中東

イラク

聖地巡礼。イスラム教シーア派の聖地へゆく

イスラーム教の聖地といえば、メッカはよく知られている。 「若者のメッカ」だとか「アイドルのメッカ」などとも言われるように、ちゃっかり日本語にも馴染んでいる。
イラク

あの人だれ・・?イラクに出没する謎の「殉教王子」の正体

イラクを旅している途中、彼を見かけない日はなかった。 街中から、さびれた田舎道まで、とにかくどこにでも出没するのである。 あまりにも出没しすぎるので、周りのツアー参加者たちも「あの人だれ・・・?」とザワつかずにいられなかったほど...
イラク

イラクの深夜食堂。イラクの路上でケバブを食らう

イラクの夜は、にぎやかだ。屋台が点在し、行き交う人々の胃袋を満たす。
イラク

回復は難しい?現地で感じたイラクの治安と現在

どうにもイラクの治安というのは安定しない。 「お前らもターゲットにしたるかんな」と、日本人を恐怖に陥れたイスラム国が去ったかと思えば、次にはイラク国内で大規模な反政府デモである。
イエメン

インド洋の秘境ソコトラ島。忘れられた島の現在と奇観をめぐる

一度見たら忘れられない。アラビア湾に浮かぶソコトラ島は、そんな魔力を持っている。 ドラゴンボールに出てくるナメック星のごとく、不思議な形をした木や植物が、そこかしこにはえている。
イエメン

アラビア湾を渡ってソコトラ島へ。ダウ船の旅、始まる

約束の朝8時。「ここにこい!」と招集をかけられた港のオフィス前で、しばらく待つと係員らしき人物が現れる。 パスポートのコピーをとられ、書類を渡された。それからしばらく待つこと、1時間ほど。なにやら大荷物を抱えたバックパッカー風の男女カ...
イエメン

イエメンは本当に危険?イエメンの現在と現地で感じたリアルな治安

イエメンというだけで、とにかく治安が悪そうである。2015年に始まった内戦は、今も続きもはや泥沼状態。 ニュースで流れてくるのは、空爆による一般市民への被害、食糧不足による飢餓、コレラ蔓延など「世界最悪の人道危機」とも呼ばれる悲惨な出...
イエメン

陸がダメなら海から攻めろ!意外過ぎたイエメン入国法

とにかく眠い。入国できなかった無念さよりに、睡眠欲はまさる。 思えば前日の深夜にドバイを出発している。断続的な睡眠はとりつつも、ほぼ24時間まともな睡眠がとれていない、ということになる。毎日8時間以上の睡眠が必要な人間にとっては、ガス...
イエメン

まさかのイエメン入国失敗。国境でポリスに追い返される

夜が明ける。辺り一面は、文字通り何もない辺鄙な場所を進んでいた。まるで火星である。数時間前には、高層ビルが立ち並ぶドバイにいたとは思えないほどの景色の変わりようである。 車内の助手席には、カーリッドの父が乗っていた。
イエメン

アラビア半島の宝石箱イエメン。そして不思議の島ソコトラへの道程

アラビア半島を歩いていると、どうしてもイエメンというエキゾチックな場所に惹かれてしまう。避けては通れないのだ。 なにせ古代ギリシャや古代ローマの時代には「幸福のアラビア」と呼ばれていた場所である。なぜか。古代エジプトの王やイスラエルの...
イスラエル

イスラエルの宗教は?知れば知るほど不思議な国、イスラエル

現代ではスタートアップやハイテク分野など多方面で知名度を上げつつあるイスラエル。しかし一昔前にこの場所を訪れる日本人といえば、大半が「宗教関係者」であった。それもキリスト教関係者だ。 自称「無宗教」を語る日本人にとっては、イスラエルに...
イスラエル

イスラエルの言語って?イスラエルで英語は通じる?

イスラエルは世界で唯一、ユダヤ人が多数派を占める国である。イスラエルで主に公用語として話されているのは「ヘブライ語」である。イスラエル語ではない。
イスラエル

本当に危険?元在住者が考えるイスラエル、パレスチナの治安

イスラエルといえば、年中ドンパチをやっていて、危ない場所というイメージがある。 私も2009年にはじめて渡航するまでは、「やべえ、死ぬのか・・・」などと思っていたが、実際に行ってみるとその現実とメディアのイメージの落差にひどく衝撃を受...
イスラエル

仰天!ユダヤ教に改宗した謎の経歴を持つ日本人とは?

ひょんなことで出会ったユダヤ教に改宗したというお姉さん。当時は、神学をやるにはもってこいの、別の言い方をすれば、一部では右派勢力の温床とも呼ばれる大学でユダヤ神学を勉強していた。 彼女とは共通の日本人の友達を通じて知り合った。そしてイ...
イスラエル

厳格なユダヤ教の生活から逃げてイスラエルにやってきたユダヤ人

エルサレムにいるガチガチの正統派の人々を眺めていると、ふとある疑問がわいてくる。こんなに毎日毎日聖書ばかりの勉強をして、恋愛も自由にできない、ネットもテレビも自由に使えず外界から閉ざされて嫌にならないのだろうか、ということである。