「インシャー・アッラー」からアラブ人と日本人の時間感覚の違いを読み解く

おそらくアラブ人と仕事をしたことがある人は、一度はこう考えたことがあるのではなだろうか。

アラブ人ってやつは、時間を守らないし、ろくに働きもしない。約束をしたかと思えば、「インシャ・アッラー(神が望むなら)」で神頼み。アラブは仕事ができない。遅れているやつらだ、といった具合である。

「インシャー・アッラー」とは何か

同時に中東に滞在した日本人の記録やイスラームに関する書籍なんかでも必ずこの「インシャ・アッラー」に触れている。それだけ、「神頼み」なアラブ人ないしはムスリムたちが、日本人にとっては衝撃だということだろう。

この「インシャ・アッラー」とは何なのか。

先述した通り、アラビア語の「インシャ・アッラー」という表現は、「神が望むなら」という意味である。使用例としてはこんな感じである。

例1:「次の水曜日に会おうね〜インシャ・アッラー」
例2:「結婚相手見つかるといいんだけどね。インシャ・アッラー」

といった具合である。とりわけ未来に関する名詞もしくは表現のあとに、大体添えられる。ひどい場合だと、「来週火曜日に会いましょうインシャ・アッラー、資料もっていきますね。インシャ・アッラー」と立て続けに未来に関する表現に添えられるケースもある。

つまり神が望めば、約束は実現するでしょう、といった意味合いだ。

アラブ人は神頼みで努力をしない人なのか?

先のようにアラブ人たちは、約束をする際にインシャー・アッラーをよく使用する。ありがちな例としては、約束をした時間通りに行ってみるものの、全然相手が現れない。そこで日本人は、腹を立てる。約束したのに時間通りにこない、もしくはそもそもやってこないとは、なんて不誠実な奴らなんだと。

そもそもイスラームにおいて、神は絶対である。「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」という表現にもあるように、とにかく神はすごいのである。つまり人間が勝手に未来を決めるなんてことはあってはならないのである。人間の分際で未来を決めるなんておこがましいこと甚だしい。

「神」という存在を持たない自称無宗教な日本人からすると、この感覚を理解するのは難しい。は?神が決めるって何それ?といった感じだろうが、イスラームの人々が生きる世界は、人間の運命さえも神が決める、そういう設定上成り立っている。

というわけで、この背景を理解していないと、「なんでも神頼みで、ちょっとぐらい約束の時間に間に合わせる努力でもしたらどうだ」という解釈になってしまう。

人間がすべてをコントロールできると思う傲慢さ

一方で、日本人の時間に対する感覚も世界的にみれば、ちと厳しすぎるのではないかと思う。つまり世界標準からややずれているということだ。

日本で生まれ育った人間には、時間を守ることなど当然である。時刻通りにやってくる公共交通機関は、世界を驚かせていることも周知のことだろう。そのような厳格に時間を守ることが、当たり前な社会である。

それに時間を守るということは、美徳の一つとしても考えられているようだ。それゆえに、待ち合わせなんかで10分前に来ることが、「スマートでできるやつ☆」、というか「社会人として当たり前じゃん☆」みたいな感覚が跋扈している。

しかし、やはり島国を出ればそれも少々「異常」に見えてくる。新幹線が20秒早く発車してしまったことで、車掌が詫びを入れたことが世界的に話題となった。


BBC「 Apology after Japanese train departs 20 seconds early」より

 

何事も時間通り、予定通りに遂行するのが美徳である、気高き日本人からすれば、「謝って当たり前ざますよ〜」という感覚なのかもしれない。けれども、世界はそれを異常と捉えているのである。

本当に時間を守ることが美徳なのか、そもそも日本人の厳格な時間感覚の方がずれているのでは?と考えてしまう。

日本には、どうにも人間がすべてをコントロールできると思い込んでる風潮があるのではないか。時間も秒単位で、人間が予定通りに物事を動かせる。実際そうやって社会は成り立っているようだけども、社会の裏側ではゆがみを引き起こしている。自己責任論が蔓延し、人間に対して過度なプレッシャーをかけ、それに耐えきれず潰れていく人も中にはいる。

インシャ・アッラーで楽に生きる

時間にお厳しい日本人は、どうもこの約束を守るのか守らないのかはっきりしない「インシャー・アッラー」と相性が悪いようだ。

けれども。むしろ「インシャー・アッラー」な世界で生きることは楽なんじゃないかと思う。

考えてみてほしい。約束をしても、急用なりその日の気分で、約束をキャンセルせざるを得ない時もあるだろう。約束の時間に遅れるのは失礼だからといって、発車間際の電車にタックルで乗り込み、汗だくになりながら待ち合わせ場所にたどり着いた、という経験がある人もいるのではないか。実はそれは私なのだけれども。

時間通りに約束を守る、が当たり前な世界では、こうして人々に過大なプレッシャーを与えることもある。そんなプレッシャーがないのが、イスラームの世界である。

あちらが「インシャ・アッラー」を使えば、こちらも使えばいいのである。なんと楽な世界なだろう。未来に何が起こるかわからない。だから、逆に会えたらラッキーですね、と。相手への過度な期待を柔和し、期待が外れることで生じる怒りとも無縁でいられる。

実際に、信頼の置けそうなアラブ人と「インシャー・アッラー」と約束をしてみたものの、やっぱり当日は連絡もなくやって来ない。まあ、インシャー・アッラーの世界なので、しょうがないなと淡白にやり過ごす。

逆に私も、「すまん!突然行けなくなったわ」とドタキャンしても、向こうは怒る気配もない。ただ、「ああそうですか。じゃあまたね」で終わる。

こんなやりとりの後で、お互い顔を合わせるのは気まずいかと思いきや、向こうは意外とあっさりしている。ドタキャンや自分が約束を破ったことなど、おくびにも出さない。聞くところによると、彼らは時間を連続的なものではなく、断続的なものだととらえているようだ。

日本人であれば、「前回約束を破ったから顔を合わせづらい・・・」などと考えてしまうが、彼らにとっては約束が成立しなかった時と、現在の時間とでは別物であるから、過去のことは気にしない。案外あっさりしていていいやつである。

そんなわけで、私はなかなかこの「インシャー・アッラー」という表現が気に入っている。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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