているほどである。
確かにこれは一理ある。
日本語で出されているイラク旅行本をみると、やれ湾岸戦争が勃発する時期だったり、イラク戦争が始まるという時期だったり。腰をゆるりと落ち着けて、ゆるりとイラクを旅行した人の手記は見当たらない。
みな、いつもギリギリなのである。「ギリギリでいつも生きていたいから〜」というテーマソングがぴったりである。
そして、ギリギリイラクの餌食となった。
ビザを取得するために、ロンドンへの航空券を予約した後、「ルールが変わる可能性があるから、別の日に申請しないとダメかも」と言われヤキモキしたり。
反政府デモの影響で、1週間前までツアーが決行されるかどうか保留になったり。結局、ツアーは催行されたが、イラクに入ってからも、常にというか最後まで我々は翻弄され続けた。
バグダッド市内でデモを行う若者たち
同時に、それは「インシャ・アッラー」精神を存分に発揮する時期でもあった。
「インシャ・アッラー(神が望めば)」というのは、アラブ人たちが未来について述べる時に、添える言葉である。「未来はどうなるかわからん。神が望めば、そうなるだろう」、といった趣旨である。
「インシャー・アッラー」からアラブ人と日本人の時間感覚の違いを読み解く
ヤキモキしたり、不安になると、念仏のようにインシャ・アッラーと唱えていたものである。
もはや神のみぞ知る状態だからである。
日本のように、あらかたのことが予定通り行く社会から来ると、大変イライラさせられる状況だろう。
しかし、良くも悪くも変化し続ける社会においては、このインシャ・アッラー・メソッドは、大変効果的なのである。
同時に、世界においては、人間の手ではどうにもならないことの方が多いのだ、ということに気づかされる。
見えない危険が隠れている
PM2.5や感染症、いやもっとタチが悪い見えない危険が、イラクの街中には隠れているらしい。
ソマリアのように、護衛をつけたり、車移動が必須というわけではないが、ツアー中は原則、一人で出歩くことは禁止された。もちろん、ツアーじゃなくとも、一人歩きは基本的に厳禁のようであった。
しかし、見たからに治安が悪そうだとか、銃を構えた人がウロウロしている、というような状態ではない。
現地のフィクサーいわく、外国人の誘拐や殺害というのは、日常的にあることらしい。
いやな検問所
イラクに入ったものの、移動者を悩ませるのが、イラク国内にある検問所。これは、観光客だけに限らない。イラクで生活する人々も同様である。
国内各所には、セキュリティのための検問所がある。日本の高速道路のようにETCでスイスイ通れるようなものではない。検問所のせいで、通常は1時間で行けるところであっても、1時間半ぐらいかかる、というのが常であった。
検問所に並ぶ車
時には、「何で外人がこんなところおるんや!」とイチャモンをつけられ、20分以上その場で待機させられたこともある。
女性の場合は、必ずスカーフを着用して、通過しなければならない。検問所に近づく度に、「ヘッドスカーフ!」という声が、我々が乗るマイクロバスに響いた。外国人であれば、パスポートも見せる必要がある。
馬車も検問所を通る
検問所はセキュリティのためというが、現地のイラク人にとっても一筋縄ではいかないらしい。時には賄賂を渡したり。「また、やつらにゴマすりしなきゃいかんのか・・・」と、我々の現地フィクサーは、検問所を通るたびに、ぼやいていた。
我々が何かをしなければいけない、というわけではない。ただ、車の中でじっとしておくだけである。その間、現地フィクサーが、手強い検問所の兵士たちに、話をつけるのである。
まさに、おんぶに抱っこの状態である。
ある意味、イラクにおいて、外国人はほぼ無力である。私自身、そんな絶望感に襲われた。移動するにも、何をするにも、イラク人のお供が必要なのである。
自分の足で歩いて自由に観光するというのは、なかなか叶わない。それが、イラクである。